大阪急行 無人駅線ブログ

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喫茶「キハ48」を再開店

2009-08-19 10:52:16 | ◆喫茶・キハ48 階上編


◆しばらく閉鎖していた、喫茶「キハ48」を再開店することにした。
 指を折って数えてみると、再開店は、半年ぶりである。

 喫茶「キハ48」というのは、なにか?

 みなみ在職中、休日の朝、近所の喫茶店(ホテル1Fの喫茶コーナー)で、ひとり、ポツンと瞑想する習慣があった。
 他の人と共に存在している。
 他の人の視線にサラされている。
 だけれども、独りぼっち……という空間だ。
 図書館の自習室も、これに似ている。
 映画館もそうかもしれない。
 わたしは、この状態を「開かれた孤独」といっている。
 日常空間と、完全とじこもり空間の中間で、日常のプレッシャーが適度に軽減され、わたしの場合、頭が冴えるのだ。

 あるとき、ふと、この空間(わたしの場合、近所のホテルの喫茶コーナー)を、そっくりJR八戸線乗車に切り換えてみたらどうだろうか?と考えた。
 街なかを、トロトロとローカル線が走っている。
 鉄道も大好きだ。
 一石二鳥ではないか。
 こうして実現したのが、動く喫茶店「キハ48」だ。

 喫茶「キハ48」の一時閉鎖から再開店までの半年のあいだに、(1)みなみ退場と、その後、(2)「自分のカタチ」がひしゃげて(新たにひしゃげたのか? ひしゃげていたものが元にもどったのか?は、まだわからないが)、自分が変異するという体験をした。
 この体験と、喫茶「キハ48」再開とは、密接不離の関係にあるにちがいない。
 どう密接不離なのかは、ひしゃげたかの、元のカタチにもどったのかと同じように、自分ではまだよくわかっていない。

◆はなむけ号(折りたたみ自転車)を本八戸駅の駐輪場にロックする。
 早朝なのに、自転車がたくさんあるのは、高校生たちが、夕方、学校が終わり駅まで乗ってきて、駐輪場に置いて、八戸線に乗って家に帰っていくからだ。

 切符の自動販売機前で行き先を決める。
 通常、喫茶「キハ48」は、本八戸駅→金浜駅→本八戸駅(往復680円)だ。
 しかし、きょうは、ひさしぶりだから、奮発して、本八戸駅→階上駅→本八戸駅(往復800円)にする。

 早めに駅に着き、プラットホームを行ったり来たりする時間は、大旅行の出発前と同じで、なんともいえない、ワクワクした気分になる。
 女性が1人、列車を待ちながら、携帯メールを打っている。

 もうすぐ、05:46発、久慈行きの列車がやってくる。

 なお、大部屋の教職員室も、開かれた孤独空間に似ていなくはない。
 わたしは教職員室が好きだ。
 大部屋人生もいいもんだと思ってきた。
 しかし、同僚や生徒の視線は「他の人」の視線のように、サラッとはしていない。
 だから、好きな空間だけれども、「開かれた孤独」空間とはいいにくい。



◆では、通常の喫茶店(近所のホテルの喫茶コーナー)と、喫茶「キハ48」とは、まったく同じなのかというと、ま、わたしが求める「日常の負荷が軽減された、思考が活性化される、開かれた孤独空間」に至ることができるという点では同じだが、やはり、精神的な作用は、微妙に違うものがある。

 喫茶店のほうは、ドアの前に立ち、ドアを開けると、喫茶店の内部に封印されていた、ドアを開ける直前(=現時点)とは異なる時代の空気が、パァーッと顔をうってくる。
 ある日、ドアをあけると、ドアの向こう側は、土手町から少し入ったところにあった(今もある?)喫茶「ひまわり」だった。
 入口近くの階段を2階にあがる。
 2階の奥の席では、既に同人雑誌の仲間たちが集まっていて、侃々諤々、編集会議をやっている。
 『コップのなかの嵐』の宣治がいる。
 『現代狂詩曲』の今井がいる。
 『夜明けの汽車』の田中がいる。
 そして、このページでおなじみの「おっさん」(←もちろん、今の「おっさん」ではなく、学生時代の「おっさん」)もいる……というような日もある。
 ドアの内側の空気が、いつも、懐かしい空気ばかりとは限らない。
 悲しく切ない空気もある。
 ま、悲しく切ない空気も、悪くはない。

 まとめると、「日常の負荷が軽減された、開かれた孤独空間」+「現時点とは異なる、過去の時代の空気」ということになる。



◆喫茶「キハ48」のほうは、これとはちょっと違うところがある。どこが違うのかというと……といっているうちに、1番列車が2両連結でやってきた。
 05:37八戸発、久慈行きだ。

 1両目先頭の停車位置に立つわたしの前のドアが開く。



◆1両目に乗り込む。

 座席をさがすフリをして、車内を観察する。
 乗客は、わたしを入れて、4人だ。

 真ん中あたりのクロスシート(4人掛けボックス)に、高齢の女性が、身体を横たえ、荷物に顔を埋めている。
 わたしが座ろうとしているクロスシートのすぐ後ろの席で、遠来の旅人らしい男性が、大きなリュックを脇に置き、黒い靴下の両足を前のシートに投げ出している。
 わたしといっしょに本八戸から乗車した女性は、最前部のロングシートで、乗車前から打っていた携帯メールのつづきを打っている。



 ドアの閉まり、気動車の加速音がうなりをあげる。
 線路の継ぎ目を刻む音が響き、風景が流れ出す……。
 間隙率=90%以上のスカスカの空間が疾走する。(満席状態の疾駆も、きらいではない。)
 クロスシートで揺られていると、ああ、至福の時間だ……と思う。
 ひょっとすると、これが、自分が望んでいた人生のゴールなのではないか?……という気さえしてくる。

 プラザホテルの最上階レストラン。
 ケアハウス華物語の緑の屋根。
 高架駅・小中野(乗客0)
 八戸セメントの巨大タワー(76メートル)と施設群。
 新井田川河口の柳橋。

 流れる風景を支離滅裂につなぎあわせていると、自分の心とからだが分離していくのが、はっきりとわかる。
 心は日常の円周内にあるが、からだのほうは円周の外に出て行く。
 そして、足の下にあるのはどこか?という感覚が、徐々にマヒしていく。
 ま、まだまだ他にもあるけれども、この分離感覚が、喫茶「キハ48」の特徴の1つといっていいだろう。

◆06:24 階上駅到着。


 到着と同時に、上り八戸行きの列車が出発する。
 わたしが乗ってきた下り列車は、この駅で、もう1本上り列車を待つため、06:54の発車まで、30分間停車する。
 (わたしは、その「もう1本の上り」に乗るつもり。)



◆階上駅前の広場。
 おお、前方に、2005年に撤去された腕木式信号機が、そそり立っている。
 うしろから足音が近づいてきたので、振り返ると、あの遠来の旅人らしい男性も下車してきて、腕木式信号機を眺めている。
 リュックは背負っていないから、車掌に断って途中下車してきたのだろう。(階上駅は、2005年12月から無人駅。)


◆小さな展示室があって、その中に、かつて1番ホームにあった転轍器が保存されている。

◆広場の花と、駅舎と、停車中のキハ48。
 右側の小屋はトイレ。

◆駅員の体型がいい。
 ここに顔を入れて、記念撮影すると、あこがれの、あの人物になれそうな気がして、デジカメのシャッターを切ってくれそうな人物をさがしたが、だれもいない。
 いつまでまっても、だれも来ない。
 いっしょに下車した、遠来の人物は、さっきまで広場に掲示された街の案内板等をみていたが、もう乗車してしまったようだ。
 仕方がない。
 顔なしのまま、パチリ、パチリ。

◆人気のない、朝の駅前通をひとりで歩いていく。

 さっき、心とからだが分離し、足の下はどこか?という感覚が消滅するのが、喫茶「キハ48」の特徴だといったが、もう1つ、その足下の感覚が怪しいまま、見知らぬ異空間を、彷徨することができるという特徴がある。
 このときの靴底の感覚&感触が、なんともいえない(^_^)v。(ことばで説明するのが、ばからしいので、説明は省略m(_ _)m)

◆お菓子屋さんのショーウィンドー。
 かつてお菓子屋さんだったといったほうがいいのだろうか?
 志塚Tが好みそうな画像だ。

◆美容院。


乱氏の十和田観光電鉄・七百駅「夏休みだ!かぶと虫電車に全員集合」

2009-08-19 10:22:29 | ◆乱氏の十和田観光電鉄・かぶと虫列車

◆十和田観光電鉄は現在(~8/22 午前10時~午後3時)、七百駅(六戸町)構内に留置されている車両内で、カブトムシを展示して「夏休みだ!かぶと虫電車に全員集合」というイベントを開催している。

 このイベントは十鉄電車に乗って七百駅会場へ来てくれた人だけの限定企画だそうで、列車での訪問でないと駅訪問と認めない、わたし向きの企画だ。

 イベント内容の概略は次の通り。(どういうわけか、十和田敢行電鉄のホームページには一切情報がアップされていない)

(1)かぶと虫車両の見学
(2)車両工場の見学(七百駅は十和田電鉄の車両基地)
(3)運転席での記念撮影
(4)鉄道グッズプレゼント

 さっそく、わが畏友、乱氏が「かぶと虫」列車に潜入し、研鑽を積んだたようだ。

 先日、喫茶「キハ48」は、日常空間と、完全とじこもり空間の中間で、日常のプレッシャーが適度に軽減され、思考が活性化される……と書いたが、わたしにとっては、乱氏の旅姿に接するのも、同じ効果がある。






 乱氏によると、昨年までは「下車の際、乗務員へ『かぶと虫』と伝えていただきますと乗車券または整理券を回収いたしません」ということだったが、今年はルール変更で、「かぶと虫」不可というか、ムシだそうだ。