女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

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そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

幸せの分量(忍の100の話)

2011-10-10 | 日記
ひとそれぞれ、幸せには、分量があるようです。
今不幸な人は、必ずしあわせになれるのです。

なぜなら、幸せの分量がのこっているからです。
だから、悲観したり、焦って死んでしまうようなことはしないことです。

神様は、優しい人です。幸せは平等にあたえてくださいます。
人を愛し、悪いことさえしなければ、いつくしむ優しい心のある人には、
かならず、幸せをあたえてくれます。

しかしです。その分量はたくさんではないのです。
ほんのすこしで、気が付いてない人が多いのです。

だから、人を見てひがんだり、ねたんだり、悪くいう人は。
その幸せさえ、のがしてしまうのです。
だれでも、ほんのりとした、幸せを味わうことができるのに、
それができないのは、心の汚い、いじわるなひとです。

ほんとうに、かわいそうなひとなのです。
欲張って幸せをたくさん得ることはできないのですが、
ちゃんと、いきていたら、しあわせになれるのに、
悪いことをしたり、人をいじめたりしたら、むりなんです。

お金でも買えませんし、どんなにもとめてもしあわせはさがせません。
それはみえない、かなしいことに、後からわかる感覚なのです。

だから、今不幸でかなしいんでいるひと。
びょうきでくるしんでいるひと。

人をいたわるやさしいきもちさえあれば、今の不幸はつづきません。

神様は、ちゃんと、幸せの分量を、人それどれ平等にあたえてくれるものなのです。

その、しあわせは、案外気が付かないのが、ざんねんなことなのです。

「ほら、あなた、いましあわせなのに、きがついてください」

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