㊗ 成人の日 新成人の皆様おめでとうございます!

さて、余命ブログは本日は更新なしです。
せんたくさんのブログより・・・
【公開生放送】余命が敗北宣言!カネも無い、香典詐欺も無理、
ブログ更新ネタも無い 羽賀芳和 逃亡!本日1月13日 23時生放送
余命もそのうち集めた金を持って国外に逃げるのでしょうか。
ところで昨年末のゴーン被告逃亡から、次々と新たな事実が報道されていますが、これには驚きました。
仰天報道 カルロス・ゴーンの父親は神父を銃殺し、死刑判決を受けていた
レバノンに逃亡したカルロス・ゴーンの記者会見は、レバノンをはじめアラブ諸国でも大々的に報じられているが、
衝撃的な報道が登場した。それは、ゴーンの実父、ジョージ・ゴーン(アラビア語名はゴスン、2006年に死亡)が、
かつて密輸にからむ殺人事件を起こした後、いくつもの事件で死刑判決を受けていた、というものである。
ドバイのアル・アラビーヤ国際ニュース衛星放送が報じたところによると、フランスのオプセルヴァトゥール(L’Obs)の
東京特派員レジー・アルノー記者が、カルロス・ゴーンの人生にせまる『逃亡者』という本を2月5日に発売する。
その本に、ゴーンが6歳のとき、父親のジョージが犯した殺人事件について触れていることが明らかになった。
ただの脅しのつもりが……
アルノー記者の本を事前に入手したクウェートのアル・カバス紙によると、事件が起きたのは1960年4月17日。
レバノンの村の路上で銃殺された死体が発見された。
被害者は、ボリス・ムスアド神父。3日後に5人組の犯人グループが逮捕された。
その一人が、当時37歳だったジョージ・ゴーン。ダイヤモンド、金、外貨、麻薬の密輸業者であり、
ジョージは検察官の取り調べに対し、「ただの脅しのつもりが最悪の結果になってしまった」と供述している。
ジョージは事件の20年前にナイジェリアの首都ラゴスでボリス神父と出会っていた。
ボリスはレバノンの山岳地帯で羊飼いから神父になった人物。その神父にジョージは密輸を依頼するようになる。
儲けたカネを分け合う関係だったが、「神父の欲深さに腹を立て、仲間をけしかけて脅していたら、
神父を殺害してしまった」と、ジョージは供述している。
件当時、息子のカルロスは6歳。父親は殺人で逮捕されるのだが、その後、さらなる驚きの犯罪が発覚する。
賄賂、偽札、脱出、成功
バアバダー刑務所に送還されたジョージは、「貧しそうだったので憐れんでやった」と看守たちに賄賂を配り、
刑務所のドンとなった。昼間は刑務所外で過ごし、夜は刑務所に戻る形で、
近くに開いた賭博所で看守や囚人たちをもてなしていたという。
同年の8月4日、仲間11名が逃亡を計画。ジョージは逃亡に加わらなかったが、
脱獄に失敗して逮捕された仲間が衝撃的な供述を行う。それは、ジョージがバアバダーの地方検事、予審判事、
刑事裁判所長の殺害計画をもちかけていたというのだ。これによって、ジョージ・ゴーンは1961年1月9日に
死刑判決を言い渡された。
しかし、ジョージは模範囚となり、その後15年の禁固刑に減刑された。出所したのが、1970年。
ところが、話はこれで終わらない。刑務所から出所した4か月後にまた逮捕された。
3万4000ドルもの偽札を所持していたのだ。取り調べの結果、100万ドルの偽札をすでに販売していたため、
再度15年間の禁固刑に処される。
3年後、刑務所内で自殺未遂事件を起こしたが、チャンスが到来する。
1975年初頭、レバノン内戦の混乱に乗じてベイルート脱出に成功したのだ。
ジョージはブラジルのリオデジャネイロに逃げて、ブラジルでビジネスに成功。2006年に死亡した。
https://forbesjapan.com/articles/detail/31734
(上記より抜粋)
凄い生い立ちですね。
父親は死刑判決を受けてレバノンを脱出してブラジルに渡り、
息子は日本で裁判に掛けられてレバノンに逃亡した訳です。
父親はレバノン内戦に乗じて1975年に出国し、ブラジルでビジネスを興して2006年に死去。
レバノンでは犯罪者だったのですから、恐らく裏ルートでブラジルに渡ったのでしょう。
彼の父は罪を償わずに国外に逃げ、内戦で国が大変な時に海外で大金を稼いでいた訳ですから、
レバノン人が一族を裏切り者呼ばわりするのは仕方が無い事かもしれません。
本日もありがとうございました
※当ブログはアフィリエイトは有りません

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【公開生放送】余命が敗北宣言!カネも無い、香典詐欺も無理、
ブログ更新ネタも無い 羽賀芳和 逃亡!本日1月13日 23時生放送
余命もそのうち集めた金を持って国外に逃げるのでしょうか。
ところで昨年末のゴーン被告逃亡から、次々と新たな事実が報道されていますが、これには驚きました。
仰天報道 カルロス・ゴーンの父親は神父を銃殺し、死刑判決を受けていた
レバノンに逃亡したカルロス・ゴーンの記者会見は、レバノンをはじめアラブ諸国でも大々的に報じられているが、
衝撃的な報道が登場した。それは、ゴーンの実父、ジョージ・ゴーン(アラビア語名はゴスン、2006年に死亡)が、
かつて密輸にからむ殺人事件を起こした後、いくつもの事件で死刑判決を受けていた、というものである。
ドバイのアル・アラビーヤ国際ニュース衛星放送が報じたところによると、フランスのオプセルヴァトゥール(L’Obs)の
東京特派員レジー・アルノー記者が、カルロス・ゴーンの人生にせまる『逃亡者』という本を2月5日に発売する。
その本に、ゴーンが6歳のとき、父親のジョージが犯した殺人事件について触れていることが明らかになった。
ただの脅しのつもりが……
アルノー記者の本を事前に入手したクウェートのアル・カバス紙によると、事件が起きたのは1960年4月17日。
レバノンの村の路上で銃殺された死体が発見された。
被害者は、ボリス・ムスアド神父。3日後に5人組の犯人グループが逮捕された。
その一人が、当時37歳だったジョージ・ゴーン。ダイヤモンド、金、外貨、麻薬の密輸業者であり、
ジョージは検察官の取り調べに対し、「ただの脅しのつもりが最悪の結果になってしまった」と供述している。
ジョージは事件の20年前にナイジェリアの首都ラゴスでボリス神父と出会っていた。
ボリスはレバノンの山岳地帯で羊飼いから神父になった人物。その神父にジョージは密輸を依頼するようになる。
儲けたカネを分け合う関係だったが、「神父の欲深さに腹を立て、仲間をけしかけて脅していたら、
神父を殺害してしまった」と、ジョージは供述している。
件当時、息子のカルロスは6歳。父親は殺人で逮捕されるのだが、その後、さらなる驚きの犯罪が発覚する。
賄賂、偽札、脱出、成功
バアバダー刑務所に送還されたジョージは、「貧しそうだったので憐れんでやった」と看守たちに賄賂を配り、
刑務所のドンとなった。昼間は刑務所外で過ごし、夜は刑務所に戻る形で、
近くに開いた賭博所で看守や囚人たちをもてなしていたという。
同年の8月4日、仲間11名が逃亡を計画。ジョージは逃亡に加わらなかったが、
脱獄に失敗して逮捕された仲間が衝撃的な供述を行う。それは、ジョージがバアバダーの地方検事、予審判事、
刑事裁判所長の殺害計画をもちかけていたというのだ。これによって、ジョージ・ゴーンは1961年1月9日に
死刑判決を言い渡された。
しかし、ジョージは模範囚となり、その後15年の禁固刑に減刑された。出所したのが、1970年。
ところが、話はこれで終わらない。刑務所から出所した4か月後にまた逮捕された。
3万4000ドルもの偽札を所持していたのだ。取り調べの結果、100万ドルの偽札をすでに販売していたため、
再度15年間の禁固刑に処される。
3年後、刑務所内で自殺未遂事件を起こしたが、チャンスが到来する。
1975年初頭、レバノン内戦の混乱に乗じてベイルート脱出に成功したのだ。
ジョージはブラジルのリオデジャネイロに逃げて、ブラジルでビジネスに成功。2006年に死亡した。
https://forbesjapan.com/articles/detail/31734
(上記より抜粋)
凄い生い立ちですね。
父親は死刑判決を受けてレバノンを脱出してブラジルに渡り、
息子は日本で裁判に掛けられてレバノンに逃亡した訳です。
父親はレバノン内戦に乗じて1975年に出国し、ブラジルでビジネスを興して2006年に死去。
レバノンでは犯罪者だったのですから、恐らく裏ルートでブラジルに渡ったのでしょう。
彼の父は罪を償わずに国外に逃げ、内戦で国が大変な時に海外で大金を稼いでいた訳ですから、
レバノン人が一族を裏切り者呼ばわりするのは仕方が無い事かもしれません。
本日もありがとうございました
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