JUN ROAD Ⅲ ~ラテン系半島人~

アナタがかつて 描いた「その日」共にHuntしてまいりましょう !

人吉の苦闘

2020年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
ここは 人吉市の北に位置する 
県道17号線沿いの街

ご高覧の皆様の中で
これから 食事される方は
後ほどの ご高覧を お勧めします

僕が 当地に立ったのは 7月13日(月)の午後
断続的な雨が止み しばし 雲間が見えた頃

吹き抜ける 生温かい風の中に
腐食した異臭 強く感じる

では ご高覧ください










泥は 強固な粘土質
付着して乾くと ちょっとやそっとじゃ 除去できない
服に着いた泥は 1回洗濯しただけでは 落ちなかった




現地で 片づけや 復旧に携わる方々
その中心は 見たところ ほぼ地元の方々

人吉市へ赴く道中 
陸上自衛隊の車両 および 隊員の皆さん
幾度となく 遭遇したものの

この地区で この時は 見かけることはなかった


このような 過酷な状況下
人吉の皆さんは その現実を 耐え忍びつつ
泥にまみれた 畳 木片 ゴミの山を
黙々と 片づけて いらっしゃった


これでもなお
新型コロナウイルスの拡大を恐れ
県外からの応援を 拒むのだろうか…


僕は幸いにして
地元の 障害者通所施設を手掛ける NPO
加えて きょうされん熊本支部の皆さんから
ご尽力を頂戴して 現地に入ることができた


次回以降
今回の僕の背中を そっと かつ力強く
押してくださった皆さんを
少しばかり 紹介したい

一日も早い復旧

そして 
一日も早く 人吉の皆さんに
笑顔が戻られることを

心から 願っています




水害と向き合うTさん

2020年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
先の週末から 一昨日まで
きょうされん熊本支部の 皆さんが
一介の僕を 「一員」として 受け入れてくださった

そればかりか 貴重な戦力として 
T.Uさん宅を 任せて くださった

Tさんは かつて 
精神科診断を 受けた 50代の女性である

早くに ご主人を亡くされて以来
知的障害を持つ兄 ご高齢の母親と 3人で 暮らしていらっしゃった

球磨川が氾濫した当時のことを 
僕はある時 それとなく 切り出してみたところ
Tさんは 快く 答えてくださった

JUN : 球磨川が氾濫した時 Tさんは怖くなかったの?
Tさん : まさか私が住んでる所が氾濫するとは思ってなかったから…。
    もっと上流で氾濫するのかなって。。。
JUN : でも実際、氾濫して水が一気に来たわけだから…
Tさん : そう。階段の4段下まで来た。。。どうしようって。。。
     そしたら、窓から消防の人の姿が見えたの。宮崎から来てくれた
     消防の人。それで、兄がそこまで言いに行ってくれて。それで、母
     も避難することができたの。
JUN : …大変だったネ…
Tさん : 水が来た(〇日の)7時半くらいに電気が切れて、15時くらいに
     水が引いたの。
JUN :  Tさん、お家の写真って撮っても大丈夫? 僕さ、Tさん始め皆さん
     のご苦労を、ブログを通じて沢山の人に知っていただきたいって
     思っているんです。でも、それは僕の勝手な考えであって、Tさんがもし
     嫌だったら撮らないから…
Tさん : どんどん撮ってください。そして、皆さんに知ってもらってください!


Tさんは 淡々と 僕の質問に 答えてくださった
ように見えた
でも 内心は… 推し量りようがなかった…

僕はこの日 ひとりだった
前日まで ご一緒だった きょうされんの皆さんは
平時の業務があったからだ

立ち込める異臭…
このままでは ボウフラが そこかしこに湧くのは必須

僕は一時 一騎当千に 
ギアが 何段か 上がった


持参した 消石灰 80キロのうち
ひと袋を残して 撒いて撒いて 撒いた



ゴミ袋の山は 特に念入りに
異臭の発生を 最小限に留めるべく



玄関
  



何とか ここまで やり切ることができた

人によっては 消石灰を撒くのは 時期尚早と言う人もいた

またすぐに 雨が降って 石灰が流されるからだ


でも 僕はそれよりも
消石灰を撒くことによって

①流れ出た汚水ダマリに、ボウフラが湧くのを一時でも遅らせる
⓶汚水ダマリが消石灰と混ざることで、ドロドロ(より固形化)になり、
 ①が期待できる
⓷Tさん始め、ご近所の皆さんに「復旧作業」が、少しずつ「進んでいる」
 という実感を持っていただくことができる
④⓷によって、少しでも明日への希望を繋いでいただく

以上が念頭にあった

実際 この通りだったのか… それは正直 分からない


ひと通り 作業を終えた僕は
Tさんが住む界隈を見て回ることにした

そこでは
厳しい現実と向き合い 
絶望と希望の間で 淡々と 後片付けをする
人吉の皆さんが いらっしゃった

つづく