『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

ゆっくり考える場所

2021年04月12日 | 考える日々
春、漠然と新しく何かを始めたいと思っている
20代30代の人たち数人と話す機会がありました。

曰く
「どうしても本質が気になるんです」
「断捨離したんですけど、すぐ散らかるんです」
「人間に生きる意味なんてあるんでしょうか」
「哲学的な話をしたいけど変な人だと思われたくない」
「私は何のために生まれてきたんだろう」…などなど。

ああ、私が子どもの頃から気になって仕方なかったこと。
外に答えを求め、果たせず、
身近な人たちと会話がちぐはぐになる寂しさも味わいつつ、
それでも今までず~っとつきあってきた問いだ。

こういうことって、
まるで気にならない人もいるけど、
いつの時代も一定数は
気になって仕方ない人もいるんだよね。

そして、そういう話は、
休み時間だの、ランチを楽しんでる時だの、
そういう気楽な気分の時には困られる。
そういう話が大好物の私だって、困る(^^)。

昔、昼休みに一人でカレーうどん食べてて
「やった、お肉発見!」とか思ってた時に、
「自由の哲学」を貸してた友人から
「ねー、本質的なことって何だと思う?」
とメールが来た事があった。

真剣に考え出してしまって
あれこれ書き直しながら、返事を書いてたら、
うどんが伸びて冷めていたという…(^^)。

ああ、できることなら力になりたい。
話したい時に、話し相手になりたい。
気になるよね、そういうこと。
一人ひとりの中にある答えを照らす伴走者になりたい。

その人たちが話すあれこれを聞いていて、
「自由の哲学」を読み出した頃の私を見るようで、
激しくシンパシーを感じました。

そして、たいして成長もしない間に、
自分がその年代からはみ出ていたことに
初めて気付いたのでした。
あのキラッキラした感じが、もうないわ~(^^)。

その代わり、若い頃みたいな焦りは不思議なほどない。
仕事と家庭の両立がどうとか、
上司や友人が自分を誤解したとか理不尽とか、
まぁ、感情は動くけど、わりとどうでもいい。

そういう、外の出来事じゃなくて、
今すぐ、無理のない範囲で、
何なら、自分が世に役立てるのか、という、その一点。
それを叶えるには何をしたらいいのか。

「外に探しに行くんじゃなくて、
ここから始めるしかないんじゃない?」
と、一周回って、まるで青い鳥みたいに、
自分の居場所を大事に思っている。

言葉にすること自体が、
自分の答えを探しに行く切符。
だから、それを応援したいと思ったら、
話を聞く人がいるだけでいいのでは。

気軽に話せるそんな場所が、
オンラインの中にでもあったらいいな。
そしてそれは、全然知らない人同士でもいいし、
参加する人が特定の何かを学ぶ必要もない。

自分の出来る範囲で、
自分の現場を良くしようと思っているすべての人が、
自分で考え、行動に移せるようなきっかけが、
産まれる場所を作りたいなぁ…。

なんというか、
どうすれば〇〇できるかとか、
成長するための方法がどうとか、
そういう話じゃなくて、もっと本質的な話。
自分は何なのか、どうありたいのか、というような。

…を、難しい言葉じゃなくて、
普段の言葉で深めていくような時間。
正解も間違いもない、
「今、自分は、こう考えています」
ということを重ねて、お互いに受粉する時間。

やりたい人がいたら、試してみたいな~。
誰か、興味ありますかー?

とか、こういう場所があれば、
私も一度参加してみたいので、教えてくださいませ~。


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