Organic Life Circle

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インドでのボランティアを終えて

2007年11月17日 | 随 想

20年前に、マザーテレサの映画を観て以来、ずっと「いつかは、カルカッタに行ってマザーテレサのお手伝いをしたい」と思い続けてきました。その願いがかなって2004年11月4日、いざカルカッタへ! 

持ち前の気楽さで、ホテルも予約せずに出発したのですが、ちょうど同じ飛行機で、やはりマザーのところでボランティアをするというカナダ人に会い、とても素敵な(といってもスラム街の中にあるので、高級なという意味ではなく、清潔で安全な)宿泊所にありつけました。

そこには、デルタで病院のボランティアをしている3人のカナダ人をはじめ、各国から集まってマザーテレサの施設でボランティアをしている人たちが15人ほど泊まっていました。ほとんどが50代、60代のリタイアしたおばさん達なので、皆でテーブルを囲んで食べる朝食はとてもにぎやかです。

私は、3週間と短い方でしたが、中には毎年6ヶ月間ボランティアにやってくるイタリアの看護婦さんもいました。5回目、6回目という人も多いようです。朝食の後、カルカッタ市内8ヶ所にちらばるマザーテレサの施設に行きます。孤児院、障害者施設、栄養失調の子供たちの施設、路上生活者のポスピスなど、どれも社会の中で最も弱い立場にある人たちのための施設です。

私は、孤児院の重度の障害を持つ子供たちの部屋でお手伝いしました。子供の数は20人。3才から8才。寝たきりの子供たちです。インド人スタッフ4人、ボランティア2~8人(日によって違います)、時々、シスター達もお手伝いに来てくれます。

ボランティアの主な仕事は、食事の介護、おしめ交換、着替え、リハビリです。小児マヒの子供がほとんどで、口のまわりの筋肉や、舌のコントロールがうまくできないので、食事には時間がかかってしまいます。

私も慣れない頃は、一人の子供に1時間近くかかってしまったこともありました。私のやり方が悪いのでその子に申し訳なく「ごめんね、ヘタくそで」と言いながらの食事でした。でも、何度かやって、各々の子供の特徴がわかってくると食事もスムーズになり、子供がちゃんと食べられると「ヤッター!」という感じです。

リハビリの時は、マヒして縮んでいる手足の筋肉を伸ばしてあげるのですが、子供の気持ちをリラックスさせるために、私は歌を歌いました。何でもいいのですが、口から出てくるのはやはり日本の童謡で「夕焼け小焼け」「赤とんぼ」などよく歌いました。

マザーテレサが最初にこの事業を始めた路上生活者のホスピス(死を待つ人の家)でも、一日だけですが、お手伝いさせてもらいました。路上で死にかけている人を収容し、体を洗ってきれいにし、食事を与え尊厳を持って死んでいけるようにするところです。ここで、半分の患者さんが亡くなってしまうそうです。

朝8時からの仕事は、患者さんの沐浴から始まります。おしめなどは無いので、トイレに間に合わなかった患者さんは、垂れ流しで、ガウンもびしょびしょのおしっこまみれ。そんな患者さんを二人がかりで沐浴場までかかえて行って、洗ってあげると、とても気持ちよさそうな顔をして目を細めます。そんな時は「ああ、来てよかったなあ。」とこちらまで嬉しくなってきます。

でもなかには運ぶ途中に混乱して「ぶたないで!」とか叫んで暴れだす患者さんもいて、そういう悲しい過去があるんだと思うと私も悲しくなってしまいます。

そうして、5、6人も患者さんを運んで沐浴させていると、こちらの腰も痛くなってきます。私が腰をトントンしていると、すぐ横にいた患者さんが、自分のベッドを指さして「ここに座れ。」と言いました。「?」と思って言われたとおりにすると、私の背中をさすってマッサージをしてくれるのです。「これじゃ反対だよ~」って思いながらも、されるままにじっとしていました。感謝、感謝!

またこんな事もありました。ベッドの横を通りすがりに、患者さんに足をグッとつかまれました。細い細い腕をしたおばあちゃんのどこにそんな力がと思うくらいの強い力でした。私がかがみ込むと今度は私の首の後ろに手をまわしてグッと引きよせます。

「何、どうしたの?」と言いながら私は抱かれたまま、そっとおばあちゃんの肩の上に頭をのせました。ちょうど私の口もとにおばあちゃんの耳があって、黙っているのもナンなので「赤とんぼ」を歌いました。そうして、おばあちゃんに抱かれて、じっとしていると、何だかとても安らかな気持ちになりました。しばらくそのままの姿勢で歌っていると、おばあちゃん、眠ってしまいました。

彼女はきっと淋しくて、誰でもいいからそばにいてほしくて、たまたま通った私の足をつかんだのでしょう。言葉がわかれば、いろんな話ができたのにと残念です。

また、ハンセン病患者の施設にも見学に行きました。そこでは500人近い患者さんとその家族が、実に幸せそうに暮らしていました。どの顔も笑顔で「ナマステ」と挨拶してくれます。インドの社会でも最も嫌われているハンセン病の人たちに手をさしのべ、この笑顔を与えたマザーテレサという方の偉大さに、今さらながら感動しました。

たった三週間でしたが、とても中身の濃い三週間で、驚いたり、泣いたり、笑ったり、感動したり、言葉にできない思いもたくさんありました。

余談になりますが、カルカッタの排気ガス公害はそれはひどく、鼻をかむとティッシュが真っ黒。白いTシャツは半日でグレーになります。そんな、車が無秩序に走り回る街なかに、裸足で力車を引く人たちが共存しているのもおもしろいと思いました。

最後になりましたが、今回、家をあけるにあたって、快く「いってらっしゃい」と送り出してくれた夫と息子に、心から感謝しています。

(家元庸子)


オーガニック・ライフ・サークル会報
2005年11・12月号(No.65)掲載

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