★本日のテーマ(東日本大震災被災後の陸中八木駅)との関連で、昨日の記述を一部コピーすると―― 有家駅=魂の内側に向かって、もっとも強烈な初速度を与えてくれる無人駅。 陸中八木駅=魂の内側から外側への出口。「催眠術」になぞらえるなら、有家駅が「催眠術をかける」駅、陸中八木駅は「解く」役目の駅。(昨日の記述からの引用、以上) さらに、本日の話の展開に関連して少しだけ補足解説すると―― 有家駅で与えられた「初速度」の勢いにのって、有家浜から坂道を、魂の内側へとグングンのぼっていくと、国道45号線に出る。 これを北上する。 2キロほどで小子内に入る小道(元の本道)に到る。 この小道に入り、小子内を経由して、陸中八木駅に到着。 陸中八木駅から、上り八戸行の気動車に乗車する……。 この行程を、僕はここ10年のあいだに何度もくりかえした。くりかえしているうちに、僕の内に、有家駅=「催眠術をかける」、陸中八木駅=「催眠術を解く」という感性的認識パターン(←あとでもっと適切なことばをみつけたいm(_ _)m)が形成されたようだ。 以前、東日本大震災被災時に、「僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイント(=出発点)でありつづけた、鮫、陸中八木、有家、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里等の被災により……」という言い方をしたことがある。 有家駅も、陸中八木駅も同じく「現実と非現実の境を支えるポイント(=出発点)」であることに変わりはない。 ただ、感性的認識パターン上^^;では、有家が「現実から非現実へ」、陸中八木が反対に「非現実から現実へ」という方向性をもっている、といえるかもしれない^^;。 ★東日本大震災被災後の陸中八木駅。 一時、ネット上に「駅舎流失」という情報が流れていたが、新駅舎(2008/3完成)は流失を免れていた。 向かって左側の資材管理&WC棟は津波が突き抜けたようで、窓枠、扉が失われている。 反対側の待合室は元のカタチをとどめている。 旧駅舎だったら、危なかったかもしれない。 しかし、周辺の施設、フェンスは、すべてなぎ倒され、崩壊した。 海の青色を背景に白く美しい駅名標(ひとつの世界の果て、現実と非現実の境にある陸中八木駅の、いわば辺涯美の象徴)も、ひとつは中味を打ち抜かれ、ひとつは線路上に落下。 昨年の夏に訪れたとき、ピッカピッカにヒマワリ色だった保線車両は無惨に横転。 宿戸、陸中八木間の2つの鉄橋も大きく損壊した。 有家駅では線路が消えた道床(←八戸線の執念がこもっている)を一歩二歩と歩く僕を見出すことができたが、ここでは立ち尽くしてしまった。 たぶん僕が「非現実から現実への道」が閉ざされてしまったと感じているからだろう。 人の気配に振り返る。 駅前広場の桜の木の下に制服姿の女子高生がひとり駅を眺めていた。 ★関連記事 ・小子内浜の盆踊りの日、1920年の柳田国男の行程を一部追体験しようと、JR八戸線久慈行で有家駅下車。徒歩で北上し小子内到着。盆踊りまで時間があるので近くの陸中八木駅で過ごした ・盆踊りの輪には太鼓を含め約40人、輪の外に見物人が20人ほど。テープではないホンモノの歌い手の声にあわせ――わたし流にいえば、黙々と、憑依の域に突入して踊りつづける ・一瞬、フラれたのかと思ったが、少し時間がズレただけだった。時間つぶしに陸中八木駅をさまよう ・JR八戸線の宿戸駅・陸中八木駅間のキハ48の列車音です。ご用とお急ぎでない方は、ぜひ、お聞きください ・バンバン!!郷愁・陸中八木駅編 ←応援クリック、よろしく! にほんブログ村 にほんブログ村 ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
★気動車が無人駅に着く。 僕の場合、電車は想定していない。 無人駅といえば気動車だ。 プラットホームに降り立ち、遠ざかっていく気動車を見送る。 このとき―― 「遠ざかる気動車の速度」=「僕が、僕のうちに向かって駆けだしていく速度」。 無人駅は、僕に、魂の内側への初速度を与えてくれる、ま、いってみればパワースポットだ。 ★東日本大震災被災後、僕が気にしていたJR八戸線の有家駅と陸中八木駅は、僕にとって特別な無人駅だ。 どう特別なのかを語りだせば長くなる。 きょうは「魂の内側への初速度」に限定して、ひと言だけ述べる。 有家駅=僕にとって、もっとも強烈な初速度を与えてくれる無人駅。 陸中八木駅=魂の内側から外側への出口。「催眠術を解く」というが、有家駅が「催眠術をかける」駅で、陸中八木駅は「解く」役目の駅。 ★東日本大震災被災後、一刻も早く訪れなければ……と思っていた。 しかし、スケジュールの関係で、なかなか実現しなかった。 一度は、計画の前日に再び被災(余震)するという不運もあった。 昨日、往訪。 駅舎は無事だった。 しかし、窓も扉もない。 屋根の破風はボコボコだ。 プラットホームは踏切側(陸中中野方向)も反対側(陸中八木駅方向)も大きく損壊。 有家浜沿いの、陸中中野駅に向かっていく線路――僕の魂の内側では、2000年末、大阪・河堀口駅を発した、闇から闇を疾駆する深夜特急が、有家駅を出て、人生の夜の終わりを告げる朝の光を目指し、暗い海を抱く弓なりの海岸線に消えていく軌道)は、津波に押し流され、跡形をとどめていない。 踏切内のレールは踏切ガードで強固に保護されている。 しかし、踏切を出たところで45度の角度で内陸側に曲がっている。 浜辺の漁師小屋も完全に消滅。 秘境駅情報で「駅前に人家3軒/国道45号からは遠い/太平洋をダイナミックに眺望/締め切り可の綺麗な待合室/潮騒の音が静かに鳴り響く」と紹介されていた「人家3軒」は全壊。 山の稜線のカタチだけが変わっていない。 ★線路跡に立ち尽くした。 線路「跡」のカタチに手を触れると、意外と堅固だ。 八戸線の、あるいは深夜特急の執念だろう。 「このカタチのうえを、今、僕が歩いてやらなければ……」と思い、一歩、二歩と歩いた。 ★関連記事 ・JR八戸線・有家駅 空間軸上の茫漠&時間軸上の茫漠 ←応援クリック、よろしく! にほんブログ村 にほんブログ村 ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
◆2006空間軸上の茫漠&2010時間軸上の茫漠の関連で、2006過去記事をチェックすると―― 「職員室通信」(教職員対象) 「主任会通信」(主任対象) 「すこやかみなみネット通信(地域&保護者対象)」 「ブログのDIARY」等…… これらをガラガラポンの融合というのではなく、それぞれの特殊性は残して、共通部分を「ブログのDIARY」に移動する。 特殊性は極限まで削る。 そして「ブログのDIARY」という共通部分を限りなく拡大していこうという発想だ。 そのためには、「ブログのDIARY」が、どう変わらなければいけないか?ということだった。 ◆新しい枠組みの「ブログのDIARY」のメタファーとして―― これまで=鉄路と陸路でロンドンを目指す『深夜特急』(沢木耕太郎)のように、教育の世界(実践教育学・臨床教育学)を突き進むのだというイメージ。 今後=教育的日々の逡巡(精神がこじれる、からまる、こんがらがる、停滞する)を、「贅沢」「ゆたか」ととらえるイメージ。 ただし、それをどう具体化するかは、まだなにもわかっていない。(2006記から引用) ま、これが「2006空間軸上の茫漠」の概略だ。 「メタファー」には補足の必要を強く感じるが、きょうは、やめる。
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◆JR八戸線・長苗代駅3 いちばん上の画像は、長苗代の田園空間を「新幹線に間に合わなくっちゃ!」と爆走&激走する上りのキハ48。 2枚目は、下りのキハ48 3枚目は、わたしが、「精神の故郷は、ここ」「帰るところは、ここ」「ここが、原点や」と、音にならない声を聴き、涙ぐんでしまった長苗代の水路^^;。
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★JR八戸線・長苗代駅。 わたしの故郷は大阪市生野区である。 JR八戸線の話なのに、いきなり「大阪」を持ちだすのはヘンだが、感情の流れに即してキーボードを打っているので許してもらうことにして……。 その故郷・生野区のほぼ中央部を、南から北へと平野川(別称「生野運河」。これはわたしが勝手に命名)が流れている。 大和川分派点から第2寝屋川への合流点まで全長約17.4キロメートルだ。 大和川の支流には「佐保河の小石ふみ渡りぬばたまの 黒馬の来る夜は年にもあらぬか(大伴坂上郎女、万葉集)」の佐保川や、楠木正成の千早城脇を流れる千早川がある。 帰路、街灯だけが明るい運河沿いを、片方の手をズボンのポケットに入れて、フラフラと(左手をポケットに入れるのがクセ(*^_^*)。ポケットから手を出すと「フラフラ」が「テクテク」に変わる。大阪人の歩き方は「テクテク」と「フラフラ」の2種類しかありまへん……)歩いていると、流れに反射する街灯の光りが視野の端に入る。 その光りと水音が、半開きの自分の魂にゆっくりと侵入し、自分の一番深いイメージと溶け合って、どこまでもどこまでも流れていく。 音にならない声で、「精神の故郷は、ここ」「帰るところは、ここ」「ここが、原点や」と、つぶやくと、はずかしいけど、少し涙がこみあげてくる。 「夜の河は美しい虚像」と言った作家がいた。 『道頓堀川』の宮本輝だったかな? けど、生野運河は、もっとポジティブや。 魂の遠い深みから、今夜、この下町・生野区の底に至り、一本の運命のように黒々と流れていく……。(大阪の話、終わり) ここで話がやっとJR八戸線・長苗代駅界隈に戻る^^;。 豊かに実った稲穂と稲穂の間を貫く長苗代の水路を見つめていると、「精神の故郷は、ここ」「帰るところは、ここ」「ここが、原点や」という、音にならない声が聞こえ、涙ぐんでしまう。
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