『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学15章3段落_4

2016年09月30日 | 『自由の哲学』
だから、一元論には、
私たちの経験できないような世界を指すような考えも、
ただの仮説でしかない形而上の内容を示す考えも、
共に、考える必要がない。

多くの人が考え出してきた、
神や死語の世界やカルマや何やかやの考えのすべてが、
一元論にとっては不具象だ。

その不具象な考えを生み出した人は、
もともとは経験できること(=具象)から
その考えを借りてきた。
それを、忘れているだけだ。


もともとは、消しゴム一つ、鉛筆一つでも、
思いがなければ現実にできない。
現実と考えを結びつけたところに、
そのような考えのある通りに、世界はできている。

逆に言うと、世界を変えようとすると、
現実と考えを結びつけて生み出すことで、
現実が変わる。
大げさなことじゃなくて。

たとえば、私の場合だと、子どもが保育園の頃に、
「子どもに学びを押しつけるんじゃなくて、
大人が勉強したらいいんじゃないかな」という考えがあった。

現実を見ると、
自分が何かを取り仕切ったりできない性格だった。
現実と考えの両方を結びつけて、
リーダータイプの方に相談した。

その方と一緒に相談するすることで、
あれこれ具体的に動けることがあり、
その方の活躍と、自分にできることで、
大人が勉強する場ができた。

身の回りに変化があった。
っていうような、こと。
誰にでもある、身の回りの変化も、
覚えと考えを結びつけたところにある。

その現実は、それぞれの人によって違うから、
たとえば、私みたいなへなちょこな人が何かを始める時、
この経験から「へなちょこな人が何かをする場合、
リーダータイプの人に相談すればいい」
なんていう、法則を応用しようったって、
その人の現実ではそれは現実ではない。

別人どころか、それから数年経って今の私。
今の私の中でも、現実が変わっているので、
数年前と同じようにしようったって、
そのままじゃ、うまくいかない。

現実は刻々と移り変わり、
それに伴って、考えも広がり、高まり、真実に近づく。
考えは、その時々で「その人の、その状況での真実」だ。

だから、人の成功談とか、自己啓発本とかも、
自分でその方法を試してみて、現実が変わり、
そこからまた、自分の方法を編み出して行くことで、
考えが真実へと近づく。

西洋では、モノを分解して理解しようとする。
日本では、モノとつきあうことで、モノを理解しようとする。
正しくても間違ってても、相手に沿うこと。
家族ではそういうことがやりやすい。

相手を分析したりしないで、
「そういう人なのね」って、驚きと共につきあっていると、
仲良くなり、人間としてのつきあいも深まる。

日本で離婚が増えてきたのは、
相手に寄り添うことが、ばからしいことだ、とか
相手を分析したり、判断したりするような見方が
普通になったからかな~。

子どもが精神的に追いつめられて行くのも、
そういう見方をするようになったから、かも。

分析したり判断したりすることが悪いことじゃなくて、
そうすることで、
人間が互いに影響するものだということを無視して、
その時点での相手を、「こういう人だ」なんて
昆虫標本のようにピン止めしてしまったりするのが、
人間の現実を無視した、単なる「考え」だから、かな。

ちょっと脱線しましたかね。

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