『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

分けて分かること、全体を見てわかる事

2021年04月18日 | 『自由の哲学』
「わかる」という字は「分かる」と書くように、
モノゴトを細かく分けて整理したら、わかる、
という風に考えてきました。

銀行のシステムダウンだったら、
ネットワークの問題なのか、プログラムの問題なのか、
はたまたハード機器の問題なのかを切り分けて、
問題個所を突き止める。

進路や就職の問題だったら、
お金が問題なのか、社会保障が問題なのか、
はたまた、社風の問題なのか、適性なのか、
自分のやりたいことなのか、
大事なことと大事じゃない事を分けていけば
だんだん答えが見えてくる、はず。

おなかを壊したなら、
胃なのか腸なのか、
食べたものが古かったのか、ウイルスなのか、
はたまたメンタルなのかを切り分け、
どこが問題なのかによって、対処は変わる。

こんな風に、
問題があった時、答えを知るためには、
分けて考えることを当たり前だと思ってきた。

そうやって、
学問の領域は果てしなく細かく分かれ、
それぞれの専門分野で一歩ずつ一歩ずつ
今まで積み重ねながら、世の中が進歩してきた。

細かすぎて、一体、何に使える研究なのか、
シロートには、いや、
やっている本人いもわからない研究だってある。

役立たないものを笑う気はない。
役立つものや生産性のあるものだけが、
価値あるものだ、という風潮も苦手だ。

新しいことが分かって行く学問や、
生産性を高められる技術は素晴らしいけど、
そうじゃない国文学科とか、哲学科など、
自分を知るための学問や、
何に使えるかわかんない自然科学系の学問だって素晴らしい。

あれ、何が言いたかったんだっけ?
そうそう。

私たちが何かを分かろうとする時、
ものごとを分けることで理解しようとするけど、
人間を理解しようと思った時、
医学的に細かく分ければ分けるほど、
人間はただの物質になっていく。

どれだけ細かく解剖しても、
人間のことはわかんないよ、
人間のカラダの事しかわかんないよね?
アタシはアタシのカラダじゃないもの、
ということを言いたかったのでした。

てことは、身体じゃないアタシ、
この着ぐるみの中身にいる「アタシ」は、
この着ぐるみを脱ぎ捨てたって、
ずっとずっと続いていくはず。

…と思っていたら、
次の人生のスタートラインを決めるために、
今生の人生を大事にしたくなるわ。

その前に、着ぐるみが不調な時は、
ちゃんと着ぐるみを繕ってからじゃないと、
この世を歩きにくいけどね。
とりあえず、月曜日に歯医者の予約しよう(^^;)。

いや、そうじゃなくて。
分けてわかることと、
全体に戻ってわかることと2種類あって、
全体に戻ってわかることって、
無視されてるよな~と思ったのでした。

無視されているっていうか…、
自分で全体像がわかるのって、
自分の考えている事だけだから、
自分がちゃんと自分の考えを認め(見る+止める)てあげて
自分の全体をわかろうとしてあげたいね。

あ、また自由の哲学に帰ってきちゃった(^^)。
ここで引用したら、みなさまにも役立つんだろうけど、
引用箇所を探すのめんどーなので、
興味のある方は、探してみてくださいませ。
どこかにあるはず(^^;)





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