私の経験では食料難は戦後にやって来た。
それは昭和21年 両親が外地から帰国してからである。
一家揃って一つ屋根の下での楽しい生活が始まったのは、いいが早速直面したのは食料難である。
当時、田舎で「やみ米」1升が幾らしたのか私は知らないが父の給料では充分に買うことが出来なかったのではないかと思う。
我が家には食料を求める手段が無かった。配給では子供の多い我が家ではとても足りない。
「大人一人一日、米2合3勺」ではとても足りない。
而して、俗に言う「竹の子生活」の始まりである。
先ず母の着物が交換の先陣を切って「お米」と交換されたが始めは着物一枚が「お米」3升になったが、やがて農家も着物が溢れ一枚が1升にしかならなくなった。
その頃は既に我が家の母の着物も思いである大切な着物のみを残して殆ど底をついていた。
勿論、それまでに交換する物は「お米」から量の多い「小麦」や「薩摩芋」「ジャガイモ」等 に替わってはいたが食べ物の絶対量は不足していることには間違いない。
祖父母の助けも最初の内は
「わが子(私と姉)を預けて育てて貰った」遠慮からか食べ物の援助は「(私達が)なんとか、します」と辞退していた模様でしたが母はこっそりと頼んでいたようである。
今でも思い出すのは「おかゆの中で威張っていたのはサツマイモでお米はまるでメダカのように茶碗の中で泳いで居た」事である。
この「おかゆ」は、不思議なことに食べれば食べる程お腹が空くのである。
私も子供と言っても、もう中学生である。
盗みも出来ないし、すきっ腹を抱えて、よく水を飲んだものである。
水は井戸水で案外美味く感じたが、そう何時までも水腹では過ごせない。
時に母に内緒に井戸水に少量の塩を入れて飲んだこともある。
然しそれ以外に方法はなかった。
私には非常に辛い空腹の思い出であった。
小学生の頃は、別に飢えを感じた事はないが腹が空けば悪戯で他所のサツマイモ畑に伏せって入り込み芋を手で探り出し掘り出して、手で泥を落とし、その場で歯で皮を剥き芋を齧り食って手に薄黒い灰汁をつけて祖母に見破られコピットク叱られた上に
祖母に連れられ農家に謝りに行かされたものである。
灰汁は少しくらい川水で洗っても落ちないので困った。
又、スイカ畑に忍び込み小さな竹で作ったストローを畑のスイカに刺してチュウ・チュウと天然ジュウスを吸っていたこともあるが(スイカは必ず腐る)、これらは農家の方々には申し訳ないが子供の遊びの一つでもあった。
竹製のストローは常に「金釣り(子供用褌)」の腰帯にぶら下げていた。
自作のストローは各自見せ合い出来具合を自慢し合ったものだ。
純粋の天然生ジュウスを吸っている時に監視のお百姓さんに見つかれば、みんな素早く逃げて土手から海に飛び込み流れに乗ってかなり遠くの岸に上がり歩いて「なに食わぬ顔」で家に帰る。
考えれば祖父母に預けられ育てられた為に小学生時代は思わぬ楽しみを味わったものである。
その食料難も昭和23年前後の頃からか、かなり好転したのではないかと思う。
はっきりとは覚えていないが。
以上は終戦後に発生した、ある時期の食料難の辛い思い出である。 今の時代のように
「食べたい物を、食べたい時に、食べたいだけ食べられる」幸せは飢えを知る者にとって言いようのない贅沢と言わざるを得ない。
私の「飢えの時代」は本来の飢えの内に入らぬかも知れぬが、今の時代からすれば立派な飢えに入ると思う。
特に食べごろの少年時代では・・・・
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ようです。
大学の研究の一環で食糧難について調べていたところ、あなた様のブログに辿り着きました。
これからもどうか御身体にお気をつけてお過ごしください。
因果なことです。
私の身体のご心配を頂き恐縮しています。コメント有難うございました。
まさか、当時を実体験された方が、このようなブログをやっておられるとは夢にも思わず、正直、驚きました。
しかも、デコレーションされ、非常にカラフル!
最近の記事も読ませていただきましたが、こちらは、落ち着いてますね(笑
文章も平明簡素で読みやすく、行間を一行空けることで見やすくなってます。
難解な読みの漢字には、わざわざ括弧書きで読み仮名まで入れているところなど、配慮も素晴らしく、自己紹介にある半呆けなどとんでもない。
非常に矍鑠としてらっしゃる。
それに、ほぼ毎日更新しているのもスゴイところ。
私もブログやってましたが、長続きしませんでした。
毎日やり続けるのも、なかなかしんどいものです。
今年の冬も、寒さが厳しいようですから、お体に気をつけてください。
ただ、国をこのような環境には絶対にしてはならないですね。「衣食足りて礼節を知る」も衣食が足りない時には通じるかも?今の私は疑問に思っています。
ある本に「人間はあるがままに育って人間になるのでなく、創られることによってはじめて人間となりうるのである」とありました。
また 能書きを言ってしまいました。失礼
コメント有難うございました。