『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

青春とは違う、白秋時代の愛のカタチ

2020年08月11日 | 考える日々

Photo by pixabay

マザーテレサは
「愛の反対は無関心」と言ったけれど、
自分が何かを見るということは、
それだけで愛していることなんだと思う。

「今、ダンナさまが大変で」という先輩と、
「そーそー、なんで男子って、
ああ会話がズレるかなぁ…」
とトホホ話で盛り上がった。

男子は(と一概には言えないとしても)、
心を開いて話すことが苦手だからなぁ。
違いを楽しむのも苦手だし、勝ち負けつけたがるし、強がるし。
女子はそれらまるごと含めて受け入れてるのに、
上手に隠せてると思ってるし(^^)。

素朴実在論(見えてるものだけがある、とする考え方)じゃないんだから、
違いや弱さ、見なければなくなるわけじゃないのよ。
「キツくなんかない」って強がってないで、
見せるだけで「あ、私もそうなのよ。あれはキツイよね」
って笑い合って、次に進めるのに。

先輩は、心から彼を愛したことがあるのかな」と
誠実に自分に問うておられたけれど、
私も同じ。だけど、
そう考えてみること自体が、愛ゆえ、なんだと思う。

愛は状態を示す言葉じゃなくて、
行動を示す動詞だ。
私たちは「トホホのまま受け入れる」という行動をしている。
だからOKだ!! 

…「何がOKなのよ?」と笑ってしまったけれど。
そりゃ、ツーカーで分かり合える夫婦をうらやましいとは思うけど。

青春から白秋に変わった私たち、
30分会うために3時間を厭わないような、
燃えるような情熱的な愛し方じゃないけどさ。
話しが噛み合わなくても、愛はある。
っていう状態が成り立ち得ることを知る中年期。

別の一人が
「じゃあ、ダンナさんは、あなたがピンチの時に
助けてくれると思う?」と聞いた。
私は「間違いなく助けてくれる!」と即答する。

友達と話している方が盛り上がるけど、
話が盛り上がるのと愛は別だ。
相手にだって山盛り言いたい事があるのも知っている。
それでも一緒に生きよう、なるべく楽しく、と思っている。

う~ん、でも実際問題、日常生活では、
愛があるかどうかより、話がかみ合う方が楽しい(^^)。
まぁ、そういう時には友人がいるさ♪



軽く使う言葉じゃないけれど、
変幻自在な形を含む言葉だね。
「〇〇じゃないから愛して(愛されて)ない」とか、
決めつけなくても、結構幅の広い形がありそうです。

もちろん、
身の危険やギャンブル癖のある人からは逃げましょう。

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