断腸亭日乗とカツ丼
(写真:荷風が愛した「大黒屋」のカツ丼セット)
御存知のように『断腸亭日乗』は、永井荷風の日記だ。傑作と言われているらしいが、輩など文学の門外漢には、サッパリ退屈なだけである。
永井荷風
永井荷風著『断腸亭日乗』
●昭和16年12月31日
十二月卅一日。晴。厳寒昨日の如し。夜浅草に至り物買ひて後金兵衛に夕餉を喫す。
電車終夜運転のはずなりしに今日に至り俄に中止の由,貼札あり。何の故なるを知らず。
朝令暮改の世の中笑ふべき事のみなり。過日は唱歌蛍の光は英国の民謡なれば以後禁止の由言伝えられしがこれも忽ち改められ従前通りとなれり。帰宅後執筆。寒月窓を照す。
寝に就かむとする時机上の時計を見るに十二時五分を過ぎたるばかりなれど除夜の鐘の鳴るをきかず。これまた戦乱のためなるか。恐るべし恐るべし。 (岩波文庫より)
日記のなかでも人気,評判ともに高い『摘録 断腸亭日乗』(岩波文庫)の昭和16年12月31日の記述。
独居者の日記は昭和34年になると,天候,曜日,正午浅草(4月3日以降「正午大黒屋」)の記述が判を押したようにならぶ。
そして、「四月廿九日。祭日。陰。」で約四十二年間書き続けられた荷風の日記は終わる。
永井荷風は、昭和34年4月の亡くなる前日まで、判で押したように毎日、市川市本八幡(もとやわた)の「大黒家」(京成八幡駅前)で、お銚子一本と「カツ丼」を食べていたそうだ。それ以外のものは、絶対、口にしなかったそうである。
荷風の住まいは、大黒屋の傍だった。そこから毎日、浅草まで通っていたのだねえ。
この大黒屋は、今でも営業をしている。興味をお持ちの方は一度訪ねて、カツ丼セットでも食べながら、荷風を偲んでやってください。