『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

目的のない会話の目的

2020年07月17日 | 考える日々

photo by pixabay

このところ、暮らしに会話が足りなくて、
ゆっくりしゃべりたいな~と思っていた。
ありがたいことに、心許した人が何人か時間をくれた。

ゆっくりしゃべる、って、何かが生まれるね。
ぼんやり感じていたことが、
輪郭を持って、形として立ち現われて来る。

あいまいなことや、気配、予感しかないことを、
なるべく適格な言葉を選んであてはめてみる。
ピッタリの言葉が見つからなくても、
その違和感も込みで、一歩進める気がする。

それから、ゆっくりしゃべっていると、
「あの時のアレが許せない」とか、
「あんなヤツはくたばれ」とか、
意識する以前にヤバイと思ってフタしてたことを、
そっと開けてみる楽しさが味わえる。

普段は意識しないドロドロしたものを、
悪趣味にも白日の下にさらしてみることができる。
「私、自分でいいヒトやと思ってたけど、
今、自分の中身を覗いてみたら、こんなん出てきた!」って
取り出してみる。

あまりにも普段言ってることと違ったりしたら、
お互いに爆笑してしまう。
「すごくない、それ。どの口が言ってんだか(^^)!」って。

見せられた方も、「え、マジで?」とビックリしながら、
おもしろがって自分の中身を点検してみて
「こっちには、あの時のこんなんが残ってたわ」と、
これまた生々しいものが取り出される。

そのお互いのドロドロは、
取り出してみることで生々しく浮彫になって、
それに注目しているうちに、
まるで成仏したかのように消えて行く。

自分の中にそういうドロドロがあることを知っていると、
人にも寛容になれる。
「そりゃ、そういう風に思うこともあるよね」って。

見せる相手を間違えると、
「こんなに正しくないのを発見した♪」
って、せっかくおもしろがって見せたのに、
「それは正しくないでしょ!」ってダメ出しされたりして、
しらけることになる。

正しいとか、正しくないとか、
その人じゃなくても言えることはどうでもいい。
何なら「正しくないアナタも受け入れてるよ」って伝えたいのに、
そういう人に限って「自分は正しい」と言いたがる。

ゆっくりしゃべってる時って、目的地は要らないんです。
「かけがえのない目の前のアナタ(私)がどう感じてるか」を受け入れ、
初めての道に迷子になりながら互いを暖め合うことが大事なんです。


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