◆JR八戸線・長苗代駅。 八戸駅と本八戸駅のあいだの無人駅。 八戸駅側には田園地帯が広がっている。 これに対して、本八戸側には市街地が広がっている。 ちょうどその境に位置する。 駅舎は八戸線の中でいちばん小さい。 田園地帯をバックにすると、しっかりと自然に溶け込み、美しい風情を醸しだす。 市街地をバックにすると、キラキラ光る、ちょっとオシャレなバスストップという感じになる。
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★鉄道ファンの分類例として、車両鉄・撮り鉄・音鉄・模型鉄・蒐集鉄・乗り鉄・時刻表鉄……等が、よく紹介されている。 だだ、どれかの分類項目にピッタリと収まるという鉄道ファンは少ない。 撮り鉄といえば、撮り鉄……、また乗り鉄といえは、それもそうかもしれない……という感じで、鉄道に関することならば何にでも興味があるのだけれど、ま、強いていえば、これかな?という感じだろう。 わたしも同じだ。 どれにも少しずつかじっている。 そして、強いていえば、駅舎鉄、その中でも、無人駅鉄で、とりわけJR八戸線の無人駅に強い興味関心をもっているということになる。 ★JR八戸線・陸奥白浜駅のプラットホームは、盛り土をしてコンクリートで固めたのではなく、鉄骨の上にコンクリート製のプレートを並べた構造だ。 だから、プラットホームを歩くと、靴底から、やわらかい、弾むような感触が身体全体に伝わってくる。 この画像を撮った日は、実は、下駄で行った^^;。 歩くと、カランコロンではなく、グウォ~ン、グウォ~ンと響いた^^;。
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★JR八戸線・陸奥白浜駅2 江藤淳が『成熟と喪失~母の崩壊~』で――そうそう、けさ、ニュースをチェックしていたら、めずらしく、この「江藤淳」の名が飛びこんできた。以前(10年以上前)、江藤淳が、新進党党首の小沢への批判が渦巻く中、小沢に対して「帰りなん、いざ 小沢一郎君に与う」と題したコラムを発表したことがある。粗くいえば、議員辞職して故郷の水沢(現岩手県奥州市)へ帰り、捲土重来を期してはどうかという内容だった。 それを覚えていた自民党の小池百合子総務会長が、記者会見で、小沢一郎に対して「江藤淳さんが『水沢へ帰れ』と言った論文を今一度読んでいただきたい」とコラムの再読を勧めた……というのが、けさのニュースの文脈だ。 話を戻す。 江藤淳が『成熟と喪失~母の崩壊~』で、安岡章太郎(海邊の光景)、小島信夫(抱擁家族)、遠藤周作(沈黙)、吉行淳之介(星と月は天の穴)、庄野潤三(夕べの雲)を媒介に(畢竟、「演奏」して)、江藤の世界を(結構、強引に、アクティブに)創りあげている。 わたしの「WEB無人駅線・JR八戸線」も同じ伝なのだ。 わたしは、JR八戸線の無人駅を紹介しようとしているのではない。 JR八戸線の各無人駅を媒介に(畢竟、「演奏」して)、わたしの世界を(結構、強引に、アクティブに)創りあげたいのだ。 ただ、そのためには、強固、堅固な、不動のテーマ(ある意味で「code」)が必要だ。 このことに、毎日、ぐらついている(ノ△・。)。
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★JR八戸線・陸奥白浜駅。 ずっと以前、はじめてこの駅に降り立ち、この画像と同じ角度で、プラットホームを見渡したとき、思わず、口のうちで「日本一の無人駅!」と叫んでしまった。 プラットホームに立っていると、詩句&音楽が聞こえてきた。 ――〈踏切を過ぎ 野草の咲くホームに 電車は 青空は停まった ホイッスルに 風が走りだして 写真が 遠い日が散って 橋を渡り 日没の水平線に 線路が 消えてゆく〉(仁科源一の「春彼岸」)
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★陸奥湊駅は、プラットホーム(1面2線)は地上にあるから地上駅だが、出札事務室、みどりの窓口、待合室等は橋上にあるので橋上駅でもある。 その橋上部分から階段を降りると、朝市で賑わう駅前風景がひろがっている。 10代後半から今日に至るまで、自分の身の振り方だとか、文字と文字をつなぎ合わせて、どんな世界を構築するかとかについて、考えなかった日は、たぶん1日もないと思う。 こういう問題と、橋上駅を降りたところにひろがる陸奥湊駅界隈の世界とは、どういう関係にあるのだろうか? 仮説として先に、「急に(無人駅人間が)こういう(立派な)駅にやってきたというのは、要するに、自己の時間軸上のアイデンティティが崩壊しかかっているということではないか?^^」;と述べた。 これを拠りどころに考えるとすれば、「自己の時間軸上のアイデンティティが崩壊しかかっている」から、(くどい表現になるが)時間軸上に「帰郷」先を失った魂が、仕方なく、やむをえず、空間軸上に「帰郷」先を求めて陸奥湊駅にやって来たのか? いや、そうではなく、あくまでも、時間軸のアイデンティティを再構築するために、陸奥湊駅に来たのか?(たねあかしをすれば、わたしの帰郷の対象である大阪市生野区に、ここは酷似している^^;。) とにかく駅舎を飛び出してみよう。
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