★昨日の「無人駅空間とわたしの魂の内側との関係」について、補足。 「(駅鉄として)修業が足りない」と書いたのは、昨日、朝、NHK・TV「ホリデーインタビュー」〈だからボクは母をかいた~政治学者・姜尚中さん~〉(番組解説=在日2世の政治学者、姜尚中さんが、自分の母を主人公に実話を元にした初めての小説を発表した。小説を通して見えてきたものとは何か。姜尚中さんが、ふるさと熊本で語る)――を観たことと関係があるかもしれない。
昨夜の天ぷらをレンジで温める。 お湯を沸かしてインスタントみそ汁を作る。 電気釜のご飯をよそる。 わたしには結構、たいへんな作業だ^^;。 また、その朝食を取り、その日のスケジュールを(ちょっとイライラ)チェックながらの視聴だった。 さらには、姜尚中氏の心のヒダを手探りしつつ言葉を発する姿勢に好感を持ながらも、大東亜戦争史観では相容れない立場の人物だという強い認識がわたしの根底にあって、わたしが一方的にブロッキングする厚い壁を隔てての視聴だった。 だから、番組中の映像も言葉も、すべて、わたしの外側を流れていった。 しかし、唯一の例外。 魂の内側に焼き付いた場面がある。 それは、ローカル線(たぶん熊本電気鉄道菊池線)の、どこかの駅で、姜尚中氏が、インタビューするアナウンサーといっしょにベンチに腰かけて談笑している場面だった。 そこを観たわたしは、ああ、いいなぁ~、こういう場面、こういう時空間は……と思った。 わたしは「(無人)駅鉄」であるかもしれないけれど、こんなふうに駅で、駅そのものではなく、駅から派生する身辺の瑣末、あるいは、駅にまつわる人生の片々について思考し、語る経験が不足している。(ま、こういう感じ方も番組の趣意からは外れているから、畢竟、外側に存在しつづけていることに変わりはないのだけれど^^;) くりかえす。 わたしには、駅で、駅そのものではなく、駅から派生する身辺の瑣末、あるいは、駅にまつわる人生の片々について思考し、語る経験が、圧倒的に不足している。(反面、バス経験は豊か^^;) 補足、以上。
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