『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

意識魂の時代のAIの役割

2019年11月10日 | 考える日々
この何ヶ月か、   「意識魂の時代」を考える機会が増えました。   人智学に興味がない方には、 あまり馴染みがない言葉かもしれません。     「意識魂の時代」をざっくり言うと、 昔は、「ふさわしいことが出来る分別を持つ」ことが 大人になるってことだったけど、 今は、「意識的に生きる」ことこそが、   人類の進化を考える際に大切だ、ということです。 親や先輩、年長者の言うことをちゃんと聞いて理解するとか、 電車や教室の中では騒がないとか、 会社の成長のためにきちんと尽くすとか、 人に恥ずかしくないように行動するとか…。 そういう分別のある人が大人。 それが出来ない人は子ども。 だけど、今の時代は、意識的に生きる時代。 分別を身に着けた上で、あえてそこを外して 信じる道を進む勇気を持てるのが大人。 会社に遅れないように到着することよりも、 「あれ、あの子迷子かな?」と気になったら、 今日は会議もないし、と ちょっと足を止めて話しかけてみるかどうか。 大体の意見が同じ方向を向いてまとまりかけている時に、 でもそれでは目的のためにならないと思ったら、 別の意見をフラットに口にしてみるという 流されない意志の強さが発揮できるかどうか。 誰がどう評価しようが、 「自分はコレでいきます」と体現できるかどうか。 そういう、分別ある行動から外れても、 自分がいいと信じるものに向かって、 あえて意識的に行動することができるかどうか。 その結果を自分で引き受けられるかどうか。 1人ひとりが、意識的に自由に行動することで、 突破口を開いていく時代だと思うのです。 だからこそ自由になっていきたいな、と思うのです。 格差が固定してしまう社会なんてまっぴらだし、 生産能力があってもなくても、ある時もない時も、 いつでも安心して生きて行きたいし。 人類の進化がそういうステージに入ったんだったら、 教育の課題も変わらねば。 いつまでも誰かの言うことを聞いてついて行ってるだけじゃ、 ラチがあかない、一人ひとりが水際で変化を作っていく時代。 ちなみに、人智学によると、&、私も納得してるところによると、 分別ある時代は紀元前数百年から始まり、その象徴はキリスト。 たぶん、それまでの人類に、 愛し合うこと、美しいことを、正しくあることを加えた時代。   「意識的に生きる」という課題の今の時代が始まったのは、   1600年頃からこっち、まだまだ続くいていきます。 意識魂の時代の象徴は何かなぁ? もしかしてAIかも? 合理的で正しい、分別ある判断はAIにでもできるから、 今度は「人間らしいって、何?」みたいなことを意識していく時代。 芸術や政治を見ると変化がよくわかるのですが、   意識魂の時代に入ってから、   宗教的(キリストとか、仏像とか)じゃない絵を描いてみたり、   美しいシーンだけじゃなくて苦悩に満ちた音楽を作ったり、   市民革命を起こしたり…。     そんな大きな人類の進化の流れを意識すると、 時代の一粒の人である自分も、 ちゃんと自分を活かして生きなきゃな~と、 力が湧いてきます。


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