小さい時には、
大人は正解を知っているし、
間違わないもんだと思ってた。
けど、自分が大人になってみると、
みなさんご存じのとおり、
ね(^^)?
まぁ、子どもが頼ってくれる、
ってのもあって、
小さい子どもの前では
自信ありそうな顔をしていた、と思う。
でも、子どもが中学生になると、
「母はこう考えてる」は言えるけど、
「正解はコレよ」は言えない。
もはや、私と子どもは完全に生き方も違うから、
親と子の正解はかけ離れたモノになっている。
一緒に考えるお手伝いはできるけど、
それすら、もはや必要とされていない。
…という状況が、今の日常。
でね。
こないだのピアノのレッスン時に、
次に弾くつもりのドビュッシーの曲の楽譜を見ながら、
「あ、違う、あれ?こうかな?え?」
とか言いながら、ざっと譜読みをしてたのよ。
ドビュッシーって、「ドミソ~」みたいな和音がなくて、
絶妙に美しい音の組み合わせの中に、
微妙に気持ち悪い音が重なって深みが出てるから、
譜読みの苦手な私には、なかなかたどれない。
新しい曲の時のはじめはいつも、
家に帰ってから耳コピのカンニングで弾いてるんだけども。
んで、あーだこーだ間違えながら弾いてた時に、
「大人になってから、こんなに間違えていい場面って、
なかなか、ないよな」と気づいて。
仕事じゃ、とてもこうはいかない。
もし何かを間違えたら、
恐縮して謝って、自分もいたたまれない。
間違え過ぎたら、信用なくなるよ。
その状態と比べたら、
大人になって無邪気に間違えていいなんて、
すごーく贅沢な時間だなぁ。
なんて思ったのでした。
何のリスクもなく間違えられるのって、
学ぶ側の特権かもね。
間違えていい場所、もっといっぱい欲しいなぁ。
おしゃべりひとつでもいい。
正解も間違いもない、
安心して自分を開ける、自由な場所が。
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