『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

読書や対話で自分を育てるための魔法の呪文

2020年08月12日 | 考える日々

photo by pixabay

苦手な人に自分の何かを批判された時、
それを素直に聞くのは難しい。

よっぽど自信のあることなら、
「あ、そう受け取ったのか、なるほどね」と、
わりと素直に聞けるんだけど、
そもそも自信のあることが少ない(^^;)。

だけど、自分が選んで、読みたくて読んだ本で、
自分が考えの上をいく考えが書かれていたら、
とても素直に受け入れられる。
全然違う、考えたこともなかった視点も、
おもしろい、と線を引いてみたりする。
「コレは自分が考えてたことだ」と錯覚するほどに。

私は昔、壁一面の大きなミロの絵の前で
“コレを描きたかったのよ!”と叫んだことがある。
超絶大誤解。それ絶対ちげーだろ、オマエ!
まぁ、ミロの芸術の力ってことで(^^;)。

えーと、そういう、
格の違うものとの出会い、異文化との出会い、
違う意見との出会いが一番多いのが、
私の場合は、本です。

SNSでは、同じ方向性の「スゴイ人」に出会ったり、
同じ意見で盛り上がったりはするけど、
全然別の真実を教えてくれる人とは出会えない。

現政権が好きな人は、
現政権のキライな人のコミュニティには登録しないだろうし、
オルタナティブ教育に興味がある人は
受験対策の親の会には参加しないだろうから。

リアルに出会う人は、いつも
一定の割合で、自分とは別の意見を持っている。
そして、あまりつきあいの深くない人だと、
なんとなくその話題は避ける。

そんなこんなで、
なかなか入って来ない別の意見。
私の場合、
心開ける人や本経由で受け入れることが多い。

なにせ、こっちも上書き保存されたくて
心全開で向き合っているし、
向こうにも説得力がある。

深い所で会話したり、読んだりしていると、
自分の意見が浅はかだったことに気付き、
そんな浅はかなものを始終大事にしていることが
なんだか薄っぺらく思えてくる。

そう思えた時が、一歩進む時。
ものの考え方が少し変わった、
世界の見え方が少し変わった、
そう思えるのが対話したり本を読んだり、学んだりする醍醐味。

じゃあ、今日わかったこと、変えられたことは何かな?

うーんと、
誰かと心開いてじっくり深い話をすることと、
本気で本を読むことは、
「自分を育てる」という意味でちょっと似た作用がある、
ということかな。

それはどっちも、相手のせいじゃなくて、
自分の姿勢次第で可能なんだ、ということも。

人でも本でも、
自分を育てる対話のための魔法の言葉。
「へぇ~、どうしてそう思うの?」。
素直に受け入れられなかった時にこそ、
そうやって耳を傾けることで自分を育てる対話が始まる。


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