『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

人類の進化と音楽、または「同時代人」の範囲

2019年11月11日 | 考える日々
中学生の娘が、「令和になったら私らも
“平成の人”みたいに言われるんかなぁ?」と
時代の呼び方が変わることを不思議がっていましたが、
みなさんの「最近」のスパンってどのくらいですか?

最近、2000年単位で人類が進化する道筋の、
今の課題である「意識魂の時代」なんてことを考えているせいか
私の「最近」は、やたら長いことに気がつきました。

こないだ、ピアノの先生(弾きたい曲だけ見ていただいてます)に
「次、弾きたい曲ありますか?」と聞かれた時、  
「前に弾いたパッヘルベルは前の時代の人だし、  
今弾いてるドビュッシーは最近の人なので、  
その間に生きたベートーベンとかブラームスとかの時代がいいです」
と答えました。  

そう。
前時代の「パッヘルベルのカノン」は  
朝イチに聞きたい感じで、調和や宗教的な美に満ちている。  
神の声から始まり、定型のコードを繰り返している上に、  
少しずつ透明な響きが重なっていき、きちんと拍を刻んで、  
最終的に、祝福と共に天国に昇ります(と、私には感じられます)。

一方、最近のドビュッシー(アラベスク1番)は、
繊細でキラキラと美しいんだけど、美しさの種類が違ってて、
透明な青空の美しさではなく、不協和音に満ち溢れていて、
もやもや曇っている所や、晴れ間が見える透明な所が混ざり合い、 
テンポも気分によって前のめりになったり、一呼吸必要だったり。
自分の意識で自由に舞い上がったり歩いたりした方が美しく弾けます。
…と、私には感じられます。
 
そんな風に、今弾いているドビュッシーは、  
完全に現代的な意識を持つ人として、自分と重ねていたので、 
「ドビュッシーは最近の人だったから、次は…」と言いかけて、  
先生に「あら、最近の人でもないでしょう?」と笑われました。  

子どもが調べてくれましたが、今生きてたらまだ150歳くらい。  
私、「ほらほら、たった150歳ですよ♪」
先生「ええっ?! それって“最近”ですか??」

…などと話していて気づいた。  
クラシック界での「最近」は100年くらい?  
サティとかガーシュインとか?
日常会話での「最近」は2〜3日?  
久しぶりに合う人に「最近どーしてるの?」と聞かれたら
答えは数ヶ月分くらいかな。

というくらいのスパンが「最近」の長さなんだろうけど、
今、私の頭の中「最近」=同時代人は、
意識魂の時代を作っている400年前からで、ひとくくりのようです。  
…長すぎる(^^;)。

でも考えてみたら、産業革命を起こした人たちや、  
明治維新を生き延びた人なんか、  
「おばあちゃんの親世代の人」ってくらいの
私につながる身近な先輩です。そんなの近い近い! 
 
もしかして、自分を重ねられるのは、
400年どころじゃなくて、もっと長いかも。  

徒然草の「目的もないけど、なんやかや書いてたら  
オレ、夢中になってしまうねんなー」ってのにも  
「わ、それって私じゃん!」と驚いたし、  
縄文人は戦うのがキライだった、とかいう説にも  
自分と同じココロの成分を感じるし!

…そりゃ、そのあたりを同時代人だと思ってるんだから、
AI搭載のスピーカーとか興味ないはずだ(^^;)。



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