いいなぁ と思った言葉 2011年01月13日 | おしゃべり 「自分軸を太くする」コミュニティより引っ越し ふみさんからのトピックス 好きな言葉を覚えておきたくて。 « 真理について | トップ | 引き寄せの法則 »
3 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (ふみ) 2011-02-19 02:01:19 昔の映画ロビンウィリアムスの「今を生きる」で感銘を受けた私の座右の銘 「いつ死んじゃうかなんて誰にもわからない、だからこそ今を大切に生きなければならない」 そして、トムハンクスの「フォレストガンプ」から 「Life was like a box of chocolates. You never know what you're gonna get.」 食べてみないとわからないよん、ってこと。 そういうのを感じて、なんかつっぱしり気味なのかな? 何か心に残った言葉を思いついたら載せていってねん。 あ、なぜこのトピックを作成しようかと思ったかというと、 ヒッキーのTwitterで、 「世間の真ん中ではなく、己の真ん中を歩く。 世間の中の位置づけは、世間に任せればよし。」 というようなつぶやきが載ってたの。 まさに周りではなく自分軸を太く・・・ということじゃないかしら? いい言葉だな~ 残したいな~ と思って。 返信する Unknown (ミナコ) 2011-02-19 02:01:57 ヒッキーさすがだなあ! いいね!! 心に残る言葉、昔からノートに書き留めていたけど、今の私にとって大切な言葉、自分を奮い立たせるために何度も心の中で読んでいる言葉です。 チャクラヒーリングの本にも出てくるんだけど、 「ネルソンマンデラ大統領就任演説より」抜粋したものです。 かなり長いけどねf^_^; 我々が最も恐れているもの それは自分が無力だということではない。 我々が最も恐れているもの それは、自分には計り知れない力があるということだ。 我々が最も恐れるもの それは我々の光であって闇ではない。 我々は自分に問いかける。 自分ごときが賢く、美しく、才能にあふれた素晴らしい人物であろうはずがないではないか? だが、そうであってはなぜいけない? あなたは神の子である。 あなたが遠慮しても 世界の役にはたたない。 周りのひとが気後れしないようにと あなたが身を縮めることは何の美徳でもない。 我々は、自らの内にある 神の栄光を現すために生まれてきたのだ。 我々が自らの内にある光を輝かせるとき、 無意識のうちに他者に対しても同様のことを許している。 我々が自分の持つ恐れから自らを解放するとき、 我々の存在は同時に他者をも解放する。 以上。 自分軸を太くする。 自分め人もゆるして解放する。 獄中で自分と真理を信じつづけた彼のほんとに重みのある言葉だなあと思ってます。 返信する Unknown (オキツ) 2011-02-19 02:04:23 「今を生きる」って、ホントにそう思うわ。 過去にくよくよしたり、まだ来ない未来を思い悩んだり、 そういうことは、あんまり自分を育てないんだと思うわ。 今できることをやって、後は運命か神か何か知らんけど “大きなもの”にお任せっていうスタンスが取れたら、 逆に強くなれるんだろうね。 小倉さんの書いている言葉は、ホントに素敵。何度も味わいたいわ。 自分に自信がない時や、必要以上に遠慮して萎縮する時に思い出したい。 「身を縮めても世界の役には立たない」。 そのスタンス、言葉じゃなくて身に着けたいわ。 私も思いつくまま何か書いてみるね。 金子みすずの詩から 「みんな違って みんないい」。 実感。だから豊かなんだもんね。みんな一緒はつまらないしコワイ。 お子さんにこの基本姿勢を刷り込み中。 高村光太郎 「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」。 今となれば、この暑苦しさが好き。時代のトレンドとかカンペキに無視やねん。 ベートーベンにも通じるもんがあるよな。 世の中がナンボのもんやねん!オレが世界じゃ!って。 だから、どっちも孤高の巨人なんだけどさ~。好きだわ。荒々しくて繊細で。 『神との対話』って本の中からは 「人間の行動には二つの動機しかない。不安か、愛か」 できることなら、ひとつでも多く、愛のために動きたい。 以下、出典は不明なんだけど、 「コミュニケーションはドッジボールではなくてキャッチボール」 「“愛する”は、状態を表す形容詞ではなく、動作を表す動詞である」。 どれがホントの愛?とか、外に正誤の判断を求めたら迷うけど、 自分が「この人を愛する」と決めて「愛する」行動を行うなら、 そこは、to do or not to do.の世界。 愛するか愛さないか。やるかやらないか。 最近考えてることは、「人と比べる」ということの意味。 優越感を持ったり劣等感を持ったりするためにも使えるけど、 それではどちらもイヤで。 どんな宝石を秘めているのか、何が自分にできるのか、 それを知るために人の間に立てば、互いに豊かになれるかなぁ。 最後に、よく意識するのは、ここで読んでる『自由の哲学』を訳した鈴木一博さんの言葉で 「自らの在りよう、自らの存在自体で示せばいいんです。言葉ではなく」。 と、言葉で書いて、締めくくろう。 まだ生き様では示せないんだもの(^^)。 まさに、生き様で示しておられる人の言葉だから余計に感じるんだろうけれど、 一回講演を聞いただけなのに、この言葉がすごく重く残ってます。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
「いつ死んじゃうかなんて誰にもわからない、だからこそ今を大切に生きなければならない」
そして、トムハンクスの「フォレストガンプ」から
「Life was like a box of chocolates. You never know what you're gonna get.」
食べてみないとわからないよん、ってこと。
そういうのを感じて、なんかつっぱしり気味なのかな?
何か心に残った言葉を思いついたら載せていってねん。
あ、なぜこのトピックを作成しようかと思ったかというと、
ヒッキーのTwitterで、
「世間の真ん中ではなく、己の真ん中を歩く。
世間の中の位置づけは、世間に任せればよし。」
というようなつぶやきが載ってたの。
まさに周りではなく自分軸を太く・・・ということじゃないかしら?
いい言葉だな~ 残したいな~ と思って。
いいね!!
心に残る言葉、昔からノートに書き留めていたけど、今の私にとって大切な言葉、自分を奮い立たせるために何度も心の中で読んでいる言葉です。
チャクラヒーリングの本にも出てくるんだけど、
「ネルソンマンデラ大統領就任演説より」抜粋したものです。
かなり長いけどねf^_^;
我々が最も恐れているもの
それは自分が無力だということではない。
我々が最も恐れているもの
それは、自分には計り知れない力があるということだ。
我々が最も恐れるもの
それは我々の光であって闇ではない。
我々は自分に問いかける。
自分ごときが賢く、美しく、才能にあふれた素晴らしい人物であろうはずがないではないか?
だが、そうであってはなぜいけない?
あなたは神の子である。
あなたが遠慮しても
世界の役にはたたない。
周りのひとが気後れしないようにと
あなたが身を縮めることは何の美徳でもない。
我々は、自らの内にある
神の栄光を現すために生まれてきたのだ。
我々が自らの内にある光を輝かせるとき、
無意識のうちに他者に対しても同様のことを許している。
我々が自分の持つ恐れから自らを解放するとき、
我々の存在は同時に他者をも解放する。
以上。
自分軸を太くする。
自分め人もゆるして解放する。
獄中で自分と真理を信じつづけた彼のほんとに重みのある言葉だなあと思ってます。
過去にくよくよしたり、まだ来ない未来を思い悩んだり、
そういうことは、あんまり自分を育てないんだと思うわ。
今できることをやって、後は運命か神か何か知らんけど
“大きなもの”にお任せっていうスタンスが取れたら、
逆に強くなれるんだろうね。
小倉さんの書いている言葉は、ホントに素敵。何度も味わいたいわ。
自分に自信がない時や、必要以上に遠慮して萎縮する時に思い出したい。
「身を縮めても世界の役には立たない」。
そのスタンス、言葉じゃなくて身に着けたいわ。
私も思いつくまま何か書いてみるね。
金子みすずの詩から
「みんな違って みんないい」。
実感。だから豊かなんだもんね。みんな一緒はつまらないしコワイ。
お子さんにこの基本姿勢を刷り込み中。
高村光太郎
「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」。
今となれば、この暑苦しさが好き。時代のトレンドとかカンペキに無視やねん。
ベートーベンにも通じるもんがあるよな。
世の中がナンボのもんやねん!オレが世界じゃ!って。
だから、どっちも孤高の巨人なんだけどさ~。好きだわ。荒々しくて繊細で。
『神との対話』って本の中からは
「人間の行動には二つの動機しかない。不安か、愛か」
できることなら、ひとつでも多く、愛のために動きたい。
以下、出典は不明なんだけど、
「コミュニケーションはドッジボールではなくてキャッチボール」
「“愛する”は、状態を表す形容詞ではなく、動作を表す動詞である」。
どれがホントの愛?とか、外に正誤の判断を求めたら迷うけど、
自分が「この人を愛する」と決めて「愛する」行動を行うなら、
そこは、to do or not to do.の世界。
愛するか愛さないか。やるかやらないか。
最近考えてることは、「人と比べる」ということの意味。
優越感を持ったり劣等感を持ったりするためにも使えるけど、
それではどちらもイヤで。
どんな宝石を秘めているのか、何が自分にできるのか、
それを知るために人の間に立てば、互いに豊かになれるかなぁ。
最後に、よく意識するのは、
ここで読んでる『自由の哲学』を訳した鈴木一博さんの言葉で
「自らの在りよう、自らの存在自体で示せばいいんです。言葉ではなく」。
と、言葉で書いて、締めくくろう。
まだ生き様では示せないんだもの(^^)。
まさに、生き様で示しておられる人の言葉だから余計に感じるんだろうけれど、
一回講演を聞いただけなのに、この言葉がすごく重く残ってます。