one's works. my works!


one'sとは「その人の」と言う意味です。
僕らはone'sに「皆様の」と言う思いを込めました。

決戦は火曜日!~バレンタイン狂想曲・最終章~   (田中)

2006年03月08日 16時23分26秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
や~・・・・いよいよ来週ですよね、ホワイトデ~。

ショッピングセンターには可愛いチョコレートが目白押しです。
どの子に何を返そうかな?なんて考えるのも楽しいですよね(多分・・・想像・・・)

さて、2月のバレンタイン。
今まで過去最高に頂けたのが11年前でした。
はっきり憶えてるのは何故か?
嫁と結婚する前の年だからです。

自分的には「あ・り・え・ね――――――!!!!!」ってぐらいの勢いでした。
確か2~3日に分けて持って帰ったような。
何でか高校生の子達からも頂けたり。
いや、うらぶれたおっさんが酒の勢いを借りて昔の栄光(?)に妄想を交えて語ってる訳ではございませんです。

つきあってた嫁(社内恋愛は厳禁だったので「かいこう7000」の様に深く静かに潜行してた)は持って帰ったチョコを見て
大層驚いてました。
僕はもうその時既に心拍数は100ぐらいだったのですが如何にも平静を装って「いつもこれぐらいだけど?(さらに『何か?』を付けたいぐらい)」と。

それがですよ・・・・結婚した年。
いきなり0ですよ、お客さん。
泣きました、男泣きに泣きました。
厳密に言うと0ではなく、嫁さんとこのお母さんとか嫁さんとこのお姉さんとかあと(以下略

身内関係も嬉しいですよ~
でもね、でも・・・
やっぱ寂しいじゃないですか!(?)

そんな事をお客様にお話してたらその方は「そうなの・・・?可哀想に・・・じゃあこれから私が毎年あげるから!」と仰って頂きました。

それから毎年、僕が独立してここにお店を出してからもず~っとその方は約束通り持ってきて頂くんです。

今年もこの前の日曜日に無事(?)頂けましてここに田中の
「2006年度バレンタイン宇宙の旅」は大団円を迎える事となりました。

で、ホワイトデー。
昨日、大阪でお一人ずつのお顔を想像しながら買ってまいりました。
プレゼント(で良いんですよね?)をあげられる方がいるって楽しいですよね。

問題は嫁に何を返すかだな・・・・
去年もしっかり返した(服)はずなのに「貰ってない~~」と騒ぐ人なので。
インパクトのあるヤツ。
返そうと思ってます。











実家に帰ったもう一つの理由   (田中)

2006年03月06日 23時34分20秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
こないだの『ファミレスラブストーリー番外編「男同士!髪は男の命なの!!」』 
の店長から貰った新婚旅行のお土産を取りに帰りたかったってのもありました。

この星条旗を模したナンバープレート(?)。
これとチョコレートを一緒に貰ったんだっけ。
ずっと大切に保管してありましたが今日こちらに持ってきて店に飾りました。
 

~小学校3年生編~   (田中)

2006年02月24日 21時57分43秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
小学校3年生の時の担任の先生の話を書きたいと思います。
僕らが3年生になる時に赴任してきた大学を出たばかりのとても綺麗な先生でした。
嬉野町の出身と仰ってたかな。
もう僕の田舎から見れば嬉野町でも充分な都会でしてまさに「都会から来たとても綺麗な先生」でした。

一目ぼれです。
この1年間の思い出の中にNちゃんの記憶はありません。
それぐらいこの先生が好きだったと言う事でしょうね。

赴任してきた当初どうにかしてH先生と仲良く(?)なりたい僕ら(男子生徒はみんな好きだったはず)は先生のスカートめくりや酷いヤツになると後ろからブラの紐を引っ張るのまで出てくる始末。

勿論やらしい気持ちはありません。
まだガキですから。
ただキャーキャー言うのが面白かっただけです。
そんなある日の朝、誰かが(僕かも知れない・・・)ヘッドスライディングの要領で先生の足元を滑りました。

足の間は潜ってないのですが先生は(多分それまでのストレスが溜まってたんだと思う)大泣きして職員室に入ってしまってそれっきり出てきませんでした。

授業が始まっても教室には来ません。
こりゃあまずい事になったな・・・とか思ってた僕(やっぱり僕でした)に女子から集中砲火の雨嵐。
「田中君が悪い!」「謝っておいでよ!!」いや、仰る事はごもっとも。
内心「謝りに行こうかな・・・でもかっこわるいし怖いの(前原先生・・・は○てたので前○げ先生と呼ばれてた)いるしな・・・」とか思ってたら
鼻を真っ赤にしたH先生が教頭先生に伴われて教室にやってきました。

僕らはその姿をみて愕然としました。
「やっちゃったな・・・・」と。
明らかにボーダーラインを超えてしまったんだと気付いたんです。
教頭は一言「あまり先生をいじめない様に」と何故かにこやかに言いました。
この「にこやか」な処が怖かったってのもありましたが先生がとても可哀想でそれから先生への
おちょくり行為は無くなりました。

H先生の思い出は一杯ある。
3年生で校舎が建て替えになったのですが壊されてく旧校舎を校庭で一人ぼんやりと見てたら後ろにいつの間にか
H先生が立ってました。
「田中君がここで過ごしたのは3年だけだったのね・・・」ととても柔らかな口調で仰って下さいました。

またこんな事もあった。
この先生は音楽がとても好きだったみたいで音楽の時間になったら生き生きとしてました。
その日縦笛(リコーダー?)を忘れた僕は先生に「家に取りに帰る」と伝えると先生は
「そんな事しなくっても先生の貸してあげるから」と。
僕は嬉しいやら恥ずかしいやらです。

でもね、「この口を付ける所に唾とか付いちゃったらダメだ、先生の縦笛を汚したらダメだ」って思って
唇を丸めて(って言うか内側に巻き込む??)吹きました。
それまでの9年間で一番緊張した出来事でした。

運動会の時にも。
何かの係をやらされてた僕は3~4人の生徒と放課後に残って用意をしてました。
遅くなるのが事前に解ってたみんなはパンとか持ってきてました。
でも、僕は持って無かったんです。
理由は書かない。

そしたら先生が「田中君は持ってきてないの?」と。
僕は無言で頷きます。
先生は「これ先生、口を付けてないよ、ちぎって食べてたから」と3分の2ぐらい残ったメロンパンを下さいました。
今でもメロンパンが大好きなのはこれが理由。
先生のあの時の優しさが忘れられない。

もうどんどんH先生が好きになって行きます。
10年経ったら先生と結婚できるのかな・・・なんてバカな事を考え始めたある日。

全校集会でH先生が壇上に立ちます。
「結婚が決まったので来年の3月で教師を辞めます」って。
僕は家に帰ってわぁわぁ泣きましたよ。

白山町に嫁いだってお伺いしました。
今年僕が39歳だから先生は50歳を越えてるんだろうな。
でも多分、今でも綺麗だと思います。
大好きだったなH先生。






~小学校1年生編~   (田中)

2006年02月23日 22時13分17秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ

初恋の相手、「雪の結晶の彼女」の話です。
雪の結晶を二人で見てそれから数日経ったある日。
僕が幼稚園に行くとちょっとした騒動が起こってました。
幼稚園の卒園を控えて女の子達は髪を切りに行ったりしてたんだと思う。
その彼女も髪を切ったんです。
クルクルのクセ毛がチャームポイントだったと幼い僕は記憶しているのですが
その子のお母さんはどうもそのクセ毛が鬱陶しかったみたいでばっさり短くなってたんです。
ベリーショートってやつです。

で、その子がわんわん泣きながらオルガンの下(って言うか隙間)に隠れてるんです。
余程その短い髪が嫌だったんでしょうね。
短くなって雰囲気が随分変わったところへまた泣くもんだからちょっとした人垣ができてました。

男の子達は囃し立ててたな。
僕は一番後ろから様子を伺ってたっけ。
そしたらね、その子と一番仲が良かった女の子がばっと出てきてその子を庇うんです。
「見ちゃダメ!」って両手を広げてその子をみんなの視界から隠そうとするんです。
僕は子供の時からかなりませてたんだと思う。(冷めてた??七五三の時も『千歳あめをあげる』って係の人が言ったらみんな
『わぁ~~』とか言って群がってたんだけど僕はそれを見て『賤しいな』とか思って見てた・・・やなガキだ!)
生意気って言い方の方が適当かもしれないけどその時「女の子って可愛いよな」って思いました。
「こんな事ぐらいで泣くのか」と。

それと同時にその庇った方の女の子がとても気になってきたんです。
かたや「内気なお嬢様」、かたや「勝気な町娘(?)」。(因みに年月を経るに従って違ってたって事に気付く)
もう二人同時に好きになっちゃった訳です。
今から考えると「そんな単純な・・」と思いますが

小学校に入学したある日の事。
思い切って雪の結晶の彼女(以降便宜上Nちゃん)を誘いました。
「家に遊びにきやへん?」と。
Nちゃんは恥ずかしそうに「うん」って言ってくれました。
小躍りせんばかりに喜んでたのですが給食が終わった休み時間。
今度は町娘の方(以降便宜上Sちゃん)が「今日、田中(呼び捨てだった!)のとこに行っていい?」と聞いてきました。
僕は普通に「かまへんよ」(※)と言いました。
やっぱり小躍りしそうでした・・・が・・・何か大切な事を忘れてるような・・・・・・・・・・!
そうです、先にNちゃんと遊ぶ約束をしてたんですよね。

悩みました。
どちらを取るべきか・・・
って言うか断る方になんて言えば良いのか。
何でこんなにモテる(勘違いだったんです・・・)のか、オレ?ぐらいの感じです。
放課後まで悩んでも結論が出ないまま。
あ~~!!!もうどうしてええのか判らへん~~~~!!!!
と軽いパニック状態の中Nちゃんが「Sちゃんも誘ったけどよかった?」みたいな事を聞いてきて激しく脱力。

実家の庭で△取りや川原を3人で散歩しました。
至福の時です。
好きな子が二人とも遊びに来てんだもん。
そりゃぁ嬉しかったですよ。
1時間ぐらいで帰って行った二人を見送るのはとても寂しかったです。

これからよく3人で遊ぶ事になる訳ですが・・・
途中に書いた「(因みに年月を経るに従って違ってたって事に気付く)」

女性って本当に判らないなと思う出来事がこの二人を通して教わります。
特にSちゃんは小学校を卒業し中学は抜けて高校、そして就職先にまで影を落とす(僕に影響を与える)事になろうとは。
この幼い頃には夢にも思いませんでした。
この話はまた後日。

 

※ 何で僕だけ大阪弁なのか。
両親はずっと大阪で住んでまして僕が産まれるんで実家に帰ってきたらしい。
で、家の中では普通に大阪弁でした。
この辺りの子は謝る時に「ごめん」とか言うのですが僕だけは「堪忍な」と。
今でも興奮すると大阪弁・・・出ます。




ファミレスラブストーリー・・・補完2   (田中)

2006年02月20日 11時42分57秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
昨日レストランSを半年程で辞めたと書きました。
このレストランSは当時名張市で2店舗ありまして今は和食店だけになってると思うのですがその時は洋食店もあったんです。

僕はこの2店舗を渡り歩いておりました。
半年後に店を辞め、そしてまた暫くして別の店へと言った具合です。
いくら美容院の給料が上がったと言ってもやはりSR311のレストアにかかる費用の捻出や生活の中に潤いも欲しかったからです。
24歳になる前にまた和食店に戻る訳ですがこれが最後ですね。

「ファミレスラブストーリー」は一旦お休みして次回は幼稚園を卒園し小学校に入学した辺りの事を書きたいと思います。

「雪の結晶」の彼女の話です。

ファミレスラブストーリー番外編「男同士!髪は男の命なの!!」  (田中)

2006年02月19日 22時58分36秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
高校生の頃バンドに燃えてました。
もう音楽で食べて行こうかと真剣に考えてました。
でもやっぱりその夢は重すぎて・・・
負けてしまったんですね。
美容師も「美容学校に行かなきゃなれない」と思ってたので早々と諦めてしまって。

結局なったのは工業用機器のコンピューターのプログラマーでした。
当時コンピューター学院の「アビ○」とかなかったので使えたのは稀だったらしく割と大手の企業に入社できたんです。
(高校の友人がボンボンでPCを当時3台持ってて1台借りてた)

望めばイギリスでもドイツでもフランスでも思いのままと言う恵まれた環境の中、僕の存在はどんどん浮いていきました。

何故か?
面接の時は短く切ってあった髪が入社する頃にはかなり伸びてましたから。
当時は男性が髪を伸ばすのは割りと特殊な(?)事で周りにはバンドメンしかいませんでした。

上司はしきりに「切れ」と。
髪は関係ないでしょう?と言う僕の意見は頭ごなしに無視です。

1年経った頃高校ぐらいから続けてたバンドがうまい具合にまわりだしたんです。
メジャーバンドから前座で使って貰える様になったり。
「これはやっぱりバンドだな!」とあっさり会社を退社。

でもこれもとある理由でダメになりそして就職先を捜す為に「髪を切ろう」と思い美容院へ。
髪を切ってくれてた美容師さんに「僕も前は美容師になりたかったんだけど学校に行かなきゃいけないから諦めたんだ」と言うと
「学校なんか行かなくってもなれるよ?」と。
福音以外の何物でも無かったですね。

そうしてまた運命は周り始める・・・・

美容院の給料だけでは~の件は前回書きましたからはしょります。
で、ファミレスSのバイトの面接を受けに行きます。

無理かな・・・髪長いしな・・・とか思いながら指定された時間にSに到着。
最初に応対してくれた人も結構びっくりしてました、髪の長さに。

こりゃ完全に無理・・・
店長らしき人が出てきましたョ、もうオリは帰りたいョとか思って何と無く店長の顔を見たら微妙に微笑んでる(?)。
いや、かなり好意的な態度に見えるが果たして。

即採用だったんです。
店長はしきりに「髪、長いね~、いつから伸ばしてるの?」とか「バンドやってんの?」とか聞いてきて
肝心の面接は?でした。
こんなんでいいのかなとか疑問に思いつつ僕はとりあえずバイトが決まった事を喜びました。

その店長は何かと僕を可愛がってくれてる様な気がしました。
あの当時で35歳ぐらいだったのかなぁ。
今の僕より少し若いぐらいですか。
新婚さんだとかで仕事にも張りが出てる、そんな感じの男性でした。

仕事にも慣れてきた頃事務所から店長がマネージャーから怒られてる声が聞こえてきました。
「何かまずい事でもあったのかな?」その店はかなり流行っててチェーン店の中でも売り上げがナンバー1で何度も表彰されてる店だったので
いろいろと厳しかったみたいです。

話の内容が断片的に聞こえてきます。

「バイトの髪ぐらい切らせる事もできないのか!」と。
店長は「女性だって長いじゃないですか!どうして彼がダメなんですか?」と。
まずいな、僕の事で怒られてるんだ・・・

「厨房の中で働いてる女性はみんな髪を帽子の中に入れてます、彼もそうさせてますよ」と言ってくれてたと思います。

何か居た堪れなくなって僕は仕事場(皿洗い)に向いました。
でも知らんふりをしてる程の度胸はないので仕事が終わってから店長にその時の事を聞きました。

店長はちょっと驚いて「聞いてたんだ・・・・」
「・・・・でも田中君の髪は絶対に切らせないからな!」と。

何故??????????
切りたくないとか一言もこの人に言ってないけど。
そりゃ切りたくないしどっちか取れって言われたら迷わず髪を取りバイトを辞めましたけど・・・

困ってしまって黙ってたら店長が一言。
「僕も昔、バンドやってんだ・・・」って。

そんな理由であんたは自分の評価を下げちゃって良いのか?とも思いましたがそれよりも何か嬉しかったです。
「美容師をやりながらバンドもやって(やってたんです、実際)ここでバイトって凄いよな!」とやたら褒めてくれるんです。

彼は僕に自分の姿を重ね合わせてたのかと思いましたが実はそうではなく・・・
僕を弟の様に可愛がってくれてたんですね、今なら解る。

それからもどんどん店長の立場はまずくなる。
僕はもう店を辞める事もできなくなっていた。
今、辞めたらこの人を裏切るんだよな?!
でもこのまま僕がいたらこの店での店長の立場はどうなる。

そう考えた僕は髪をばっさり切りました。
これで店長が許されるなら安いモンでしょ。
あの漢気に今応えんでいつ応えるのか。

僕の頭を見た店長は絶句します。
「田中君・・・・ごめん」と後はそれこそ「そんな大袈裟・・・」って思うぐらいの店長でした。
詳しくは書かないです。

僕は店長と一緒に仕事がしたかった。
でも店長は僕が髪を切ったあと辞表を出した。

マネージャーは「落ち着け、そうだ長期休暇をやろう、行ってない新婚旅行に行ってこい!」とか必死に引き止めてたな。

でも店長は落着き払った声で「いえ、辞めます、お世話になりました」と僕の見てる前で。

もう僕は何て言って良いのか判らなかった。
まだ21歳ぐらいの僕に何が言えたのか判らない。
あまりにもガキだったわな。

それからすぐに僕もSを辞める。
(結局半年ぐらいかな、この間。何故か3ヶ月でカットとかせて貰えてて美容院での給料も上がったので)
それから一月後。
店長から電話が来たんです。
「今度の休み俺の家に遊びに来いよ、嫁さんと土産用意して待ってるから。」と。

月曜日大和郡山の店長の住むアパートへ。
とても綺麗な奥さんと凄くにこやかに僕を迎え入れてくれた。
でも僕は胸が苦しかった。

誰のせいで辞めたのか何が原因でそうなったのかは誰にも聞かなかった。
怖かったから。
ひょっとすると僕は全然関係ないかも知れないけど。。。
でも僕のせいだったらこの奥さんにも僕は迷惑を掛けてるんじゃないのかなって。

それを最後に店長からは連絡がなくなりました。


今でも思い出す。
「田中君の髪は絶対に切らせないからな」
「田中君・・・・ごめん」
瞬きをしたらあんた涙零れちゃうでしょ?って店長の優しい瞳。




ファミレスラブストーリー補完(?)   (田中)

2006年02月18日 23時24分37秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
当ブログをご覧の皆様、つたない文章お目汚し誠に申し訳ありません。
みなさまのお陰でヒット数が当初の目標である自分内大台にこの前やっと乗りました。
これも一重にご覧頂いております皆様のお陰です。
「ここを直した方が良いんじゃ?」と御指摘頂くブロガーの方々(で、文章がちょこちょこ
変わってるのはそんな感じです)や「誤字、タイプミスありますよ~」とさりげに教えてくれるen fleurさん。
本当にいつもありがとう。

どうやらご好評を頂いてる「コイバナ・・・哀愁の村に雪が降るのだ」。
今日書いたファミレスラブストーリー。
実はサイドストーリー(?)が結構ありまして
「新婚さんいらっしゃ~~い編」
「大ハード、太陽はもう2年も見てないョ編」
「ちょっと待て!相手は女子高生だってばよ~ぃ編」
「モトカノの指輪は誰の手に?『それあげちゃダメ』編」
などがあります。(書けるのか・・・コレ

あまりにも生々しいのとかきっついのは書く予定がありませんので御安心を。
恋愛下手なのでドロドロ系の方が多いのですが・・・書けないっス。

明日、体力に余力があれば番外編と題しまして「男同士!髪は男の命なの!!」をお送りする予定でございます。
結構真剣な話でごわす。

・*:.。..。.:*・゜ファミレスラブストーリー゜・*:.。. .。.:*・(田中)

2006年02月18日 22時34分53秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
アレは美容院で勤めだしてすぐの事。
車はまだミニ1000(チェルシー)に乗ってた頃です。
見習いで勤めだした僕の給料は当時手取りで90000円でした。
最初から聞いてたので「まぁそんなもんだろう」と思ってた。
でもいざ初めてみるととにかくお金が足りないんですよね。
好きな車いじりもできないと。

じゃあどっかにバイトに行くかって感じでファミレスにバイトの面接に行きました。
どっちみち稼ぐなら好きな車いじりもできるように(調子に乗ってSR311のレストアを始めたのもこの頃)ってんで結構シフトを組んでもらってました。

そのレストランS(以後S)でバイトを始めて数ヶ月した頃でしょうか、他店舗から僕と同い年の女の子が転勤してきました。
とても可愛らしい人で店内でも噂になる事がしきりでした。
僕も話しかけたりとかしたかったのですがどう考えても不釣合いな訳で。
だって仕事持ってんのにバイトしてるなんて「僕ド貧乏で~す」って言ってる様な気がして凄く気がひけたんです。

そうこうしてるうちに勤めてた美容院でパーマのモデルが必要になったんです。
誰に頼んだら良いかなー・・・とか迷った挙句Sで働いてた「彼氏がいる」と公言してる子にお願いしました。
何故か「ナンパとかと間違われたらイヤだな」とか思っちゃったんですね。
で、「彼氏がいる人」とか思って。

でもこの彼女に断られてしまって・・・
そうするとあとは高校生のバイトさんばかりで今よりもっと校則が厳しかったのでパーマなんてとんでもないだろうと。

仕方なしに「断られるだろうな」とか思いつつその転勤してきた子に声をかけたんです。
「いいよ。」
って即答でした。
い、今いいよって言ったよな!?とか心の中で確認しつつダメだった時用の台詞をうっかり喋りそうになるぐらいのキョドりっぷりで「ありがとう」と言うのが精一杯でした。

それから店の中で喋ったりできるようになったりしてだんだんとバイト行くのが楽しみになってきたある日。
ふと気がつく。
結構好きになってんじゃないのか、オレ・・・・
でも彼氏とかいるよな・・普通・・・・

なんて思いながら厨房用の服に着替えてたら外でその彼女と彼氏がいるって子が喋ってる声が聞こえてきました。
「Mさんって彼氏とかいるの?」って問いにその彼女は「私、今まで誰とも付き合った事無くって」との返事。
聞いた本人はもの凄く大袈裟に驚いてました。
でも僕も更衣室の中でひっくり返りそうなってんですその時。

ダメでもともとだし食事に誘ってみるか?って。
勇気を出して第一歩です。
「今度どっかにご飯食べに行かない?」みたいな事を言ったんだよな、確か。
レストランの中で。
働いてるのに。
彼女はクスって笑って「いいよ。」って即答でした。
い、今いいよって(以下略



それから足掛け8年に渡る付き合いが始まります。
常時付き合ってた訳ではないんです。

とても不思議な付き合いでした。
確かに付き合ってたはずだと思う。

Sの従業員も「田中君と付き合ってんだね」って言ってたし。
僕の美容院での給料があがってレストランでバイトしなくっても良くなってそこを辞めたあと彼女も追う様にして辞めたとの噂。
「噂」って言うのはですねその時はもう彼女とは何もなくって他の人のとこに行ってたからです。

電話でSの従業員と喋ってたら「Mさん辞めてメイクの学校に行くとか言ってたけどやっぱり田中君が美容師だから?」と言われました。
もう会ってないんだけど・・・とは言えず「いえ、関係ないと思います」と答えました。

で、1年ぐらい経ったある日(その時は一人身)彼女の声が聞きたくなって電話してみた。
長い事話してなかったのが嘘みたいに落ち着いた声で話かけてくれる彼女。
ずっと彼氏とか出来なかったとも・・・・
まだできたばっかりだった「パルケ・エスパーニャ」に誘いました。

また彼女は電話口でクスっと笑って「いいよ。」って。
(もう書かない)

完成したSR311で彼女を迎えに行きました。
待ち合わせた駅で彼女とお母様がいました。
そのお母様は僕に深々と頭を下げ「お願いします」と。

僕はそれまでの浮かれた気持ちを見透かされた様な気がしてステアリングを握る手に妙に力が入ったのを憶えてる。

パルケは楽しかった。
帰りに和食料理の店に入って何を頼んだのかも憶えてる。
そこから彼女の家まで2時間ぐらいかかるんだけどその車中ずっと無言の時間が流れる。

何も知らない子供の様に。
そんな付き合いがまた始まった。



暫くして僕は名張を離れる。

久居の美容院で勤め始め津に引っ越す。
この辺りからまた彼女との連絡が途絶え勝ちになる。

そして嫁さんと知り合う。
結婚も決まったある日。

もう連絡も途絶え3年ぐらいになろうかと言うある日。
彼女から電話。(この時僕とこの彼女は28歳、嫁さんは25歳もう10年以上経つんだな・・・)
「ずっと連絡しなくてごめん、お祖父ちゃんが死んだりして色々あって・・・また会いたいんだけど・・・」って。
何故か僕は泣きそうで「ごめん、僕もう結婚するんだ・・・(連絡しなかったの僕なのに・・・T_Tって思いながら)」
彼女は暫くだまってた。
漸く「そう、おめでとう、だったら電話しちゃダメだね」
僕「ごめん・・・君のバレッタとかまだ持ってるんだけど(突然持ってる事を思い出す)送るね」
彼女は「捨てちゃってよ、そんなの」とまた電話口でクスって。

不思議な人だったな。
手も繋いだ事なかったな。
って事は当然それ以上の事は何も無かった訳で。
でも僕は彼女が好きでした、とても。
純愛って事になるのでしょうか。

「雑に扱っちゃいけない」
と会う度に強く思ってた。
それだけははっきりと憶えてる。

嗚呼、青春のレストランS・・・










☆ファミレスラブストーリー 前口上☆    (田中)

2006年02月18日 13時01分12秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
「田中さんの人生って何か凄そう」とかって言われます。
が、決してそんな事はございません。
幼少の頃より実家にお金はなく中学2年で極貧の時代を迎えましたがいつでも「粗にして野、しかし卑に非ず」の精神でやってきた(?)つもりであります。

色々言ったり書いたりしますが実はあんまり他人を羨ましいとか凄いなと思う事ってないんです。
また次の人生も(生まれ変わりはないと思ってますが)「田中」でやってきたいなと。
ただ性別は女性が良いな~・・・・

何て言っても僕のよりうちの母親!
あの人の人生の壮絶さに比べたら僕の辿ってきた人生など何と生ぬるい事か。
あの人に比べたらもうリスのオナラなみです。
娘(僕の妹ですね)を亡くし他人の借金を背負いそして写真に映ったら心霊写真(これは関係ないっすか)などなど。

でもこの「強い母親」に育てられてきたのでうちの兄弟はめちゃ強いですよ~。
今風に言うと「ハンパない」です。

何が言いたいかって言うと今夜書く予定の本編も「稼ぐ」為に掛け持ちで仕事をしてた訳ですが
本人はあんまり大変だったなとかって気持ちはなくって結構楽しくやってなと、そんな(?)感じっス。

てな訳で本編をお楽しみに~(なさる程の内容ではないか・・・

~中学3年友情編~     (田中)

2006年02月15日 22時42分02秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
ものすご~~く長いです。
呆れ返るぐらい長いです。
しかも面白くないかも・・・
本文2907文字ですと・・・


僕には大切な友人が数人います。
鬼籍に入ったのも居りますが親友と呼べるヤツが3人程。
皆、「太郎生」出身です。
今回はその中の一人「日置」について。

彼と僕は見た目も中身も随分と違います。
初めて嫁に紹介した時など後で「本当にあんたの友達?」と聞かれたぐらい。

僕→長髪のうさんくさい外見、性格はイイカゲン、口は悪い、落ち着きがないetc...

彼→すっきり爽やかできるサラリーマン風、きっちりした性格、紳士。

とにかく接点がないんです。
じゃあ何でか??
唯一の接点は「車好き」。
とりあえず幼稚園からず~~っと一緒ではありますが・・・・・

話は少し変わります。
こないだの土曜日に日置がカットに来てくれました。
その時にバレンタインの話になって「初めて貰ったのっていくつの時やった?」って話になったんですね。
そしたら彼は「中3の時、お前から」と

そうだったか・・・そう言えば覚えてるよ・・・・・・
チロルチョコレート1箱あげたんだよな。

中3の時。
日置は間違いなく僕のヒーローだった。

中3の頃より溯る事1年。
中2の初めうちの実家は大変な事になった。
親戚がマルチか何かにひっかかって最初は僅かの借金が数年で数千万円の借金になったらしい。
まだ出資法とかが出来る前の話です。

当然僕の両親は何の義務も無かったはずなのですが泣きついてきた親戚に(祖父を通して)母親は通帳と印鑑を泣きながら渡しました。
それからです、僕の実家が極貧の時代を迎えるのは。

本当にその日の食費さえ事欠く様な日々です。
家の中では言い争いが絶えませんでした。
多感な時期僕はどんどん荒んで行きました。

校内暴力とか騒がれだした時だったと思うのですが兄弟揃ってとにかく「悪い」とされてた人達と友人になり学校にはあまり行かず校外で過ごす事が多くなりました。
この辺りはあまり詳しくは書きませんが・・・

そして中学3年生です。
僕らのグループは教師によって完全にバラバラに。
当然です。
僕はとりわけマジメな生徒ばかり集められたクラスへと。

あまりにもつまらないので休み時間(や授業もさぼったりして)は前のメンバーがいる所に行ってたんです。

でも何かの拍子にそのクラスで一緒になっためちゃくちゃマジメな日置と車の話になったんです。
そしたらやったら詳しくって。
日置は色々と詳しく知ってて僕は知らない事を憶える楽しさにいつの間にか日置と過ごす時間が長くなっていきました。

でも前のメンバーともいきなりは離れられなくって顔を出したりしてたんです。
そしたらある日。
リーダー格のヤツが「お前、今せっかくマジメなのと一緒にいるんだからもうこっちには来るな」って。

寂しかったですけど正直ほっとしました。
それからはもう日置と学校の中でも外でもずっと一緒です。
そんなある日の事日置が「今日は俺の連れのとこに行くか?」と言ってくれました。
日置は正直で信頼できる人間なので友人も多かったんですね。
で、連れられて行った先には3人いた訳です。
その中で一際気の強いヤツが「何でこんなの連れてきた?」と僕の前で日置に怒ったんです。

すると日置は静かな口調で「こいつは俺の連れやから」とだけ言ってくれました。
それでみんな僕を受け入れてくれました。
それからの僕の中学生活はまさに薔薇色でした。

今でも思い出す。
「いい年にしような、大人になった時に『良かったよな』って思える様な中学時代に」
って言ってくれた時の事。
事故で足をやって入院してた時に見舞に来てくれた時だったっけ。
あの時、僕はベッドの上でみんなとは逆の方に向いて泣いてたんだよな。
泣いてるのを悟られまいとしてたんだけど・・・
あの何分かの沈黙のあと振り向いた僕を仲間は何も言わずにただ笑ってくれてたな。

退院した時には日置のグループは凄く増えてて女の子のグループとかとも凄く仲が良くなってたりして7人か8人で一緒に遊びに行ったり。
その1年前とは信じられない様な薔薇色の本当に薔薇色の日々でした。

中学を卒業して日置は進学校に、僕はそうではない(?)高校に。
どうにかこうにか卒業して美容師になり(高校~美容師までもまた色々ありすぎたのでこれはまた後日)大人になっても
日置には世話になりっぱなし。

勤め始めた頃なんて手取りで9万円ぐらい。
年金やら保険やらガソリン代講習費にハサミ代。
足りない、足りない。

昼間美容院で働いて営業後にトレーニング。
夜10時からファミレスでバイト(ファミレスラブストーリー編で書きます、え?もう読みたくない??ま、ま、そう仰らずに)。
それこそ食うや食わずの生活。
この頃まだ親戚の借金は片付かず実家には相変わらず無心に来てましたから。

睡眠不足とストレスでぐったりしてる時に日置は店に現れる。
「おい、何か旨いモンでも食いに行こうや」
同い年なのにいつもおごってくれてたな。

曲りなりにも今まで頑張ってこれたのもこいつのお陰だ。
僕の両親もどれだけ日置に感謝してる事か。

今はもうお互いに結婚して普段の付き合いはなかなかだけどでも一月に一度ぐらいのペースでカットに来てくれる日置を見ながら
自分の立ち位置を見直す。
「ちゃんと出来てるのか??」



中3のバレンタインのチョコの件。

確か7月の僕の誕生日にみんなで何かやってくれてそんなのは産まれて初めてだったから凄く嬉しくて。
で、バレンタイン付近が日置の誕生日だったっけかで「何が欲しい?」って聞いたら「チョコレート」と。
で、チロル1箱お買い上げとなった訳です。
今でもチョコ好きは変わってないらしくこないだのバレンタインキャンペーンの折駒田とよしぼーの選んだチョコレートを凄く嬉しそうに受け取ってたな。


それとごく最近の話。
中2の時のリーダー格の彼。
そいつと偶然この前に会ったんです。
歩いてたら後ろから「おーい」と呼びとめられて。
「エライいかついのが声掛けたきたな・・・」と思ったらそいつでした。
「お前の店の前よく通るわ」って。
聞くと今はトラックで宅配の仕事をしてるらしく結婚もして子供もいるとの事。
「店の前通る時は中を覗くんやけどな」と言われました。
「ちゃんと(?)生きてんだな、見てくれてるヤツいんだな」と思うと嬉しくて嬉しくて。

友よ、この命果つるその時まで。



















中学1年生編       (田中)

2006年02月11日 23時51分05秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
前回書いた幼稚園の女の子の話は6歳から12歳まで続く話なのでおいおいに書かせて頂きます。

そろそろ恋から愛に変わろうとする中学生時代、思春期を向えようとする田中が起した騒動とは・・・・・

中学1年生。
丸坊主でした。
激しく禿げでした。
バリカン入れられた時の事を昨日の様に思い出します。

最後の最後まで抵抗してた僕を父親が無理矢理(?)床屋へ行かせました。
校則で五分刈りが義務付けられてたのでどっちみちどうしようもないのですが・・・

床屋の親父が「智幸君ももう中学生か~」と言いながら嬉しそうに「ジャリジャリ~」っと刈り込んで行きました。
子供心に「何でわざわざこんなかっちょわりー髪型に・・・」とマジ泣きしそうになりました。
このトラウマがありいまだに床屋の前を通ると陰鬱な気持ちになります。
勿論床屋さんに何の責任も無い訳ですが。

そうやって(?)中学生になり坊主頭にも慣れてきたある日の事。
国語の宿題で「家族を題材」にした作文を書いてこいと言うものがありました。

次の日僕らは普通に他愛もない事を書いたものをみんなの前で次々と読まされて行きました。

ある女子の順番が廻ってきました。
いつも大人しく休み時間も一人で壁際に立ってる印象(って言うか実際そうだった)の女の子です。

割と可愛かったので気にはなっていたのですが・・・

その子がですね書いた作文ってのが「・・・・・・マジ??」って内容のヘビーなものだったんです。

物凄くはしょりますが「うちは商売をしててでも最近商売がうまくいかなくて私が寝てると隣の部屋からみんなの泣く声が聞こえてきました。
もう商売なんか止めてしまおうか(中略)私は起きて泣きながら止めないでと・・・あぅふじこlp;@:「」以下最後の方は涙で言葉にならず。。。

教室は水を打った様に静まり返り教師は職務を忘れ立ち尽くす。
暫く教室に白い時間が流れ漸く我に返った女性教師は「さ、もういいから座りなさい」と言うのが精一杯でした。

それから次の子が読まされてましたがあんなヘビー(13歳なりの)な話の後で田んぼでオタマジャクシが泳いでてみたいな作文読めるか~~?普通??
もうみんな色んな意味で一杯一杯でしたよ。
かく言う僕はどうして読ませる前にこの教師は作文のチェックをしなかったのか怒りで体が震えてました。

と、同時に心の中に芽生えたある感情。
「この子、オレが護らんで誰が護る?」

いきなり人を好きになってしまった。
そうするとその子はもう悲劇のヒロイン、僕は西部へやってきたガンマンの気分です。

どうにかしてお近づきになりたい・・・・
しかし田舎モンのダサ坊にはアプローチの仕方など判ろうはずもなく。
そんなある日いつもの様にその彼女が休み時間壁際に一人で立ってたんです。

僕は吸い寄せられる様に彼女の元へ。
何を思ったのか・・・いきなり・・・・








(期待をした方ごめんなさい)


そう何を思ったのかいきなりその彼女のつま先を軽く踏んだんです。
一瞬彼女は「きょとん」とした顔に。
そりゃそうですよね・・・
でもその後何故かにこって笑ってくれたんです。

それから調子付いた僕は休み時間の度に彼女のつま先を踏みに行くのが日課となりました(なんだこれ)
そしてその苦労が実って(?)彼女が踏み返してくれるようになってきたんです!
こうなりゃしめた(???)ものです。
何と無く話しができるようになりました。

「こりゃ行けるんじゃないか?」と思ってたのですが困った事が教室内で起こりつつありました。
なんとその彼女のつまさきを踏むのがそのクラス男子生徒の一大ブームになりつつあったのです。

僕は軽いパニックです。
「護らなきゃ」と思ってた人が僕のせいでいじめの対象になりつつある・・・
僕はその彼女の足を踏むのは(って言うか本当に触れるかどうかの踏み具合だった)とっくに止めてたのですが
休み時間やばそうになったら即座に彼女の傍に行ってました。
近寄ってくるハイエナども(?)を追い払う(っ言うか煙に巻くため)為に。

そんな気持ちが通じたかどうか彼女から色々と話しかけてくるようになってきたある日事件は起こった。

男連中4~5人(こいつらは僕が彼女が好きって知ってた)で喋ってたらその中の一人が「智幸、ちょっと見とって!」と言い残し壁際でいる彼女の元へ。
「やばい!」と思った瞬間そいつは踵でまさに全身の力を込めて彼女の足を踏み抜きました。

小さく「きゃ」っと悲鳴を上げた彼女は足を抱えその場に蹲りました。
顔面蒼白となった僕はすぐに彼女の元へ駆け寄りましたがその時の彼女の冷たい瞳・・・

僕が指示を出したんだと勘違いしてる・・・と即座に理解しました。
全身の力が抜けた僕はふらふらと教室を出て教室の扉の向こうニヤニヤと笑っていた踏んだそいつを体育館の裏(以下略

その後その彼女は僕とは眼も合わせてくれなくなりました。
幸いその騒ぎがあってから足を踏む事は誰もしなくなりまたその一件で「大丈夫?!」と駆け寄った女生徒達数人と友達になった様で壁際に立つ事もなくなりました。

今だったら言える、あの時の事を。
「僕は君の事が・・・・」






初恋の人って覚えてますか?

2006年02月05日 22時57分33秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
人を好きにならない人っているのかな??
や、いるんだろうな・・・
僕の人生には考えられない事です。

初めて女性を好きになったのは忘れもしない6歳の頃でした。
当時だいたい2~3年保育だったのですが僕と友人は1年しか保育園に行けなかったんです。
そ、経済的な理由で。(友人宅は逆でお金持ち過ぎてお手伝いさんとかいて保育園に行く必要が無かった。)

でね、4歳とか5歳ぐらいから保育園に行ってた子達って自分達の敵(?)でその子達が帰ってくるのを見計って「敵が来た~!逃げろ~!!」とかやってた(これは僕の結婚式の時に友人がスピーチで暴露)んです。

で、念願叶って保育園に初登園した日凄く可愛い女の子を見つけたんです。
クセ毛の眼がクリクリっとした「お嬢様」って感じの女の子です。

初めて見た日からそのコの事が凄く気になって。
元来(?)恥ずかしがり屋の僕はなかなかその子と喋る事が出来ず遠巻きに見てるしか無かったですね。

そんな悶々とした(?)日々を過ごしてたある冬の日。
雪がもの凄く降ってましたっけ。

その子がね、僕のところへトコトコ~って走って来て小声で言うんです。
「外に出よう」って。
咄嗟に僕は「嫌だ、寒いから」とか言って断ったんです。
そしたらその子はもう一度「二人で外に出てみよ?」ってもう一回。
僕はその時既に気絶しそうなぐらい嬉しかったのですが「どうして?」って聞いたのね。

そしたらその子が「智幸君(僕の名前)は今日黒いセーターを着てるから雪の形が良く判るから」ってな事を言ってきたんです。
細かい言葉使いは忘れましたがそんな感じです。

僕はしぶしぶ(のフリですね、勿論)彼女に促されるまま外に出て
そして二人で僕のセーターの袖に落ちて来る雪の結晶を見続けました。

もうそれからその子の事が死ぬほど好きになったのは言うまでもありません。
そしてあの日「こんな(地味な)セーター着るのいややわ~!」ってゴネた僕に無理矢理黒いセーターを着せた母親の奇跡にも感謝しました。

もう30年以上も前の話です。
この彼女との後日談はまた後日いつの日か。。。。。

コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ    (田中)

2006年02月05日 22時39分53秒 | コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ
こないだ書かせて頂いた「バレンタインに纏わるエトセトラ」が何気に評判が良く(?)驚いております。
今日も何人かのお客様から言われびっくりしました。
かなりのお客様がこのブログを読んで頂いてるんだなと。

調子に乗って新しいカテゴリーで「コイバナ・・・哀愁の村に雪は降るのだ」を作りました。

どうぞこれからも御贔屓に。。。
次回第1回目(0回目は「バレンタイン~にしておきましょうか)「初恋編」であります。