私が子どもの頃は、
親やまわりの大人が働く姿が、
ごく自然に目に入っていました。
でも今は、
セキュリティが厳しくなったせいもあって、
関係者以外は入れない会社も多いし、
多くの人は、働く場所と暮らす場所が離れています。
コロナで出社しない日が増えて、
家で働くことが増えました。
そういう意味では
働く姿を家族に見せていますが、
パソコンに向かって作業している図だと、
何をしているのか全然わかりません。
「今は声かけないでね」なんていう
ピリッとした空気感の違いは伝わるでしょうが、
それで「働く姿を見せた」と言えるかどうかは、
かなりあやしい。
先日、神戸市の教育関係のサイトを見ていた時、
「大人の働く姿を見せる運動」という言葉を発見しました。
教育委員会で重点的に取り組む必要があるほど、
昨今は大人が働く姿が
子どもたちから遠いものになっているようです。
「私は働く姿を見せてきたかな?」と振り返ってみると、
子どもが小さい頃は、
保育園に迎えに行ってそのまま
会社の飲み会にも連れて行っていました。
ゴキゲンな人々にめっちゃ可愛がってもらったりして。
今、家で難しい顔で原稿を書いたりもするけれど、
ダラダラしている時も多い。
どちらも「勤勉に働いている図」ではないよなぁ…。
「仕事」を誤解させているかもしれません。
一方、仕事ではないけれど、
たとえば、小さな勉強会を作るにあたって、
いろいろ話し合ったり、勉強したり、
思い通りにならなかったり、助けてもらったり、
困ったり、喜んだり…の過程は、
具体的なことはわからないにしても、
「何かイキイキやってるな」ということくらいは
近くで感じているはず。
話は脱線しますが、私はなかなかのボケっぷりです。
夜にzoomをつないで書類の中身を相談していたら、
ほぼ終わった時点で「その書類は今じゃなくて
年度末に出せばいいのでは?」と言われて、
どひゃ~~~ってなったり。
他にも「振込ありがとうございます」って送ったら、
「まだ送ってないよ??」と言われたり。
自分が別のところに振り込んだのと金額が同じで、
早とちりしたようです。
その手の話は枚挙にいとまがありません…。
こんな風に、
自分でもびっくりするくらい、やらかすんですが、
「あんなにボケてても何かやっていいんだったら、
自分はもうちょっとマシだし、もっといろいろ出来そう!」
って、子どもに思ってほしい。
スゴイ人だけが、または、
何かの地位に上がった人だけが、
何かできるとは思って欲しくない。
社会は過去やエライ誰かによって固定されたものじゃなくて、
自分たちで少しずつ良くしていけるものだ、
という感覚を持っていれば、
「だからこそ自分が成長することが大事なんだ」
と矛盾なく考えられます。
願わくば「競争より協力」
「困った時はSOSを出せばいい」なんてことも、
伝わっていてほしいな。
日々、大人が充実感を感じながら暮らしていれば、
「大人って、楽しそう」と感じて、
意欲的に学び、大人として成熟していけるはず。
なんでこんなことを考え始めたかというと、
保育園の時に、ごっこ遊びの人気の役目が
おかーさんじゃなくて犬だ、と知ったからです。
最初に「マーくんが犬で、お散歩したの」
とか何とか、保育園の帰りに子どもが言うので、
「マーくん、犬はイヤって言わなかった?」と聞くと、
実は、犬が一番人気なんだ、と言うのでビックリ!
後で、保育士さんに聞いたら、
「今はおかーさんやおねーちゃんより
犬の方が人気あるんです」だそーで。
かわいがられるし、何も求められないし、
無条件に愛されて、遊んでていいから。
子どもが大人じゃなくて犬になりたい国なんてヤだ!
大人になることに、
希望や憧れ、誇りを持って育ってほしい!!
そう願うなら、今、
大人の私たちが希望と誇りを持って、
憧れられるような生き方をすることが
先決なんだろうなぁ…。
ああ、結局、自分のせいかぁ~~~~~。
子どもって、大人のやってること見てるもの。
今生きてる人はみんな、
近未来への責任重大だね。
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