『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

好き嫌いのその先へ~自由になるためのココロの訓練~

2020年07月16日 | おしゃべり
友人とあれこれしゃべっていた時、
「正しいことはどーでもいいけど、
好きとキライってめちゃくちゃ大事やんな」
という話になりました。

いや、正しいことは中学生でも言えるけど、
好き嫌いは、その人に(私に)しか言えないからさ。
自分を知る上で、めっちゃ大事。

永遠に会話していられる人の条件のひとつは、
「何が好き」とか「何がキライ」という話に終始するのではなくて、
「その好き嫌いは、一体自分の何を表現しているのか」
の部分で会話ができる人だね、と、二人して確認したのでした。

「これ好き~」「私も好き。めっちゃいいよね、これ!」
「おいしい!」「ホントだね~。コレ好きだったら今度あの店も行こうよ」
という感じで進んでいく、普通の会話。
テンポよくサクサク進んでいく。

一方、立ち止まる会話。
「これ好き~」と始まりは同じでも、
「へ~、なんで? どんなとこが好き?」
「前は、こーゆーのも好きって言ってたよね」
「アレも似てるけど、コレとは違うのかな、どこか違う?」と、続く会話。

こっちは、出来事に対する好悪をきっかけにして、
まだ見ぬ自分の中身に光をあてていく作業。
ま、一見めんどくさいんだけど、
好きな人にはめちゃくちゃ楽しい。

自分の、あるいは相手の中身に光を当てて行くことで、
ふわふわもやもやしてることが少しずつ全貌を明らかにしていく、
新しく見えたことがあれば、それを整理することもできる。

整理していく中で、
知らない間に自分を縛っていた
「気持ちの法則」に気付けることもある。

気持ちの法則、たとえば、う~ん、そうだな。
何かをホメられそうになったら、
自分を卑下したり相手を持ち上げたりして
全力で回避するクセ。
→ありがとう、で受け取ればいいよね??

たとえば、せっかく誰かが
自分のダメなところを教えてくれてるのに、
ダメ出しされたことに傷つかないように、
必要以上にブロックするクセ。
→それをブロックしてたら、オマエはいつどうやって学ぶんだ?
ブロックが必要だとしたら、自分が壊れない限度ギリギリでいい。
いや、新しく生まれるには、産みの苦しみがあるはず。
多少の傷みを、自分が受け入れられるようになればいいのか。

たとえば、会話してる最中に、話が途切れたら、
何か話をした方がいいのかな、と、勝手に義務感を感じるクセ。
→まぁ、あまり親しくない人に対してはマナーの範囲だけど、
そこを越えて一緒に考えたい構えの時には、待つ方が有効なんだけどね。

というような、
人と話をする時に反射的に繰り出しているクセ。

その法則は、いったん光を当てさえすれば、
つまり、意識化できれば、少しずつ出し入れ可能になって、
普段の暮らしの中で、気づかずに自分を縛ることがなくなる。

とは言え、長年付き合った法則は、自分で気付いても自分を縛る。
そこから先は、自分で訓練したかったらしていけばいい。

その子が見つけてくれた何かの法則は、
私の中にも、たぶん誰の中にも
いくばくかはある法則。

これは、漠然とした自分探しじゃなくて、
自由になるためのココロの訓練。
充実した時間。

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