8月24日(火)
麻生区内にある桜の名所でも知られる株式会社日立製作所システム開発研究所が8月一杯で完全に移転する。このことに伴い、地元の方々と日立の関係者で、最後の懇親会が開催された。会場となった社員厚生施設「琴平クラブ」の窓から見える風景は、周辺が市街化調整区域と言う事もあって、まるで「箱根」の温泉にでも来たかのような錯覚すら覚える緑豊かな場所である。新入社員の頃から約30年、当地に勤務した担当課長は「一抹の寂しさを感じる」と話していた。
この研究所の敷地は約30,000坪、隣接する東京原子力産業研究所と武蔵工業大学(現都市大学)原子力研究所の敷地を合わせると約60,000坪となる。閉鎖後も若干の軽放射性廃棄物などが残るため3名の社員と警備員は残るとの事である。
この施設、昭和32年ある衆議院議員が所有していた山林60,000坪の土地に養鶏場を作るとされていたが、翌年、東急や日立に突然譲渡されたのである。この地に原子炉を作るとした提案に、被爆国として平和利用とは言えアレルギーの強い地元町内会は大騒ぎとなった。この提案に対し、地元は圧倒的に反対の声が大きく、川崎市や科学技術庁に対し、反対の陳情を行った。その後、東急側との話し合いは63回に及び、昭和34年申請は許可され、翌35年基礎工事を開始、昭和37年開所となったもので、地元としては条件付き許容であった。
その地元への補償の一つであった町内会館が今年移転新築する事が正式に決まった。偶然の一致とは言え、何か因縁めいたものを感じる。

麻生区内にある桜の名所でも知られる株式会社日立製作所システム開発研究所が8月一杯で完全に移転する。このことに伴い、地元の方々と日立の関係者で、最後の懇親会が開催された。会場となった社員厚生施設「琴平クラブ」の窓から見える風景は、周辺が市街化調整区域と言う事もあって、まるで「箱根」の温泉にでも来たかのような錯覚すら覚える緑豊かな場所である。新入社員の頃から約30年、当地に勤務した担当課長は「一抹の寂しさを感じる」と話していた。
この研究所の敷地は約30,000坪、隣接する東京原子力産業研究所と武蔵工業大学(現都市大学)原子力研究所の敷地を合わせると約60,000坪となる。閉鎖後も若干の軽放射性廃棄物などが残るため3名の社員と警備員は残るとの事である。
この施設、昭和32年ある衆議院議員が所有していた山林60,000坪の土地に養鶏場を作るとされていたが、翌年、東急や日立に突然譲渡されたのである。この地に原子炉を作るとした提案に、被爆国として平和利用とは言えアレルギーの強い地元町内会は大騒ぎとなった。この提案に対し、地元は圧倒的に反対の声が大きく、川崎市や科学技術庁に対し、反対の陳情を行った。その後、東急側との話し合いは63回に及び、昭和34年申請は許可され、翌35年基礎工事を開始、昭和37年開所となったもので、地元としては条件付き許容であった。
その地元への補償の一つであった町内会館が今年移転新築する事が正式に決まった。偶然の一致とは言え、何か因縁めいたものを感じる。