元川崎市議会議員 尾作ひとし

対話から、そして聞くことから始める。多くの人の意見を、そして幸せを叶えるために。川崎市麻生区市議会議員の日常ブログ。

村の民権運動

2012-04-10 23:24:41 | 未分類
4月10日(火)

 今日4月10日は「女性の日」だそうだ。何でも1946年の今日、戦後初の衆議院選挙で39名の女性議員が誕生したことに因んでの制定らしい。
 女性参政権ではないが、麻生区周辺も様々な政治的な歴史を持つ。明治政府は、「万機公論に決する政体」を約束したが、一般国民の政治参加は認められていない上に、租税や徴兵の義務のみが活課せられた。国会を開き、国民が政治に参加する権利を得ようとする「自由民権運動」が日本各地で起こった。当時、柿生村の隣に位置する町田の野津田村は自由民権運動の中心地で、石坂昌孝、村野常右衛門等の指導者を排出している。
 民権運動家は村の地主階級に多く、長尾村の井田文三、鈴木久弥、溝の口の上田忠一郎、生田村の河合平蔵、笠原己之助、松沢信太郎。柿生村では神藤喜平、中山作造、村野勇次郎等の名前がある。今では野津田の村野常右衛門屋敷跡に「自由民権史料館」がある。
 当時、柿生・岡上村は、鶴川村、稲城村等とは小野路寄場組合以来、同じ神奈川県と言うこともあって、親しくしていた。ところが、明治25年、東京府知事が「三多摩郡の所管替」を内務大臣に申し出た。理由は多摩川の水源確保である。このことは、上水とは関係が無く賛否両論が入り混じり騒然となったと言う。紆余曲折を経て国会の委員会では、賛成4、反対5で否決。本会議で賛成133、反対120で成立したと言う。
 この所管替が成立した背景には、神奈川県議会としても、自由民権運動の激しい南多摩郡を「お荷物視」しており、厄介払いしたかったとの見方もある。いずれにしても、自分の生まれ育った地域である。先達が築き上げてきた歴史を踏まえ、将来の街づくりへとつなげて行きたいものである。

言われたくない

2012-04-09 22:20:22 | 未分類
4月9日(月)

 五月晴れ!と思いたくなるくらいのポカポカ陽気。最高気温23℃、5月中旬の陽気とか。
 そんな晴天の今日、近所の公園では、洋凧に吊り下げられた鯉のぼりが早くも気持ちよさそうに泳いでいた。
 やっぱり春はいいなぁ・・・。
          
              

 そんな今日、自民党の衆議院選挙向け政権公約原案が発表された。各マスコミも「民主・自民どこが違うのか?」の論調。私は全く違うと思うのだが・・・。
 みんなの党の衆議院議員で、かつて衆議院神奈川第9選挙区より自民党公認の代議士がいる。いわゆる「小泉チルドレン」と呼ばれた一人である。その代議士が自らのブログで、郵政民営化見直し法案に関連して、「どんな思いで国会で活動しているのか、恥ずかしくないのでしょうか」と批判していた。
 私にしてみれば、一番言われたくない議員の台詞である。衆議院の候補者選定の時に、地元市議会議員が候補者として上がっていた。具体的選考過程は避けたいと思うが、それを覆しての候補決定であった。面接時に「この選挙区で骨を埋める覚悟があるのか?」と聞いたところ、はっきり「ハイ」と返事をしていたのを覚えている。過去いわゆる「落下傘候補」には何度も裏切られている経緯があるからである。ところが2度目の選挙時である。民主党の政権交代選挙で自分に勝ち目が無いと分かるや、われわれには何の相談も無しにいきなり離党、自分は楽して勝てるみんなの党渡辺代表の地元、比例北関東に転出してしまった。離党理由など、後から何とでも言える。その議員、未だに何の挨拶も無い。そんな人間の基本すら出来ていない者に言われたくないものである。逆に問いたい、「恥ずかしくないのでしょうか?」

ハチ公の日

2012-04-08 19:11:27 | 未分類
4月8日(日)

 春爛漫の日曜日。桜のあるところでは、いたるところで「花見」が行われていた。
 今日、4月8日はお釈迦様の誕生日、仏生会であることは誰でも知っている。ただ不思議なことに、基本的にキリスト教徒でない日本人が「仏生会」より「クリスマス」を重視するのは些か不思議である。
 4月8日が「忠犬ハチ公の日」であることを知っている人は意外と少ない。
 渋谷の駅前に銅像が建てられたのは、1934年4月のことであり、この銅像の除幕式には「ハチ公」自身も出席しているが、残念なことに翌年の3月に亡くなっており、翌1936年4月8日から慰霊祭が行われている。
       
               

 わが家の「ハチ公」と言えば、愛犬「CoCo]である。ご本家「ハチ公」ほど忠犬と言えるかどうかわからないが、飼い主の言うことだけはしっかりと聞く。わが家にとっては立派な「忠犬」である。春爛漫のポカポカ陽気の日曜日。お気に入りのおもちゃ相手に庭を駆けずり回っていた「忠犬」であった。

民主主義って?

2012-04-07 22:06:25 | 未分類
4月7日(土)

 「世界史サミット 同時代を生きた偉人たちが国境を越えて大激論」(浅野典夫著 徳間書店)と言う本がある。
 第1回は、216年で、ローマのカラカラ帝、中国の曹操、諸葛亮、日本の卑弥呼。議題は「市民権は必要か」。市民権重視のローマ皇帝、民の統制を論じる中国、市民権そのものが存在しない日本。第2回は、618年日本の厩戸王、隋の煬帝、東ローマ帝国ヘラクレイオス一世、ヴァルダナ朝ルシャ・ヴァルダナ。議題はイスラームの苦悩・・・・第10回1900年、ハワイのリリウオカラニ元女王、フィリピンのエミリオ・アギナルド大統領、西太后。議題は押し寄せる帝国主義。と続く。飛行機などの移動手段も電話などの通信手段も無い時代、こうしたサミットなどありえない話だが、なかなか興味深く読むことが出来た。
 今の日本、毎年総理が変わり、サミットでもその存在価値は年々低下しているように映る。
 政治学の言葉で「衆愚政治」と言われるものがある。Wikipediaによると、「有権者の大半が知的訓練を仮に受けていても適切なリーダーシップが欠けていたり、判断力が乏しい人間に参政権が与えられている状況。そのおろかさ故に互いに譲り合いや合意形成が出来ず、政策が停滞したり、愚かな政策が実行される状況を指す。」ことだそうだ。つまり、判断力の乏しい民が意思決定に参加することで、議論が停滞したり、扇動者(現マスコミか?)の詭弁に誘導されて誤った意思決定を行い、誤った政策執行に至る場合などを指す。当に今の日本政治であろうか?ましてや、少し前の「みんなの党」や名古屋の「減税日本」、今の「大阪維新の会」などはアビリーンのパラドックスか?
 「アリストテレスのような天才と、どこぞの単なる馬鹿が共に同じ立場に立ってしまう民主主義とは、政治体制としては最低のものである。だが、他の選択肢に比べれば、マシである。」と言う言葉があるが、日本の民主主義もまた、その程度のものなのだろうか?

高齢者見守りネットワーク

2012-04-06 21:17:35 | 未分類
4月6日(金)

            

 写真のステッカーを見かけた方も少なくないと思う。これは麻生区で高齢者見守りネットワーク事業協力店舗に貼られたステッカーである。
 この事業は、セブンイレブン等地域の民間事業者と民生委員・児童委員、地域包括支援センター等が協力、連携し、高齢者を支援していく「安心見守りネット」加盟店を表示するもので、平成22年11月より開始している。
 この度、この事業を全市域開始することとなり、株式会社セブンーイレブン・ジャパンと「地域活性化包括連携協定」を締結した。
 具体的には、・店の外を歩き回り、家に帰れなくなっている。・支払いの仕方が分からない。・身体にあざや傷がある。・何度も同じものを買いに来る。・衣服が季節に合っていない。・話のつじつまが合わなかったり、何度も同じことを聞く。・・・等の高齢者を見かけたら、市内全域に店舗網を持つセブン・イレブン店舗スタッフが各福祉事務所、各地域包括支援センターに情報連絡すると言うものである。
 今までも民生・児童委員等の協力を頂きながら一人暮らし高齢者等の見守り事業を行ってきたが、現状民生委員の定数すら充足されていない実態がある。また、国においても特養等の箱物行政から、地域での生活に重点をおいた福祉施策に移行しつつあり、今年度から特養多床室の補助金が減額され、24時間訪問介護・看護へと移行している。
 こうした試みにより、異変ある高齢者等を地域全体で見守る体制整備の裾野が広がるメリットがり、住み慣れた地域でより安心して生活できるようになる。・・・と思う、が、本来はあくまで子どもが親(高齢者)の面倒を看ることを忘れてはならないと思う。家族が看れない面倒を地域が看るには限度があるし、税の平等性からも疑問である。

春爛漫

2012-04-05 18:20:38 | 未分類
4月5日(木)

 新年度最初の「大安」、真新しいランドセルを背負った新入学児の嬉しそうに手を引く母親と、カメラを片手に緊張気味の父親。今日は、公立学校の多くが入学式を迎えた。私の子どもの頃は、学校行事に両親揃って出席することなど極稀であったが、今では、両親は当たり前、祖父母まで出席すると言う。まぁ、それだけ「余裕」が出来たのか?
 このブログをお休みする前は桜の蕾も頑なに閉じていた。

                     

 わが家から車で7~8分のところには、樹齢100年は遥かに超えていそうな枝垂れ桜の古木が満開になっていた。
 そこから、坂を登と「桃の里」と呼ばれるところがある。

  

 桜の薄ピンクと桃の花の紅がかもし出す紅白のコントラストは、今日の入学式をまるで祝福しているようである。
 この桃畑の手前の坂道を下ると「尾作谷戸」と呼ばれる集落がある。私と同じ名前なので調べてみたのだが、名前の言われは未だによく分からない。ただ、この地は現在横浜市青葉区ではあるが、麻生区王禅寺の隣であり、柿生村が川崎市に編入される前までは、同じ都築郡であった。また、王禅寺村化粧面と共に石川村も徳川二代将軍秀忠の正室・崇源院(お江)の化粧料地であった共通点もある。わが家の近所には、志村谷戸、源左エ門谷戸等々元の地主や一族の名前に因んだ谷戸が多く存在する。この尾作谷戸に先祖が住んでいたと言う記録は無いが、「いたかも知れない」と想像するだけでも楽しい。まぁ、決して多くも無い私と同じ名前の地名が近所にあるのは悪い気はしない。