『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学14章06段落_2

2016年04月20日 | 『自由の哲学』
前半は、認識の自由。
今度は、実行の自由についてのいくつかの文です。

一人の人が、具体的に何をしたいと思うのか。
そのことも、「類」の見方からは導けない。
一人の人をわかろうとするなら、
類ではなく、その人自身に迫らなければならない。
セオリー通りの見方では見えない。
そういう意味では、一人ひとりが、ひとつの謎だ。

そして、抽象的な考えや、類という考えに関わるすべての学問は、
1,一人が世をどう観察するか
2,一人が何をしたいと考えるか
を知るようになるための準備にすぎない。

類としての行動や考えのパターンの枠から、
ある人がはみ出しており、
もっと自由にその人は考えて動いているのだ、
ということが見えたら、
私たちは自分の精神からの考えでその人を見るのではなくて、
ちゃんとその人に沿って、その人をわかろうとすべきだ。

相手を知ることは、自分の考えと、
外からの覚え(見たり聞いたりしたこと)を
考えることによって結ぶことだ。

人以外のあらゆる対象については、
自分で見て考えることで、わかる。
でも、人をわかろうとしたら、その観察方法ではうまくいかない。

その人が、その人自身をどういう基準で動かしているのか、
私の考えを入れずに、その人に沿って、考えることで、わかる。
誰かを判断する時に、自分の考えを混ぜて色眼鏡で見る時には、
その人のことを理解できるわけがない。

自由な人が、類の枠組みから自分を解放するように、
自由な人を理解するには、類らしさで見る色眼鏡を外して、
先入観を捨て、自分の目で相手を見ることが必要だ。


一人ひとりが謎だ、か。
そうなぞだ? そうなのだ。

自分ですら、どういう人なのか謎なのだ。
自分が何をしたいと思っていて、今何をしているのか。
そう思っているなら、なぜ今これをしているのか。
ということは、自分を動かしているものはホントは何か
…などなど。

誰かをわかろうとする、その方法が、
その人に沿って先入観なく真っ直ぐに見る、
としたら、自分をそう見たっていいよね。

私らしさ。自由な人たる一人の私。
それは、世のホントウを掴みたいと切望し、
だから、本を読むことが好きで、考えを繰りなすことが好きで、
だから、自分の中を点検してヒントをもらうことが好きで、
浮き世のことには、あまり向いていない。

多くの人と浅くつきあうのもいいけど、
少しの人と深く話す方がもっと楽しめる。
どうせ生きるなら、もっと自由にしっかり生きて、
自分がいいと思う方向に自分を役立てたいと思う。

そういう自分ならではの特徴を見た時、
それから抜け出したり、世間標準に追いつくために
訓練したり学んだりするのではなく、
「私らしさ」に精一杯取り組み、楽しみ、高め、広めることで、
もっと自由になれる、そんな人が増えたら、
あれこれの問題は、そっと消えていく。
そんな気さえする。

もっと自由になろう!!
自分のなりたい自分になり、自分のやりたいことをしよう!!
この方向は、ぼーっとしていられないので、
とても厳しい戒めでもある。
だけど、いくらでも夢も道も広がる道でもある。

登りのエスカレーターが良ければ、それに乗ればいい。
ひがんで乗らないわけじゃない。
ターミナル駅なら、改札口という目的地が決まってる。
なら、エスカレーターやムービーングウォークはありがたい。
でも、町や山なら、好きなところに自由に散歩していきたいな。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『自由の哲学』を翻訳してます (森 章吾)
2016-04-28 20:27:16
たまたまお見掛けしました。
森章吾と申します。
第14章がちょうどアップできる状態になったので、掲載しました。
よろしかったらご笑覧ください。
Facebookで更新情報を流しています。
こちらもよろしかったら。
https://www.facebook.com/ga293/
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Re:『自由の哲学』を翻訳してます (オキツ)
2016-05-03 09:54:15
あービックリした!! ご著書にはかねがねお世話になっております。 サイトを拝見しました。私にとって宝物みたいなサイトです。お教え頂きありがとうございます。 私は「自由の哲学」の言葉が 自分に起こす化学反応を楽しんでいるのですが、 いろんな方が翻訳してくださると、 また1つ自分の中で理解が深まりそうで楽しみです。ご活躍をお祈りしています♪
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