4月10日(火)
今日4月10日は「女性の日」だそうだ。何でも1946年の今日、戦後初の衆議院選挙で39名の女性議員が誕生したことに因んでの制定らしい。
女性参政権ではないが、麻生区周辺も様々な政治的な歴史を持つ。明治政府は、「万機公論に決する政体」を約束したが、一般国民の政治参加は認められていない上に、租税や徴兵の義務のみが活課せられた。国会を開き、国民が政治に参加する権利を得ようとする「自由民権運動」が日本各地で起こった。当時、柿生村の隣に位置する町田の野津田村は自由民権運動の中心地で、石坂昌孝、村野常右衛門等の指導者を排出している。
民権運動家は村の地主階級に多く、長尾村の井田文三、鈴木久弥、溝の口の上田忠一郎、生田村の河合平蔵、笠原己之助、松沢信太郎。柿生村では神藤喜平、中山作造、村野勇次郎等の名前がある。今では野津田の村野常右衛門屋敷跡に「自由民権史料館」がある。
当時、柿生・岡上村は、鶴川村、稲城村等とは小野路寄場組合以来、同じ神奈川県と言うこともあって、親しくしていた。ところが、明治25年、東京府知事が「三多摩郡の所管替」を内務大臣に申し出た。理由は多摩川の水源確保である。このことは、上水とは関係が無く賛否両論が入り混じり騒然となったと言う。紆余曲折を経て国会の委員会では、賛成4、反対5で否決。本会議で賛成133、反対120で成立したと言う。
この所管替が成立した背景には、神奈川県議会としても、自由民権運動の激しい南多摩郡を「お荷物視」しており、厄介払いしたかったとの見方もある。いずれにしても、自分の生まれ育った地域である。先達が築き上げてきた歴史を踏まえ、将来の街づくりへとつなげて行きたいものである。
今日4月10日は「女性の日」だそうだ。何でも1946年の今日、戦後初の衆議院選挙で39名の女性議員が誕生したことに因んでの制定らしい。
女性参政権ではないが、麻生区周辺も様々な政治的な歴史を持つ。明治政府は、「万機公論に決する政体」を約束したが、一般国民の政治参加は認められていない上に、租税や徴兵の義務のみが活課せられた。国会を開き、国民が政治に参加する権利を得ようとする「自由民権運動」が日本各地で起こった。当時、柿生村の隣に位置する町田の野津田村は自由民権運動の中心地で、石坂昌孝、村野常右衛門等の指導者を排出している。
民権運動家は村の地主階級に多く、長尾村の井田文三、鈴木久弥、溝の口の上田忠一郎、生田村の河合平蔵、笠原己之助、松沢信太郎。柿生村では神藤喜平、中山作造、村野勇次郎等の名前がある。今では野津田の村野常右衛門屋敷跡に「自由民権史料館」がある。
当時、柿生・岡上村は、鶴川村、稲城村等とは小野路寄場組合以来、同じ神奈川県と言うこともあって、親しくしていた。ところが、明治25年、東京府知事が「三多摩郡の所管替」を内務大臣に申し出た。理由は多摩川の水源確保である。このことは、上水とは関係が無く賛否両論が入り混じり騒然となったと言う。紆余曲折を経て国会の委員会では、賛成4、反対5で否決。本会議で賛成133、反対120で成立したと言う。
この所管替が成立した背景には、神奈川県議会としても、自由民権運動の激しい南多摩郡を「お荷物視」しており、厄介払いしたかったとの見方もある。いずれにしても、自分の生まれ育った地域である。先達が築き上げてきた歴史を踏まえ、将来の街づくりへとつなげて行きたいものである。