『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

GWノープラン ~摘み草DAY~

2016年05月02日 | 考える日々
GW2日目は、庭仕事DAY。
あれこれ庭仕事をしていると、お隣さんもご夫婦で庭仕事。
子どもが小学校でプルタブを集めていると知って、
いつも山盛りプルタブを貯めておいてくださるのをいただく。
ウチで採れたさくらんぼを、ほんの少しだけどお礼の気持ちに。

花を買いに行って「春になるといっぱい植えたくなるなー」と言うと、
花屋さんに「ずっと冬だったら困りますよ!」と言われた。
へい、おっしゃるとおり。ごもっとも。
庭のあちこちに花を植える。気持ちも晴れ晴れ。

GW3日目。摘み草DAY。
朝からなんとなく野草の本を見ていたら、
あれこれ食べられると書いてありました。
昔、友達と摘み草して食べた楽しさを一緒に味わいたい。

でも、夫が農薬が、犬のおしっこが、虫が、
どうせ味は…と、テンションの下がることを言うので、
もうっ!と思いつつ、もう!と思うのもイヤで、
ついつい自主規制してしまってました。

まぁ、常識的には何もわざわざ草食べなくてもいいんだけどね。
気付かないうちに自主規制してたなんて、なんて窮屈なこと!!
いくらモノ好きでも、食べたければ食べればいいのだ。
そーだそーだ、まったくだ(^^)/。

あまりにもいい天気なのと、
「2人が一緒に年を取って行くために、
必ずしも自主規制はよろしくない」と結論したので、
朝ご飯を食べながら、3人3様の今日の過ごし方の希望を述べる。
結果、私と子どもは摘み草に出発、夫は庭仕事の続きを。

採るべき草花をリストアップし、図鑑とビニール袋を持って、
子どもと2人で自転車で近所の公園に向かいます。
でも、公園に着くまでに、目標物がたっぷり見つかります。
図鑑が必要なほど難しい世界ではありません。
子どもがままごとで親しんでいる世界です。

シロツメ草の群生を摘む、懐かしい喜び、
日向と日陰のカラスのエンドウのさわり心地の違い、
自転車で走っていても気づく、大きくて鮮やかなタンポポの黄色、
草原の中で星のように小さくキラキラ輝くカタバミ。

もちろんヨモギはそこかしこにあるし、
あ、カシワの樹がこんな所にあった。葉っぱ分けてね~!
朴葉は今はいらないから、場所を覚えといてまた採りに来よう。
などなど…。

人工島だから植生も人工なんだけど、獲物がいっぱい。
「日本人は昔、採取民族だった」という説に賛成!
摘むべし摘むべし。ああ、なんて楽しいの!!
人類太古からの、人類になる前からの喜びだね、きっと。
あれこれ気にするタイプの夫にも味わって欲しい、この解放感!!

自主規制もしませんが、もちろん強制もしません。
ただ、心底楽しいことを「心底楽しい」と伝えます。

野草をたっぷり収穫して帰宅すると、
子どもの友達が遊びに来ました。
GWは、ちょうどサクランボが色づき、
毎日少しずつ赤くなります。

というわけで、桜の木の下で
サクランボの種飛ばし大会が始まります。
からっぽのプランターを的にして、
キャッキャ言いながら種を吹き飛ばしています。
何気なく夫がプッと飛ばしたらすごーく遠くに飛び、
「おお~~~っ」と子どもたちの称賛の声。
いい風景だなぁ~。

今年「サクランボの種取り」という穴開けパンチ(1穴)
またはホッチキスみたいな道具を注文したのですが、
出番はないかもしれません。いいけどね(^^;)。
低い所は子どもが、高いところは私が採り、
もっと高い所はヒヨドリが採ります。
雀は奥の方や低い所も食べるので、競争です。
スズメよ!冬の間中、エサをあげた恩を忘れたか?
忘れるのが、正しい鳥頭ですね。

子どもが「ヨモギ採ってきたから草餅作ろう!」と
友達を誘っているので、あわてて餅粉を買いに行きました。

子どもらが、わーきゃー言いながら、
摘んできたヨモギを茹でてすり鉢でつぶし、
それを粉に入れて粘土みたいにまるめて茹でます。
手についてる方が多いんじゃない???
カシワの葉にお餅を乗せる、リアルままごとの世界。

アイスとあんこときなこを添えて一緒に食べました。
夫も庭仕事を一休み。

ヨモギとカシワの葉が役立って、摘み草2種類クリア。
茹ですぎたのか、水加減のせいか、
お餅は柔らかすぎて、再度成形が必要だったけど、
自分で作ったものはおいしい~~と大満足。
「あんこは要らない」という子が意外と多くてビックリしたけど。

お餅を食べ終わってしばらくすると、
お友達の家でベッドを組立てるのを見に行く、と言って
子どもが出ていきました。

じゃあ、晩ご飯の用意でもするかな~と、
朝、摘んで来たものをちょっとずつ茹でて味見。
どれもこれも、苦い、渋い、アクが強い、筋っぽい…。
夫と顔を見合わせ「あんなに楽しみにしてるのにどーーしよ??」。

「一口食べさせて“マズっ”てわかればいいんじゃない?」という夫。
「野草もおいしい、食べて嬉しいって気分を伝えたい」と私。
「野菜はやっぱりおいしいな、は?」と夫。
「自然に生かされてるな、という実感が欲しい!」と私。

灰汁抜きし直すやら、固いスジを取るやら、細かく刻むやら、
いっぱいあるのは天ぷらにしてしまうやら、
酢や味噌の濃い味で和えて苦みを柔らげるやら、
あれこれ工夫をして、なんとか食べられるようにしました。

それでもダメだった時のために、
メインはそれだけでも食べられるチラシ寿司。
というわけで、この日の晩ご飯メニュー。

・チラシ寿司
 (子どもがチマチマ実を剥いたカラスのエンドウ豆と、
  庭先のホントのきぬさやのエンドウ豆入り)
・味噌汁(子どもが(と?)毎年仕込んでいるもの)
・シロツメクサの花の味噌和え
 (若いつぼみは口の中でもパサつかない)
・たんぽぽの若葉のゴマドレッシングかけ
 (よく噛むと苦いので小さく刻んで。ゴマ味の間に飲み込むべし)
・カタバミの甘酢和え
 (素材自体が酸っぱいので、甘めの甘酢に。茹でると色があせる)
・カラスのエンドウ(葉&実)入り根菜のかき揚げ
・野草単品で天ぷら
 (カラスのエンドウの葉っぱ、シロツメクサの花etc)

それぞれの結論。
子ども
「カラスのエンドウもタンポポもおいしいやん。
どれも普通に食べられる!明日先生に言おう~っと!」(←大喜び)

「野草を野菜に改良してきた人類の歩みは偉大だ」

「食べられるようにするまでが大変!
手間がかかるけどすごく満足よ。揚げれば何でもOKだね!」

普段なら夫は、この手のものは「オレ遠慮しとく」と箸も付けず、
盛り上がる気持ちを悪気もなく氷点下に冷やしてしまうのに、
今日は一緒に楽しめたのが嬉しい限り。
私には、そこ大事です。暑苦しい愛情ですね~。
「最初に食べたより随分食べやすくなったね」とかゆーていた。

気になるのは、子どもが喜んでまた採ってきたら、
私はまた、この手間をかけて料理するのか??ということ。
今度、摘んで来たら、一緒に料理しよう。
結構な手間がかかることを理解したら、ソッコー卒業するでしょ。

そりゃ、野草は強くて、栄養もありそうだけど、
何たって、野菜はおいしいし柔らかい。
う~ん、野菜は偉大だ。
野菜を改良してきてくださった人類ご先祖のみなさん、ありがとう。

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