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http://mainichi.jp/opinion/news/20131106k0000m070145000c.html 以下全文
余録:いつも月夜に米の飯…
毎日新聞 2013年11月06日 02時15分
「いつも月夜に米の飯」。申し分ない暮らしのたとえだが、夜が闇に閉ざされ、コメの飯は祝日にしか食べられなかった昔を物語る。毎日がこうあってほしいという願いがこもったことわざだ
▲「昔の主食は稗と麦で、米は少し入れるだけだった。その後は麦七米三で、あそこの家は半々だというとぜいたくだと思ったものだ」。これは戦後に記録された東京都杉並区の古老の回想である。「いつも米の飯」が全国どこでも当たり前になったのはそう昔でない
▲しかし、この古老への聞き取りが行われてほどない1960年代にコメの生産は需要を大きく上回って余り出し、70年には生産調整(減反)が本格的に始まる。「いつも米の飯」が実現してみれば、過剰生産を防ぐ「減反」が日本農業のキーワードになってしまった
▲政府は農業の構造改革の一環としてコメの生産調整見直しにむけて動き出した。高齢化が進み、耕作放棄地が増える農家の現状である。経営効率の悪い零細農家を温存してきた生産調整を改め、農地の貸し出しによって農業経営の大規模化を促進するのが狙いという
▲国際競争に生き残れる産業としての農業の自立は待ったなしの課題である。だが市場の激変が意欲のある農家までのみ込む恐れもあろう。また山間地など不利な条件下で環境を守る役割を農業に求める場合もある。構造改革を実現するには周到な目配りが欠かせない
▲「世の中はいつも月夜に米の飯 さてまた申し金のほしさよ」は江戸時代の蜀山人の狂歌である。月夜や米の飯よりも、欲しいのは金という今の世のコメ作り、10年後はどんな姿になっているだろう。
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つぶやき・ぼやき
10年後と言っても直ぐくるよ。そのころは半世紀も続いた「減反政策」 の影響で日本はふたたび食料難に見舞われているかも? 確か論語の一節にも政治で一番大切なものは民の信頼である。その信頼は先ず民を飢えさせてはならない・・・だったか?
財政が苦しいときは先ず軍事費を削れ・・・だったか? 随分と前に読んだ論語なのでうろ覚えである。再度 読み直してみたいと思っているが・・・読みきる前にこの世からおさらばかもね?
それでもくだらない小説は毎日読んでいるが・・・じつに我輩はバカだ。
何故 食料難? それは食料輸出国が日本への輸出の元栓を締めればそれまでです。 日本の食糧自給率は今でも40%を切っているのでは?ただ そこには自給率の計算法に何とはなしに ごまかしを感じているが・・・。
官僚や政治家には 出世のため 金のため・・には躊躇わず 国を売る やからが多すぎる印象をもっている。 私の邪推ならいいのだが?
果てしなく続く、食品偽装ですね。
~おもてなし(表無し)調べてみれば~裏ばかり~それにつけても金の欲しさよ~食惨人
今の惨憺たる状況を見れば、蜀山人も食惨人に改名したいと言っております。
警視庁の調査費が十分の一に減額と。それでは毎年5億ほどが幹部(患部)達、身内の飲食に使われていたのかと。(そこまで言って委員会より)最後の聖域にもついにメスが~。
やめられんの~役人上層部。あまり言うと逮捕!怖か~
私の様な庶民は、寝食を惜しんで勉強しなかったから、いずれ稗や粟を食べなければならない運命です。
庭のグリーンカーテン芋のツル、は後2回は採れる(奥方談)そうなので、今の内から慣れておきます。珍味ですよ。
明るい話題
出雲大社遷宮(60年)と、縁結びの神様で、人気が高まっているそうです、本日TVで見ました。松平不味の茶道のおかげで、松江の和菓子は加賀と共に、日本の代表ですよ。
大国主命が無血で国譲りをされたので、祭られたそうですが、大和政権が内紛でもしていたら、今頃出雲が国の中心?出雲は国のまほろば~~出雲しうるわし~ですね~
宍道湖のシジミ(砂地で採れる、色の薄い方)はご存知日本一で、全国に稚貝を送っています。
台湾のシジミも養殖なので色は薄く、何度も言いましたが、死ぬ前にもう一度は食べたい絶品の味です(アー醤油シジミ) 草々
芋雑炊拝
秋の日のツルベ落としの様に一週間の経つのは早く明日からは週末ですね~!
各地の観光地も賑わうのでしょがお互、大いに紅葉の秋を楽しみましょ~!
☆まずは
*減反政策で10年後はどうなっているか心配ですね~!
日本人にお米は欠かせませんからね。
「おもてなし」何故か流行り言葉になりました。
>毎年5億ほどが幹部(患部)達、身内の飲食に使われていたのかと。・・・
これが警察では芯が腐っているようで・・・。今 しきりに逗子のストーカー事件が追跡されていますが・・・軽察のそしりは免れません。埼玉県警のストーカー事件・山形県警の警部補の息子が散髪屋の息子を勝つ上げしてばれたと知るの殺した殺人事件など警察を舞台にした事件は多いです。
島根県は確かに「お茶」の接待はどんな田舎に行ってもさらりと「お茶」の接待していただけるようです。1995年に島根ねんりんピックに参加しました。競技が終り市外を歩きましたが行き掛かりの家で道を尋ねたばかりなのにお茶を接待されて驚きました。「お薄」でした。二度ビックリ。いい風土でした。一生の思い出になりました。また・・あの道 を歩きたいですね。
シジミ汁はホテルで出されましたが・・・あまり記憶にないです。
和菓子は確かに美味しかったですね。 京都・加賀・松江 いい和菓子が味わいできました。メタボさんも食通ですね。毎度感じています。
我が家は北海道の「ホッケ」一本です。大味ですがやっと慣れました。
半身食べれば「メシ」不用です。
ベンさん無事に帰宅しましたね。ハワイは年寄りには最もいい環境ではないでしょうかね。虹の島とも言われています。近頃 虹など見たことがありません。
ひろしさんも いい思い出をべんさんに差し上げましたね。広島の「お好み焼き」は私は未だ食べたことはないのですよ。
私の子供の頃は移動式(リヤカー屋台)で鉄板焼でメリケン粉を非常に薄く鉄板に広げて中に具を少し挟み一枚 10銭くらいで売りにこられる方がおられましたね。アレがお好み焼きの元祖かな?と想像しています。でも醤油味で美味しかった思い出はあります。合図は鈴だったように思いますが定かでありません。これは広島大手町に住んでいた頃(7~9歳?)ころの話です。
当時 広島では安芸の海関が双葉山を破った「仏殿返し」と言う技(ワザ)が子供の最大の話題でしたね。
ベンサン案内の広島の映像を拝見してつい昔を思い出しました。