還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

生のホタテ貝が送って来た

2006-12-29 17:36:37 | 健康
北海道から生きのよいホタテ貝が送って来た。

毎年のことである。

何時もなら直ぐに刺身にして戴くのだが、今回ばかりはノロウイルスが怖い。

残念ながらバター炒めとして戴く。

生きのよいものはなんでも美味しい。

なにせ大きさが違う。



ホタテ貝の貝の大きさです


直径が10cmはある。

厚さも3cmはある。

カミさんは

「このホタテは刺身でも大丈夫だよ」と言っているが食べるのは私だ。

それ故に、もし「ノロウイルス」に掛かるのは私なのだ。

勿論、カミさんも食べると思うが、万が一に二人とも掛かっては、どもならん。

「絶対に充分に加熱しろ」と厳命した。



貝柱2ヶで一杯です


そして、お望みのバター焼きが出来たのだ。

2個も食べられないので一個は半分とした。



これがホタテ貝です。大きいので2個に切りました


食べたのは1個半か?それでもビールのつまみとしては勿体ないほど美味しい。

北の海産物や農産物には美味しいものと不味いものが入り混じっている。
 
何故か北海道のものは何でも大きい。

魚もホッケなど瀬戸内海育ちの私には大味で不味い。

鮭(シャケ)だって瀬戸内では見られない大きさだ。

でもシャケは大きな割に美味いね。

そのほか魚類で美味いのは烏賊かな?

この烏賊の一夜干しなどは酒のつまみとしては最高だったね。

他には鰊(ニシン)など焼くと油が滴り落ちて最初に食べた時は、その美味さに驚いたものだ。

ところがカミさんに言わすと鰊(ニシン)など食い飽きて見るのも嫌だと抜かした。

「ところ変われば品変わる」で、土地の方から見れば有り余るほど取れた鰊(ニシン)など、言っては悪いが“貧乏人”が食べるものとか?

それにしては贅沢な貧乏人だ。

魚は刺身も良いが、取立ては、やはり焼き魚に限る。

焼いた魚を、そのまま口に頬張る感じは、とても経験者でないと理解できないと想う。

また、焼いたトウモロコシの甘さは格別だった。

そうそ、ご飯にバターをそのままつけて食べるのも美味しかったな。

これは故郷に帰った時にみんなの前でバターをご飯につけて食べたところ親父から

「みっともない!止めなさい」と叱られた。

親父もビックリしたらしい?

その後、兄弟の話では親父も私の真似をしてバターをつけて食べたところ、病み付きになった、と聞いた。 

なんでも、食わず嫌いが一番判断を狂わすようだ。

農産物では、なんと言ってもジャガイモだな。

ジャガイモも蒸かしてバターを付けて食べると、これまた。

その味は格別だ。

ジャガイモのいいところは、いくら食べても飽きないとこだと思う。

バターで炒めたホタテ貝をつまみにしてビールを飲みながらカミさんの北海産物の講釈を黙って聞く。

美味いものは黙って黙々と食べるに越したことはない。

私の耳が遠いのは、こんな時には都合がよい。

「うん」「ウン」と頷きながら何も分かっていなくて飲み食いに忙しいのだから気が楽だ。 


ホタテ貝はカミさんの弟から送って来たものであるから仕方ない。

私の親戚から過日、送って戴いた「大島蜜柑」や故郷(岩国)の三和町の「岸根栗」のカタキをここぞと打たれたものだ。

言い忘れたが、「岸根栗」は非常に大粒で何でも一粒60gあるそうだ。

渋皮ごと食べられたのには驚いた。

栗を渋皮ごとに食べられる品種があったとはビックリもしたし、その甘い、うま味も長年に渡る農家の品種改良の賜物とか?

美味しいホタテ貝のお陰でビールの味も一味美味しく変わってくる。

最近の私は食が細くなった所為か味に煩くなった。

カミさんも胃の全摘手術を受けてから好みも大きく変化したように感じる。

美味いホタテのバター炒めに舌鼓を打ちながら、暫し、遠い昔の北海道と懐かしい田舎の思い出でに沈む。

でも、北海道は寒かったね~ェ。

青森からの連絡船から列車が降りたったのは忘れもしない真夏の8月1日だった。

早朝の函館駅で暫し停車した時にプラット・フォームに降り立った時の風の冷たさは、とても真夏とは思えないものだった。 

東京駅で見送りに来た友人が

「おい お前は早くも都落ちか?」と遠慮も無く言った奴がいたが、正に都落ちとは良くぞ言って呉れたものだ。

その通りと痛切に凄い冷たい風に感じたからだ。

風は瀬戸内では想像も出来ないほど冷たかった。

然し、そのプラット・ホームで求めた牛乳が粘っこく、もの凄く美味しかったのは忘れることが出来ない北海道のファースト・インスピレーションだった。

やがて着任しての始めての冬が来て降る雪の感じはまるで異なったものだった。

冬の雪はパサパサして手で掴み強く握っても指を開くとパラパラと落ちる。

固まらないのだ。

寒がりの私も若かった所為でなんとか2年間の現場勤務も勤まったようだ。
その後、内地勤務となり二度と北海道に行くことはなかった。

それでも私が技術担当者として各支店で持ち回りに開催される秋の「全国建築技術研究発表会議」に参加すべく札幌に2~3度はお邪魔したかな?

この「全国建築技術研究発表会議」は春は本店で開催されていた。

美味い一杯のビールに過ぎ去りし過去を偲んだ。

爺の、たわいない繰言でした。



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