one's works. my works!


one'sとは「その人の」と言う意味です。
僕らはone'sに「皆様の」と言う思いを込めました。

プリンススカイライン   (田中)

2007年02月20日 11時14分19秒 | 音楽、映画、本、アミューズメントなど
プロジェクトXのコミック。
今更ながらといった感じですが買って読んでみました。零式艦上戦闘機から連なるストーリーはもう本当に「今更」な感じがします。
ただやっぱりもう少し補足説明が欲しいかなと。
所謂零戦。
何故、当時強かったのか。
防弾も消火装備もついてなくて軽く作ってあったので旋回性能が素晴らしかったんですね。
エンジン性能はそこそこです。
因みに機体とエンジンは別メーカー。

車で言うとスーパー7。
軽いのでエンジンはそこそこで良いんです。
その代わりぶつかったら(戦闘機の場合「撃たれたら」ですが)終わりです。
零戦もその弱点が露呈してからはアメリカの戦闘機に勝てなくなってしまった訳です。
得意のドッグファイトに持ち込めずに敵機の「一撃離脱戦法」で散っていった訳です。
逆にアメリカの戦闘機などは火を噴いても消火システムが付いてたんですね。
「搭乗員を大切にするかどうか」
実戦に基づいた理論。
最早W・W・2は近代戦の始まりでしたから「精神論」だけではどうにもならなくなり始めてたんでしょう。
これは歩兵部隊の銃「38式」にもその思想が強く出てますね。


「零戦」は決して史上最強とかでは無かったんです。
大戦後期にはもっと性能の高い戦闘機が沢山ありました。
零戦が強かったのは本当に最初のうちだけでした。
後期はまた製品としての質が落ちてしまったってのも大きいですが。
(って話ですね)

零戦の話はこれぐらいにして。


スカイラインとポルシェの絡みがこの本に紹介されてます。
1964年の第二回日本グランプリ。
一周だけスカイラインがポルシェを抜いて首位に立った逸話を紹介してます。
これは多分車に詳しい方ならよくご存知の話だと思います。
ここから繋がるスカイライン神話。

実際はどうだったのか?
真実は知るとどっちらけになっちゃいますがこれ「やらせ」です。
どう頑張っても当時ポルシェにスカイラインが勝てる訳が無いんです。
そもそもこのポルシェ。
どんないきさつで出場する事になったのか。
式場壮吉さんや徳大寺さんが所属するカークラブ「レーシングメイト」。
そこからプライベートとして出場したんです。
ワークスレーサーのスカイラインの独壇場と言われた下馬評のレースは面白くない、その想いでプライベーターが集ってポルシェを出場させたんです。

で、スカイラインのドライバーである生沢徹氏と友人関係にあったポルシェ904のドライバー式場壮吉氏が「一周だけでもスカイラインがポルシェを抜いたら盛り上がるぞ」って二人で申し合わせて「あの」レースになったんです。

案の定レースは大盛り上がりになったんですね。
そこから始まるスカイライン神話。
皮肉なものです。
言ってみればポルシェが無ければスカイライン(今の〈?〉イメージの)は無かったかもしれないんです。

レースシーンを常に引っ張ってきたポルシェ。
量産車として常にその時代最高のポテンシャルを標榜してきました。

一方のスカイライン(日産)は何を目指したのか。
これはやっぱりBMWなんでしょうね。
大人がきちんと4人乗れてそこそこ速くて。
今やV6になりましたが直6を復活して欲しいと思う方もかなり多いと思います。
僕は直6でもV6でもどっちでもかまわないですが。
クーペは邪道と言われたりしてるみたいですがそもそもあの車は「自由な車」だと思います。
54B(やA)、遡ればスカイラインスポーツから。
テールランプも丸が標準の様に言われてますがKPGCは四角ですし。
ケンメリには既にクーペがあったりバン(ワゴン)ボディもずっとありました。
エンジンも当時は4気筒が標準。
ジャパンまでL型の4発が使われてます。(R30からはZ18、これはブルーバードなどで使われてます。あとは名機FJ20ですね)

僕は色んな意味で今度出るGT-Rが楽しみです。
呪縛から解き放たれたかもしれないGT-R。
早く見てみたいです。

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2007年02月20日 08時59分40秒 | 定休日のお知らせ
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