『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学_1章_10~11

2010年12月30日 | 『自由の哲学』
10_人が自由だとは、ハルトマンさんいわく、分別を持って行動し、獣欲に行動を支配させないことだ。また他の人はいわく、自由とは生き方を自分の理想や目的や予定どおりに自分で決められることである。

11_こんな言い方では何も示せていない。果たして、10_のように言ったハナからこういう疑問が浮かぶ。分別や理想や予定も獣欲と同じように人を縛ることがないか。自分できちんと一から考えて作りだしたのではなく、どこかの分別臭い理想が自分の内側に浮かび、空腹や喉の渇きと同じように私をそれに従うよう強制する(=しかるべくしからしむるとするってこういう意味?)なら、私は仕方なく従うしかない。とすると、私の自由は幻想だ。

※最初、10_にものすごい納得して疑問なんてなかったんだけどな~。11_で否定されちゃった。自分で考えるのって難しい。こんなのを読んでいるうちに、自分で考えるどころかシュタイナー教に入信してしまったらどうしよう(^^;)。11_の「どこかの分別臭い理想」がシュタイナーになる可能性大だよね。宗教の表面的なところにも、そういうところあるよね。「○○さんが言った」とか「○○に書いてある」とかありがたがっちゃうの。

※本の中身に自分の中身を強制させないで、しかし文章に沿って読む、というバランスが難しい。せめて字面だけでも書いてあることをきちんと追いながら、「ホントにそうなの?」って自分で考えながら読むと、やっぱりゼイゼイ息切れします。しかし最初はせめて書いてあることを追えるようになりたいです。と言いつつ、勉強会で読んだから2回目なんだよねー。3回目にはもう少し身近なこととして読めることを祈りつつ。

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