日本の旅の記録です・・!!

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平成日本紀行(127)南小国 「日田往還道」

2016年07月10日 17時32分53秒 | 長崎、熊本県


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです





『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
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 平成日本紀行(127)南小国 「日田往還道」 









http://file.ryuudesu.blog.shinobi.jp/resize164301.jpg






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自然資源と地域振興を成し遂げる町・・、


バックミラーに映る阿蘇が次第に遠ざかる。

この街道、国道212号線は別名「日田往還道」と称し、古(いにしえ)の道でもある。
今、南小国町であるが、このまま小国町から杖立(杖立温泉)、大山川の清流を北上すると、その日田に出る。 

大分県日田は「日田市」という呼び名より、「天領日田」といった方が聞こえがいいらしい。


「日田」は周囲を1000m級の山々に囲まれた盆地で、山紫水明・「水郷ひた」として広く親しまれている。
歴史的には、安土桃山時代に豊臣秀吉の直轄地として栄え、その後、江戸期には天領として九州の政治・経済の中心的役割を果たし、それと同時に独自の町人文化も華ひらいた。

日田は全国に知られた木材・日田杉の町でもある。
筑後川上流の自然環境に恵まれた広大な林業地に日田杉が植林され、日田地方の主要産業でもある林業、木材業は日本の伝統的な木造建築を支えてきた。


因みに、「天領」とは江戸幕府直轄の土地のことで、日田は九州管内の6カ国の天領を統括し、幕府・代官所も置かれた所でもある。そのため九州の小京都と言われ政治・経済・文化の中心地として栄華を極め、日田への道路も整備された。

その日田往還は日田を中心に福岡、久留米、中津、別府、阿蘇・熊本方面などへのルートがあり、現在の九州における「国道の原型」にもなっているという。
往還は肥後・熊本藩主が参勤交代に利用した道で、熊本から小国を経由して大分県の鶴崎まで通じ、そこからは船で瀬戸内海を通ったという道でもある。

平成17年3月22日には、日田郡の前津江村、中津江村、上津江村、大山町及び天瀬町と合併し新「日田市」として発足している。

その中津江村は2002年の日韓FIFAワールドカップ開催前、アフリカのカメルーン国の関係者が「カメルーンの景色と似ている・・!」としてキャンプ地に指定、来日が遅れた事で更に注目を浴び、今や日本一有名な村として知られる。

カメルーン国・来村を記念して「思い出のカメルーン・中津江村」とネーミングした麦焼酎なども売られ、人気を博しているという。 現在は、日田市に編入されている。


次回、「日本で最も美しい村」

  
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平成日本紀行(126)阿蘇 「外輪山・大観峰」

2016年07月09日 17時02分16秒 | 長崎、熊本県


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
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 平成日本紀行(126)阿蘇 「外輪山・大観峰」   、





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b2/Mt.Aso_and_caldera01.jpg/1024px-Mt.Aso_and_caldera01.jpg
大観峰の眺め




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/00/Mount_Aso_kabuto-iwa_viewpoint.JPG/1024px-Mount_Aso_kabuto-iwa_viewpoint.JPG
正面が外輪山の大観峰、麓は内牧地方、




daikan






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昭和天皇が阿蘇を訪れた或る時、係りの者が「あちらに見えますのが阿蘇でございます」と説明した。すると口癖の「あっ、そう」と答えられたという、それが計らずもギャグになり陛下も気が付いて思わず苦笑されたという・・!




再び、県道11号を走る。
はじめは市街地の道であるが次第に田園地帯になり、やがて、 森の中をヘアピンカーブで阿蘇外輪山を登り、登り切ったところに城山展望台が在った。 

先ほど来た道筋を目で追ってゆくと、阿蘇山にたどり着く、中岳の白い噴気が緩やかに風に靡いていて実に望洋たる風景である。 
大草原の道・県道11号は、その名も「やまなみハイウェイ」といって大分県の九重・飯田高原から湯布院、別府へ到る。 強いて言えば熊本から阿蘇を経由する一大観光高原ルートなのである。


小生は此れより外輪山の大観峰から今人気の黒川温泉へ向かうこととする。
この旅の目的は日本海道一周であったはずである・・?、
その通りであるが、何故内陸へ・・?、

実はこれより別府へ向かって、そこで3~4日別府の温泉で旅の疲れを癒し逗留をするつもりなのである。 

又、他の理由もあって、数日後に(6月10日)妻及び娘家族と鹿児島で落ち合い合流するつもりなのである、その為の日数調整でもある。



先へ進もう・・、
草原の中の道が“これでもか”・・、というくらい続く。 
しばらくして「やまなみハイウェイ」の県道11号・ 別府一の宮線とは分かれて左へ進むようになる。 

幾つかの牧場を通り過ぎる、所謂、牧歌的風景とはこんな所を指すのだろう、ドライブ好きにとっては、まさに「生き天国」のような道である。 
爽風を感じながら鼻歌気分で、走っている内に「大観峰」へ着いたようだ。


山頂にはかなり大きな駐車場が在り、阿蘇でも人気、有名スポットであることが判る。 
横には立派な売店も用意されていて、この先にピークの展望地が設えてあった。 

大観峰からの眺めは余りにも有名で、先ず、何と言っても世界一といわれるカルデラの真中に悠然と横たわる阿蘇五岳の姿であろう。 
その雄大さは、お釈迦様の涅槃の時の寝姿を思わせるところから、涅槃像(ねはんぞう)とも呼ばれている。 

確かに、東側を頭に仰向けに寝ているようである。 
顔の部分が東に位置する根子岳で、首の部分が日ノ尾峠と凹み、胸が最高峰の高岳、中岳と並び、膝のところが烏帽子岳あたりに相当するのではないか・・、と勝手に想像しているが。

直下には、田園の中に阿蘇で最大の温泉地・内牧温泉郷が望める。 
夏目漱石や与謝野鉄幹・晶子夫婦もここに投宿したという昔からの温泉地で、設備の整った大型ホテルや旅館など大小の宿が30軒余りある。

泉質は含石膏芒硝泉で、神経痛・リュウマチ・創傷に効能があるそうで公衆浴場も9軒余りあり、入浴料もだいたい100~400円程度で良心的なのが良いと。 
阿蘇周遊の途中に立ち寄るのに良さそうだである、この地から国道212号が曲折を繰り返しながら大観峰まで達している。振り返ると九重の連山も一望できる。 


その雄大な眺めに感動した文豪・徳富蘇峰(熊本を代表する文豪、歴史家、言論人で、太平洋戦争では開戦論者として民衆を鼓舞し開戦へ導いたとも言われる。弟は作家・徳富蘆花)が「大観峰」と名付けたと言われる。 

余分であるが、「大観峰」というのは同意同語で北アルプスの一角、後立山連峰と黒部湖の大パノラマを眺望する、所謂、「黒部立山アルペンルート」のルートの一角にも在ったが。
眺望を意のままにして大観峰から去る。



阿蘇外輪山を下りながら思い出したことがある。 
昭和天皇が阿蘇を訪れたとき、「あれが、阿蘇です」と説明したところ、「あ、そう」と答えた逸話がある。

昭和20年8月、日本が終戦を迎え、国民は失意のどん底に居て、明日への気力を亡くしていながらも米軍はなぜ広島と長崎に原子爆弾を落としたのか、ソ連は何故急に日本に参戦したのか等々冷静に観察しながらも、一方では全国の町村役場では執務が続けられ、交番が普通に機能し、治安は維持され更に、鉄道は時刻表にしたがって運行していたという。 

国土が目茶目茶になって国民、一般人は思考は尋常ではなく、ある種の空白が生じていた。
しかし、日本人の生活意識はしっかりしていたらしく、そのことは世界の常識から見れば驚くべきことであったらしい。


こんな混乱の時期、天皇陛下は戦後の復興のために働いている日本国民を励ますため、日本全国の津々浦々を巡幸し遊ばされたのである。

余談だが、岐阜・高山では人口三万の市に、陛下をお迎えする人々が近隣の村々から18万人もの人々が前の晩から押し寄せ、旅館が無いので市長は映画館を終夜開放斡旋したという話もある。 
又、小生幼少の頃(現、福島県いわき市湯本)、お召し列車(天皇の巡幸列車)が常磐線の湯本駅に到着した際、日の丸の小旗でお迎えし、尚且つ、陛下は親父の勤務していた会社「品川白煉瓦」を訪問され、その時の記念写真を見せてもらった記憶もある。 

そんな中、陛下の九州巡幸は昭和24年の5~6月にかけて27日間に及んだという。


一般に天皇は何か説明を受けると「あ、そう」と連発することで有名であったらしい。 
陛下が阿蘇を訪れた或る時、係りの者が「あちらに見えますのが阿蘇でございます」と説明した、すると口癖の「あっ、そう」と答えられたという。 
それが計らずもギャグになり、陛下も気がついて思わず苦笑されたという。 

陛下が阿蘇に来られて、何時、何処で、このギャグをとばしたかは定かでないが、県道11号線のやまなみハイウェイの阿蘇外輪山の「山城展望所」へ御立ちになったことは確かであるという。

又、「あの草は何というのか」と御下問されたときに、「陛下、あれはただの雑草です」と答えたという、そしてその人物に向って「雑草という名の植物はない」と窘(たしな)められたともいう。

因みに昭和天皇は生物学者でもある。 
植物や海洋生物の研究にも力を注ぎ、植物学では那須周辺や皇居、伊豆の植物群の研究、海洋生物では特に相模湾のヒドロ虫類(クラゲやサンゴ、イソギンチャクの仲間)に造詣が深く、皇居内に生物学御研究所が建設されているほどである。 

昭和4年、粘菌研究(枯れ木・枯れ葉などの表面にアメーバ状生物:原生動物)の第一人者である南方熊楠より進講を受けられ、粘菌研究でも一流といわれる。 
これまで単独、或いは共同研究で多数の研究書籍を出版・発行している。


次回は、「南小国町

  
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平成日本紀行(126)阿蘇 「阿蘇神社」

2016年07月09日 16時57分10秒 | 長崎、熊本県

九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
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 平成日本紀行(126)阿蘇 「阿蘇神社」  、











写真:阿蘇神社本殿と楼門




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阿蘇山が火の神の象徴で、その祭神が・・、

宮地の駅前を左折して県道11号線に入った先に、一の宮の「阿蘇神社」へ出た。
境内の一角に駐車場があり、ほぼ正面に威風堂々の門が構えていて、まずその大きさに驚く、「楼門」と言うらしい。 

大楼門は全体の造形美に加えて屋根下部の細かい彫刻もすばらしく、日本三大楼門(他に茨城県の鹿島神宮、福岡県の箱崎宮)の一つとされ、屋根は二層式で正式には「二層楼山門式」と云われる。 
くぐり通路の上には巨大な注連縄(しめなわ)が飾られ、上部には金文字の大額が「阿蘇神社」と標している。

この文字は、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう:明治維新戦争時の官軍総大将・東征軍の軍歌「宮さん、宮さん、お馬の前で・・・」とは親王のことを指す)の御筆によるという。
高さ21mの2階建造り。


楼門をくぐり境内へと入ると格式、風格ある社殿が鎮座する。
先ず、本殿正面の参拝殿に額ずく。左右を見渡すと社殿の数が多い、その数なんと12神の祭神を祀ってあるという。

主神・一宮が健磐龍命(タテイワタツノミコト:阿蘇大神)、二宮が阿蘇都媛命(アソツノヒメノミコト:阿蘇大神の妃)、・・・。

日本の初代天皇である神武天皇(紀元前660年即位)の孫にあたる健磐龍命はこの阿蘇の地に新天地をつくったとされ、創立は孝霊9年(紀元前282年)と言われる。

阿蘇神社は、阿蘇開拓の祖と言われ歴史、格式とも申し分ない神社である。
健磐龍尊は現在の京都府である山城国宇治から阿蘇に来たとも伝えられ、神武天皇の勅命により阿蘇に下って鎮西鎮護の大任を果したとされる。 

健磐龍は健々しく岩が立つ状態を神格化したもので、“立つ”とは自然現象が急に出現する状態を指し、阿蘇山が噴火して火を噴き、火山弾が降ることで阿蘇山に対する霊異から「火の神」とも言われ、この地方を広く「火の国」とも称したという。
又、水神・治水の神の自然神とも見られ、国造り、農業の神として崇められている。

その昔、阿蘇の大爆発で裾野のを残して大陥没を起こした。やがてそこに水がたまり、外輪山の中は一面湖水で覆われてしまった。
健磐龍命はこの水を流して作物の取れる豊かな国にしようと考え一蹴りされると、山は一気に崩れて大きな穴があき、水は勢いよく外へ流れ出した。
その為か、今は緑豊かな田園が広がる肥沃な地になっているという。



阿蘇神社の参道は拝殿に向かわずに、阿蘇山(高岳・・中岳)に向かって拝殿の横(西方)を真っ直ぐ南方に伸びている(阿蘇神社は全国的にも珍しい横参道という)、つまり、本来の祭神は阿蘇山であるとも言われ、又、阿蘇山-阿蘇神社の北方の延長上に「国造神社」がある。

この阿蘇山-阿蘇神社-国造神社の南北の一直線を“聖なるライン”と言われてる。
国造神社(こくぞうじんじゃ)は別名・北宮ともいい、阿蘇神社の北約4㎞の地点で外輪山の内側麓に鎮座している。
この国造神社と阿蘇神社の直線上に阿蘇五岳の中岳が位置していて、聖なるラインと言われる。 
祭神は健磐龍命の第一子・国造速瓶玉命(クニノミヤツコハヤミカタマノミコト)といわれ、社は延喜式には905年創建と書かれている。


阿蘇神社の末社は全国450社を超え、その殆どが熊本県内に存在しているが、明治に定められたの社格の制度では官幣大社(かんぺいたいしゃあ)という最上位の神社に位置していた。
社殿は総欅の白木造り、「阿蘇式」と呼ばれる他に類のない様式であるという。

楼門を出て横へ行くと、確かに門前横丁と言われる「横参道」(聖なるライン)商店が並び、中には昔の面影を残す粋な建物も並んでいる。


次回は、阿蘇・「大観峰

  
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平成日本紀行(126)阿蘇 「中岳」

2016年07月07日 21時45分01秒 | 長崎、熊本県
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 平成日本紀行(126)阿蘇 「中岳」   、



写真:阿蘇中岳火口、エマラルドグリーンの火口池が望まれる。



中岳火口の有毒噴煙が激しく、見物人に突如退去命令が出る。



河口付近は果てしなく続く「砂千里」の砂漠



登山道路付近の牧草地で、放牧牛がのんびり草を食む




阿蘇の噴火は大明神の怒り、神霊の祟りとして畏れられた・・、

中岳の火口へ向かう。 
途中、火山灰の台地の草原にピンクの色彩が鮮やかになってきた、「ミヤマキリシマ」であった。
この花木は5月下旬~6月上旬が開花時期で、この付近から阿蘇山周辺は30万本のミヤマキリシマの大群生があるという。 
特に、ここから反対側斜面の「仙酔峡」のミヤマキリシマが有名らしい。 

ここには多くのトレッキングコースも沢山あり、満開の中を散策できるという。
阿蘇山公園道路(有料)のゲートを抜け火口に向かう。 

公園道路に入ってからはそれまでの景色とは一変して、植物が育たぬ荒涼とした大地に変わる。 
あまりの風景の変わりように驚きながら進むと、もうもうと噴煙を上げる中岳噴火口にほど近い広大な駐車場に着いた。

車を降り噴火口に歩いていくとそこには想像できなかったスケールの景色が広がっていた、 まさに地獄の絶景とでも言おうか・・?。 

活発な噴火活動を続ける中岳、白い煙をあげる火口周辺は、溶岩の露出したダイナミックな山肌を望む荒涼とした風景が広がっている。
火山灰質砂と噴石からなる砂漠を思わせる地帯には、克っての火口であろうか溶岩や火山灰の重なりが、火山噴火のすさまじさを思わせる。 
ここは確かに阿蘇のクレーターであり、月面を歩いている気分になる。この一帯を草千里ヶ浜に対して「砂千里ヶ浜」と称しているのが面白い。


管理棟のスピーカーから、火口見物時の注意項目を大声で流している、有毒の火山性の硫化水素ガスの発生状況のことであろう。

大駐車場から中岳の大火口へ向かう、木の柵からから眺める火口は地獄そのもので、その地獄の各所から濛々と白煙が噴出している。
これが有毒ガスを含む火山噴煙であろう。
風向きによって右へ左えと吹き流されている。この噴煙の流れが手前側に吹き込んでくるようになると見物策からは撤退させられ、駐車場の安全地帯まで下がらなければならないそうだ。 
阿蘇山の火口は新旧、大小取り混ぜてはっきりした数が判らないほど有るらしく、無論阿蘇山系で現在、未だに活動を続けているのはこちらの中岳の火口だけである。
火口の直径は約600m、深さ約130m程あり、吹き上がる溶岩の温度は1000度~1200度に達するという。

火口には池もあって、青緑色とでも云おうか鮮やかな色合いを呈している。
これは強酸性の池に金属(鉄、銅その他)が溶け込んでいるからだろう・・?、それにしても噴煙上げる活性の火口に、これだけ神秘的な火口湖があるのも珍しいのでは・・?。 

中岳火口にはカメラや地震計が設置され,24時間体制で観測が続けられている
次に、火口より左手の高台に展望台があり、そちらへも立寄ってみた。荒涼とした砂千里から遠くは草千里の緑まで、そして正面には烏帽子岳の勇姿が裾野を延ばしていた。
周囲も素晴らしい絶景である。



周囲の展望を楽しんでいる時、突如として警報が鳴り出した。
係員が河口付近にいる観光客、見物人を慌てて非難させているのである。

気が付くと確かに噴煙の風向きが見物エリア、駐車場の方向へ向かってきているのである。
小生達も取り敢えず駐車場の所まで避難させられた・・。


阿蘇山中岳火口からは主に二酸化硫黄が発生している。
あの咽る(むせる)ような強烈な悪臭を放つガスである。

二酸化硫黄は亜硫酸ガスとも呼ばれ、不快で強い刺激臭を与え、呼吸困難を引き起こし、長引けば呼吸停止による死に至ることもあるとも言われる。

阿蘇火口の防災では、ガスの濃度と風向きによって五つのゾーン区分による立入規制を行なっているようで、規制が行なわれた際は監視員の指示に従わねばならない。 
特に喘息、気管支系疾患、心臓疾患の方は、低濃度でもこの症状が起るので、このような人達は火口見物は遠慮したほうがよい。
観光をしている最中にもガスの発生などにより、退避命令が出ることもある。 

丁度、今がその時であった・・!!








 平成日本紀行(126)阿蘇 「肥後の赤牛」   





阿蘇山は複式活火山と呼ばれ高岳、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳のいわゆる「阿蘇五岳」の総称で中岳に山系に唯一つの大噴火口があり、現在も活発な活動を続けている。 

昔はこの中岳を霊山としても仰ぎ、火口を神霊池又は御池とよんでいた。
そして、激しい噴火や爆発があると神の怒り、大明神の怒り、神霊のたたりとして畏れおののいたという。 

ごく近年では1958年6月(昭和33年年)、第一火口が突然爆発、噴石は火口西12kmに達し、山腹一帯に多量の降灰砂、死者12名、負傷者28名、建物にも被害が出たようである。

五岳はそれぞれの個性も豊かで季節、場所によって同じ山でも表情が異なる。 最高峰の高岳は標高1592mである。 地球の胎動、世界のカルデラを満喫して、山を下りることにしよう。



一路、北へ向かって防中へ下りる、阿蘇登山道路の防中線である。 
途中、杵島岳、往生岳の豪快な姿を右に見ながら相変わらずの大草原を行く。 

放牧中の牛、馬がのんびり草を食む。 
近年、肥後の赤牛が放牧されるようになったという、阿蘇の象徴である原野に放牧された赤牛の数が、最近でやや少なくなってきているといわれる。 
因みに、お隣の大分県では「肥後の赤牛・豊後の黒牛」といって、阿蘇の外輪山を超えるととたんに何故か毛色が黒くなるという・・?。 
何れも、スキヤキ、ステーキには最高だとか・・?チョット現実的になったかな。


やがて、防中へ下りた。 
真正面がJR豊肥本線の阿蘇駅であった。 

昭和中期までは「坊中駅」と名乗っていたそうだが、いわゆる「昭和の大合併」でできた「阿蘇町」が誕生したことからこの名が付いたという。 

昔は、この地が坊:お寺の領地だったこともあり、坊中は古くから山岳信仰の阿蘇山への登山口として栄えた。 尤も、今も昔も阿蘇山への玄関口である所に変わりないが。
阿蘇町」は、本年(2005年)2月の「平成の大合併」により、一の宮町、波野村が合併し「阿蘇市」が発足したばかりである。


次回は、阿蘇一宮・「阿蘇神社






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平成日本紀行(126)阿蘇 「日本一長い駅名」

2016年07月06日 17時30分59秒 | 長崎、熊本県


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(126)阿蘇 「日本一長い駅名」 










写真(上下):日本一長い駅名の駅舎とホームの駅札・「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」





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日本一と日本二の長い駅名・・?、

途中、阿蘇登山道路の吉田線が南へ向かって下りている。
この吉田線の下りきったところがその名の吉田地区で豊肥本線の立野駅から南阿蘇鉄道が連絡され、阿蘇山の南麓を走り、吉田地区から高森まで延びている。 

吉田、高森地区は熊本市街を悠然と流れる「白川」の水源地帯(白川水源)で、阿蘇の冷水(夏季)が大量に湧出している地域である。
付近には温泉も有り、湧水、高原と合わせて「南郷谷」と呼ばれている阿蘇の観光名所の一つである。 

尚、立野駅は豊肥本線と南阿蘇鉄道がスイッチバックでつながる珍しい終始駅であり、列車は上りでも下りでも同じ方向から駅へと入ってくという。 


序ながら、南阿蘇鉄道は高森町など沿線自治体が出資する第三セクター方式の鉄道会社であるが、この鉄道には日本一なるものがある。 
鉄道の駅名で日本一短い駅名は、ご存知三重県は「津」であろうが、日本一長い駅名がここ南阿蘇鉄道にある。 
この鉄道のほぼ中間に位置する「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」(みなみあそみずのうまれるさとしらみずこうげんえき)がそれである。

おまけに、隣駅は「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」(あそしもだじょうふれあいおんせんえき)で、こちらは駅名としては2番目に長いという。

故意に命名したか否かは定かでなが、南阿蘇鉄道は僅か18kmにも満たない極めて短距離鉄道ながら、日本で1位、2位の長い駅名を持つ鉄道だったのである。



次回は、「阿蘇・中岳」.

  
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