九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)
『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
平成日本紀行(127)南小国 「日田往還道」
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自然資源と地域振興を成し遂げる町・・、
バックミラーに映る阿蘇が次第に遠ざかる。
この街道、国道212号線は別名「日田往還道」と称し、古(いにしえ)の道でもある。
今、南小国町であるが、このまま小国町から杖立(杖立温泉)、大山川の清流を北上すると、その日田に出る。
大分県日田は「日田市」という呼び名より、「天領日田」といった方が聞こえがいいらしい。
「日田」は周囲を1000m級の山々に囲まれた盆地で、山紫水明・「水郷ひた」として広く親しまれている。
歴史的には、安土桃山時代に豊臣秀吉の直轄地として栄え、その後、江戸期には天領として九州の政治・経済の中心的役割を果たし、それと同時に独自の町人文化も華ひらいた。
日田は全国に知られた木材・日田杉の町でもある。
筑後川上流の自然環境に恵まれた広大な林業地に日田杉が植林され、日田地方の主要産業でもある林業、木材業は日本の伝統的な木造建築を支えてきた。
因みに、「天領」とは江戸幕府直轄の土地のことで、日田は九州管内の6カ国の天領を統括し、幕府・代官所も置かれた所でもある。そのため九州の小京都と言われ政治・経済・文化の中心地として栄華を極め、日田への道路も整備された。
その日田往還は日田を中心に福岡、久留米、中津、別府、阿蘇・熊本方面などへのルートがあり、現在の九州における「国道の原型」にもなっているという。
往還は肥後・熊本藩主が参勤交代に利用した道で、熊本から小国を経由して大分県の鶴崎まで通じ、そこからは船で瀬戸内海を通ったという道でもある。
平成17年3月22日には、日田郡の前津江村、中津江村、上津江村、大山町及び天瀬町と合併し新「日田市」として発足している。
その中津江村は2002年の日韓FIFAワールドカップ開催前、アフリカのカメルーン国の関係者が「カメルーンの景色と似ている・・!」としてキャンプ地に指定、来日が遅れた事で更に注目を浴び、今や日本一有名な村として知られる。
カメルーン国・来村を記念して「思い出のカメルーン・中津江村」とネーミングした麦焼酎なども売られ、人気を博しているという。 現在は、日田市に編入されている。
次回、「日本で最も美しい村」
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