one's works. my works!


one'sとは「その人の」と言う意味です。
僕らはone'sに「皆様の」と言う思いを込めました。

flowers (田中)

2006年02月25日 12時16分03秒 | 
ビーチコーミングで取って来た流木に自分でチェーンソー(勿論自前・・・)で加工してガーデンシクラメンを植え込みました。
この花ももう3年目です。
これが綺麗に咲いてくれると嬉しい!



店の入り口、エントランス付近の花です。
正月前に植えた葉牡丹もまだ綺麗です。
これってこのままにしておくとどんどん背が高くなるんです。
それもまた変わってて楽しいんです




梅の花も綻びだしました。
3月の頭にには満開の画像が載せられると思います。


花桃や薔薇もそろそろ芽吹いてきました。
満開の花と共に(?)お客様の御来店をお待ち致しております。

~小学校3年生編~   (田中)

2006年02月24日 21時57分43秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
小学校3年生の時の担任の先生の話を書きたいと思います。
僕らが3年生になる時に赴任してきた大学を出たばかりのとても綺麗な先生でした。
嬉野町の出身と仰ってたかな。
もう僕の田舎から見れば嬉野町でも充分な都会でしてまさに「都会から来たとても綺麗な先生」でした。

一目ぼれです。
この1年間の思い出の中にNちゃんの記憶はありません。
それぐらいこの先生が好きだったと言う事でしょうね。

赴任してきた当初どうにかしてH先生と仲良く(?)なりたい僕ら(男子生徒はみんな好きだったはず)は先生のスカートめくりや酷いヤツになると後ろからブラの紐を引っ張るのまで出てくる始末。

勿論やらしい気持ちはありません。
まだガキですから。
ただキャーキャー言うのが面白かっただけです。
そんなある日の朝、誰かが(僕かも知れない・・・)ヘッドスライディングの要領で先生の足元を滑りました。

足の間は潜ってないのですが先生は(多分それまでのストレスが溜まってたんだと思う)大泣きして職員室に入ってしまってそれっきり出てきませんでした。

授業が始まっても教室には来ません。
こりゃあまずい事になったな・・・とか思ってた僕(やっぱり僕でした)に女子から集中砲火の雨嵐。
「田中君が悪い!」「謝っておいでよ!!」いや、仰る事はごもっとも。
内心「謝りに行こうかな・・・でもかっこわるいし怖いの(前原先生・・・は○てたので前○げ先生と呼ばれてた)いるしな・・・」とか思ってたら
鼻を真っ赤にしたH先生が教頭先生に伴われて教室にやってきました。

僕らはその姿をみて愕然としました。
「やっちゃったな・・・・」と。
明らかにボーダーラインを超えてしまったんだと気付いたんです。
教頭は一言「あまり先生をいじめない様に」と何故かにこやかに言いました。
この「にこやか」な処が怖かったってのもありましたが先生がとても可哀想でそれから先生への
おちょくり行為は無くなりました。

H先生の思い出は一杯ある。
3年生で校舎が建て替えになったのですが壊されてく旧校舎を校庭で一人ぼんやりと見てたら後ろにいつの間にか
H先生が立ってました。
「田中君がここで過ごしたのは3年だけだったのね・・・」ととても柔らかな口調で仰って下さいました。

またこんな事もあった。
この先生は音楽がとても好きだったみたいで音楽の時間になったら生き生きとしてました。
その日縦笛(リコーダー?)を忘れた僕は先生に「家に取りに帰る」と伝えると先生は
「そんな事しなくっても先生の貸してあげるから」と。
僕は嬉しいやら恥ずかしいやらです。

でもね、「この口を付ける所に唾とか付いちゃったらダメだ、先生の縦笛を汚したらダメだ」って思って
唇を丸めて(って言うか内側に巻き込む??)吹きました。
それまでの9年間で一番緊張した出来事でした。

運動会の時にも。
何かの係をやらされてた僕は3~4人の生徒と放課後に残って用意をしてました。
遅くなるのが事前に解ってたみんなはパンとか持ってきてました。
でも、僕は持って無かったんです。
理由は書かない。

そしたら先生が「田中君は持ってきてないの?」と。
僕は無言で頷きます。
先生は「これ先生、口を付けてないよ、ちぎって食べてたから」と3分の2ぐらい残ったメロンパンを下さいました。
今でもメロンパンが大好きなのはこれが理由。
先生のあの時の優しさが忘れられない。

もうどんどんH先生が好きになって行きます。
10年経ったら先生と結婚できるのかな・・・なんてバカな事を考え始めたある日。

全校集会でH先生が壇上に立ちます。
「結婚が決まったので来年の3月で教師を辞めます」って。
僕は家に帰ってわぁわぁ泣きましたよ。

白山町に嫁いだってお伺いしました。
今年僕が39歳だから先生は50歳を越えてるんだろうな。
でも多分、今でも綺麗だと思います。
大好きだったなH先生。






SR400カスタム     (田中)

2006年02月24日 19時23分58秒 | バイク
モヒカンさんの愛車、SRカスタムです。
ロッカーズスタンダードにシートはトラッカー風。
メーターとライトは高いめにクリップオンは低めにとまさにセオリー通りのかっこよさです。

マフラーがちょっと変わっててこの手のバイクには珍しいカチ上げタイプでこの排圧が凄いのなんの。
多分ちょっと狭いめしてあって排気音とか調節してあるんでしょうね。
1mぐらい離れた位置でも手が震えます。
音も素晴らしく良い音です。




SRは僕もずっと欲しいバイクなのですがなかなか買うに至りません。
刀もそうなのですが・・・

いつかは欲しいなぁと思いつつ。

荒川選手が金メダル    (田中)

2006年02月24日 10時01分21秒 | Weblog

唐突に何を?とお思いでしょうが実はオリンピックはかなり好きなんです。
スポーツ全般嫌い(※)で特に「努力」とか「根性」とかって言葉も嫌いです。
言われなくっても判ってるよ!って事ですよね。
それをいちいち口にされるのはとても嫌でした。

テレビで何が映ってても平気ですが野球と演歌番組だけはチャンネルを変えます。
他のスポーツ番組もまず見ないです。

でもやっぱりオリンピックやワールドカップは別。
「次はないかもしれない」と言う背水の陣的なところにシンパを感じてしまいます。
長野の時の「舟木~」には泣きましたし(今回原田さんは残念でしたが)。

それにしても荒川選手の演技は素晴らしかったですよね。
見てても安心感がダンチです。
スタンディングオベーションも頷けます。
対して安藤美姫選手。
やっぱり緊張してたんでしょうね。
ガチガチな感じが伝わってきました。
もう最初から「こりゃダメかも」なんて思いましたから。

何が違ったんでしょうか。
素人考えですが荒川選手はスペシャルな技に挑戦するでなくどうかしたら得点に結びつかない技に時間を掛けたと聞きます。
安藤選手は御存知の通り女子でただ一人「4回転ジャンプ」ですよね。

技術に走るのはとても良い事だと思います。
特に若いうちは。
でも荒川選手の「記憶に残る様な~」のお話を聞いて「あー・・なんか美容師と似てるかもな」と思った美容師さんは僕だけじゃないはず。

もう今や何処の美容院に行ってもある一定以上の技術は持ってる方達ばかりですよね。
昨日もお客様からお伺いしたのですがどこかの美容院で不快な思いをして「もうあそこには絶対に行かない!」と思ったそうです。
詳しい内容は書きませんがいくら技術が確かでも内面が伴わないとやはりダメかなと。

昔、昔、その昔。
かれこれ20年近く前の話です。
当時まだ美容院で勤め始めて1年に満たない頃。
技術コンクールに出たんです。
ビギナー、インターン、技術者の3つのクラス分けがされてました。
当然僕はまだビギナーのクラスで出るもんだと思ってました。
インターンまでもまだ2年近くかかるからです。

それが当時勤めてたお店のオーナーが「技術者のクラスで出ろ」と。
内心「そんな無茶」とは思いましたが逆らうわけにも行かずとにかく寸暇を惜しんでトレーニングをしました。

当日、大阪の会場でやったのですがその参加人数たるやハンパじゃないんです。
三重県大会とかなら数十人(もいるのか?)なのですが大阪大会ともなると大阪、奈良、京都、兵庫、そして三重からもの凄い人数の美容師さんが集まってくるんです。
技術者のクラスは・・・と見回すとどの人も30歳前後の方ばかりです。
「こりゃ無理だ」と雰囲気に気負されながらもどうにかコンクールを終える事が出来ました。

結果はブロンズメダルだったんです。
もう有頂天です。
1000人近い人の前で表彰されるのですから。
先生やオーナーも大喜びです。
ステージから見下ろすと大勢の美容師さん。
もう天狗の鼻はどんどん伸びます。

この後が悪かった。
仕事の中でも「俺は出来るんだ」ってのが出てたんでしょう。
慢心です。

そして仕事を外されました。
それでもまだ解らない。

次の年のコンクール。
前年の快挙があったので気持ちの中でなめてたのがあります。
殆ど練習もせずに臨んだコンクール。

会場に入ると体が震えます。
隣の人から「去年、メダルとった方ですよね?」の声に緊張はピーク。
手は震えて言う事を聞かず結果は無残なモノでした。
予選を通過する事もなく(発表を待たずに帰ってきたぐらいでした)すごすごと帰りました。

驕れる者久しからずや。

今でも何かある度にあの時の気持ちを思い出す様にします。
勿論表彰された時やメダルを獲得した時の高揚感も後進の方達に伝えるのも大切な事だと考えています。

今日、安藤美姫さんの演技を見てまたその頃の事を強く思い出してました。
彼女はまだあと2回ぐらいは出れるのでしょうか。
荒川選手も過去チャンピオンになったにも関わらず後に繋げる事が出来ずに一時は「もう辞めてしまおう」とまで考えたそうです。

でも続けたから今日の栄光があるんですよね。
先に書いた事と矛盾する様ですが
NO GUTS,NO GLORY
ノーガッツ、ノーグローリー。
「闘志無き者に栄光は無し。」

僕ら自身にも。

 

 

※  空手、剣道を10年やってましたがあれはスポーツとは思ってません。
「武道」だと思っています。



 


~小学校1年生編~   (田中)

2006年02月23日 22時13分17秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ

初恋の相手、「雪の結晶の彼女」の話です。
雪の結晶を二人で見てそれから数日経ったある日。
僕が幼稚園に行くとちょっとした騒動が起こってました。
幼稚園の卒園を控えて女の子達は髪を切りに行ったりしてたんだと思う。
その彼女も髪を切ったんです。
クルクルのクセ毛がチャームポイントだったと幼い僕は記憶しているのですが
その子のお母さんはどうもそのクセ毛が鬱陶しかったみたいでばっさり短くなってたんです。
ベリーショートってやつです。

で、その子がわんわん泣きながらオルガンの下(って言うか隙間)に隠れてるんです。
余程その短い髪が嫌だったんでしょうね。
短くなって雰囲気が随分変わったところへまた泣くもんだからちょっとした人垣ができてました。

男の子達は囃し立ててたな。
僕は一番後ろから様子を伺ってたっけ。
そしたらね、その子と一番仲が良かった女の子がばっと出てきてその子を庇うんです。
「見ちゃダメ!」って両手を広げてその子をみんなの視界から隠そうとするんです。
僕は子供の時からかなりませてたんだと思う。(冷めてた??七五三の時も『千歳あめをあげる』って係の人が言ったらみんな
『わぁ~~』とか言って群がってたんだけど僕はそれを見て『賤しいな』とか思って見てた・・・やなガキだ!)
生意気って言い方の方が適当かもしれないけどその時「女の子って可愛いよな」って思いました。
「こんな事ぐらいで泣くのか」と。

それと同時にその庇った方の女の子がとても気になってきたんです。
かたや「内気なお嬢様」、かたや「勝気な町娘(?)」。(因みに年月を経るに従って違ってたって事に気付く)
もう二人同時に好きになっちゃった訳です。
今から考えると「そんな単純な・・」と思いますが

小学校に入学したある日の事。
思い切って雪の結晶の彼女(以降便宜上Nちゃん)を誘いました。
「家に遊びにきやへん?」と。
Nちゃんは恥ずかしそうに「うん」って言ってくれました。
小躍りせんばかりに喜んでたのですが給食が終わった休み時間。
今度は町娘の方(以降便宜上Sちゃん)が「今日、田中(呼び捨てだった!)のとこに行っていい?」と聞いてきました。
僕は普通に「かまへんよ」(※)と言いました。
やっぱり小躍りしそうでした・・・が・・・何か大切な事を忘れてるような・・・・・・・・・・!
そうです、先にNちゃんと遊ぶ約束をしてたんですよね。

悩みました。
どちらを取るべきか・・・
って言うか断る方になんて言えば良いのか。
何でこんなにモテる(勘違いだったんです・・・)のか、オレ?ぐらいの感じです。
放課後まで悩んでも結論が出ないまま。
あ~~!!!もうどうしてええのか判らへん~~~~!!!!
と軽いパニック状態の中Nちゃんが「Sちゃんも誘ったけどよかった?」みたいな事を聞いてきて激しく脱力。

実家の庭で△取りや川原を3人で散歩しました。
至福の時です。
好きな子が二人とも遊びに来てんだもん。
そりゃぁ嬉しかったですよ。
1時間ぐらいで帰って行った二人を見送るのはとても寂しかったです。

これからよく3人で遊ぶ事になる訳ですが・・・
途中に書いた「(因みに年月を経るに従って違ってたって事に気付く)」

女性って本当に判らないなと思う出来事がこの二人を通して教わります。
特にSちゃんは小学校を卒業し中学は抜けて高校、そして就職先にまで影を落とす(僕に影響を与える)事になろうとは。
この幼い頃には夢にも思いませんでした。
この話はまた後日。

 

※ 何で僕だけ大阪弁なのか。
両親はずっと大阪で住んでまして僕が産まれるんで実家に帰ってきたらしい。
で、家の中では普通に大阪弁でした。
この辺りの子は謝る時に「ごめん」とか言うのですが僕だけは「堪忍な」と。
今でも興奮すると大阪弁・・・出ます。




すっかり夜・・・・・(田中)

2006年02月22日 22時30分39秒 | ペット
今日も何だかんだで結構忙しかったです
本当にありがたい事です。

空いた時間で確定申告の書類を作る為の準備をしています。
めんどうな計算は商工会さんでやってくれるのですがそこまでの書類作りが。。。
かなりしんどいんです。

何日もかけるのが嫌なので睡眠時間を削って(だいたい4時間ぐらいの睡眠、これなら3日ぐらいはまぁ平気。)突貫工事でやってたのですが
今回はちょっと早い目に余裕をもって5日ぐらいでやってしまおうと。
うっかり熱中(?)してるとこの時間です。

時計を見るともう10時過ぎ。
太郎生の散歩も忘れてました。
今から出ようと思ったら雨降りですか・・・
タイミングが悪いです。
雨の日に歩くのは苦にならないのですが濡れた太郎生を抱いて2階に上げるのが結構しんどいんです。

階段は急だし狭いし。
後ろ向きで上がるのですが太郎生も緊張で体を強張らせるんですよね

関係ない話なのですが西遊記!
あれに出て来る香取君がやってる孫悟空。
前に森の中でパニックになって走り回ってる姿、アレ誰かに似てるなぁと考えてたら何の事はないうちの太郎生。
あいつです。


初走行 (田中)

2006年02月21日 13時22分31秒 | ゲーム、トイ、電化製品など
ブレークインも終わり全開走行です。
かなり速い!



写真では小さくみえますが実物は全長50cm弱あります。
今日走らせたところではかなり前輪荷重が低いめかなと感じました。
それでもかなりのネガキャンなので曲がる、曲がる。
4WDはやはり凄いです。

白煙(ひまし油)を上げて疾駆する様に痺れます。