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世界遺産と熊野地方(27) 熊野古道・「滝尻王子」

2008年02月26日 12時09分04秒 | 世界遺産の熊野地方
滝尻王子と乳岩のお地蔵さん

世界遺産と熊野地方(27) 熊野古道・「滝尻王子」

ところで、今日は南紀旅行の最後の日となった、本日の予定コースとしては、中辺路から田辺に抜けて御坊、和歌山から関西空港を経て、帰路を辿ることになるが・・、

昨日往来した国道311号線を再び西下する。 
小広のトンネルを抜けると「小広王子」で、ここからは古道、旧国道、新道が概ね並行している。 昨日見物した熊野古道の「中辺路」のハイライトともいえる格式の高い王子や旧跡が数多く残されていた地域であった。
熊野古道は、「道の駅・中辺路」付近の逢坂峠(国道はトンネル)で国道と交差し、再び北側の山中の地へ分け入る。 
国道は、冨田川の川沿いを走り栗栖川、中辺路の山あいの町から滝尻へ至る。 ここで再び古道と国道が接近し、ここに「滝尻王子社」が鎮座している。

滝尻王子は、周囲がやや開けた国道の富田川と、東から流れ込む石船川が合流する所にかかる滝尻橋の袂にある。 立派な鳥居と参道奥の森の中に、社宮が鎮座していた。 
又、小橋の向こうに八角とんがり屋根の「熊野古道館」があった。 古道館は、熊野古道を中心とした中辺路の観光案内や歴史紹介を兼ねた休憩施設がある。

滝尻王子の社宮は五体王子の一つとして尊ばれ、鎌倉・室町期の笠塔婆や宝篋印塔(ほうきょういんとう:供養塔・墓碑塔)があり、また奥州平泉の藤原秀衡奉納と伝えられる黒漆小太刀(国重文)を蔵しているという。
本宮参りで平安貴族・藤原宗忠が、「はじめて御山(熊野権現)の内に入る」と記していて、 滝尻王子に始まるこのコースからいよいよ熊野三山の神域に入るといわれる。 
又、富田川で禊(みそぎ)を終えると、この滝尻王子に参拝して、神道、仏教の宗教儀式の後、神楽や相撲、歌会などの奉納も行われたといい、特に、後鳥羽院が主催した歌会の折に、藤原定家など当時を代表する歌人が和歌を詠んだという記録も残っているという。 

滝尻王子社の左脇から、山中へ向かう熊野古道の階段が伸びている。 
サンダル履きの上さん(妻)をであったが、何とか無理して「乳岩」まで登ることにした。 急斜面であるが、道はシッカリしていて歩きやすい、凡そ20分ほどの登りで古道に沿って横たわる巨岩があった。
それは人一人がやっと通れる程の穴があいていて、これは「胎内くぐり」ともよばれている。 又、胎内くぐりの大岩の上方に、奥州平泉の豪族・藤原秀衡にかかわる伝説の乳岩があった。 
昨日の「継桜王子」の項でも記したが、藤原秀衡夫妻が熊野詣での途中、夫人がここで産気づいて男を出産し、この岩穴に残して参詣をすまして戻ってきてみれば男子は、オオカミに守られて、岩から滴る乳を飲んで成長していたと伝えられている。 
それにしても、赤子を置き去りにしたり、オオカミに育てられたり・・と現実離れした伝承であるが、これら裏側にある事実の説話は何なのか興味深いところでもある・・。


次回は、 「安珍・清姫物語」