JUN ROAD Ⅲ ~ラテン系半島人~

アナタがかつて 描いた「その日」共にHuntしてまいりましょう !

ちょっと長~い物語

2011年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 こんにちは。

 昨日は知多半島でも午後から雪になりました。それも車のフロントガラスにまとわりつくようなぼたん雪。

 そのような寒さもあって、我が家のチビッ子はここのところずっと胃腸風邪に悩まされています。日頃、家の中でもところ狭しと駆け回るくらいのサイヤ人ですが、昨日は人生初の点滴&浣腸を受けるなど、ヘロヘロの状態で寝ています。ひとまず嘔吐が止まるといいのですが・・・。

 そのチビッ子がまだ風邪をひく前、僕の散歩&彼女の遊びで海岸に出掛けてきました。

 出掛けた頃は、ちょうど潮回りが大きい時期で、海岸に到着すると写真の通り海水が沖の方にまで引いてました。

                      

 

 

 ところで、写真にある棒と黒い集団!?は何だかご存知でしょうか。

 これは海苔網で海苔を養殖しているのです。初めてご覧になる方もいるのではないでしょうか。僕も此処で暮らし始めるまで、海苔がどう育つかなんて無関心でしたし、おにぎりに巻く程度の認識しかありませんでした。

 しかァし、この地で採れる海苔の美味しいことといったら!!! 

 手巻き寿司の美味さは、学生時代、当時アルバイトでお世話になっていた小母さんから教えて(食べさせて)いただきました。

 網を結びつける支柱となる頑丈なプラスチック製の棒(通称「竹」といいます)は、写真のように海が引いた時、5日間くらいかけて3人くらいで砂浜へ打ち込みます。ひと区画あたり、だいたい800本~1000本くらいあります!その作業は途方もなくエンドレスに思えたこともありましたが、休憩中に食べるおにぎり&アナゴの燻製が美味しかったことをよく覚えています。

 次に、竹と竹の間に幅1メートル、長さ15メートルほどの網を張ります。その網にはあらかじめ海苔の胞子がついていて、潮の満ち引きで髪の毛が生えるようにだんだんと育ちます。

 例年では、その年の9月になると竹打ちが始まり、中旬以降から網に胞子をつける作業(海苔の種付け)に取りかかります。この頃に美浜町奥田地区に来ると、水車と呼ばれる種付け道具がカラカラと回っている様子を目にすることができます。

 海苔の胞子は、海水温が25度を超えると熱さで溶けてしまうので、僕がアルバイトで手伝っていた頃に比べると、現在は種付け作業の時期が遅れがちです。

 10月中旬頃に網の張り込みが始まり、生育によっては年末にそのシーズンで初めての海苔が採れます。

   この海苔が一番美味しい!(ビールの一番搾りといっしょ)

   網にはまだ海苔が残っていて、しばらくすると、ゆらゆらと育ってきた海苔を再度採ることができます。こうして海苔のシーズンは翌年の3月末まで続きます。

 僕は大学在学中、夜間部生でした。親の反対を押し切って数年間の浪人後、この地へ来たので、生活費はアルバイトで賄う必要がありました。どのみち働くのであれば、単に稼ぐだけでなく自分自身が楽しめ、かつ地元に根付いた仕事(地場産業)が良いなと。

 そこで、学生生活の前半は南知多町にある牛舎で、まず肉牛を育てるバイト。次は養豚場でのバイト(臭いのきつさに1ヶ月でダウン)。長野の野辺山にはひと夏キャベツの収穫と種植えに。後半は海苔養殖&鉄工所でのバイトにてお世話になりました。

 また、寮費が当時一ヶ月6300円という激安に惹かれ、大学の直営寮で生活していた僕は、ひょんなことから当地で春に開催される祭礼を手伝うこととなり、その取り組みは今も続いています。というか卒業してもまだ住み続けています。

 祭礼で出会った人々、海苔養殖を営む漁師の皆さんは、元々地元の人です。

 そこでは、「あ~あんたってやァ、そういや○○さんとこでバイトしとる兄ちゃんかえ?」となり、自ら自己紹介する手間が省ける→とたんにフレンドリー→「おおそうかそうか。まァ一杯どうだね」と容赦なく日本酒を並々とつがれるという図式がありました。

 でも僕は、始めの頃そのような皆さんの振る舞い方に素直に馴染めなかった…。

 郷里にいた頃、親からは「人をやたらと信用しねことだ。人は裏切るねっか。裏切られてがっかりすんだったら、最初から付き合わんば、うんま(それで)良い。頼りになるんは自分だけだ。」と「洗脳」されていたから。

 だから、フレンドリーに接してくれる地元の皆さんに、「何か魂胆があって(僕を利用しようとして)こうしてくれてるんだろう。用心しなくちゃ。」と思ってしまったのです。

 器量の狭い嫌なヤツだったと、今はつくづく思います。

 初めて祭礼を手伝った後の打ち上げで、まだこの土地に来て1年も経たない僕に、「やァ、よくやってくれた。まま、飲んでけ飲んでけ。」と入れ替わり立ち替わり接ぎに来てくれた地元の漁師さんや小父さんたち。持ちきれないほどのお土産を持たせようと駆け回っていた小母さんたちのまっただ中に居ながら確信したんです。

 この人たちには魂胆なんてチープな考えはさらさらないことを。

 僕というひとりの人間と一緒に楽しもう、助けてもらったことに対して素直にありがとうと言おう。その気持ちを自分なりに意思表示しようという姿勢を。

 生まれて始めて味わう、良い意味でのカルチャーショックでした。

 あの時、心の底から湧き上がってきた感動は、今も忘れていません。

 そうなると、僕自身のプライドはいったん粉々となり、接がれるまま日本酒を飲み続け、気を失って気がついたら寮のベッドの上でした。後で同室の後輩に聞いたら、倒れた僕を数人がかりで自転車と一緒に軽トラに乗せて送ってくれたそうです。

 僕が人を信じよう。たとえ裏切られたとしても、自分が裏切らなければそれで良いじゃん!って思えるようになったのは、あの時からです。

 僕がいまなおこの土地で生きているのは、そのような人々と共に暮らしたいという強い気持ちがあるからだと思います。

 今回はちょっと長い話になってしまいました。

 最後に、まだまだ続く寒い日差しの中で、生命力旺盛な様子に目が留まった植物の写真を載せます。

 

 アオキというそうです。

 先ほどの海苔養殖とアオキの写真は、今回も友人にその写真選びを手伝ってもらいました。

 この場を借りて。ありがとう。

 今回も最後まで読んでくれてありがとうございました。

  ※ このブログは、2014年11月までOCNよりサービス提供のあった「ブログ人」から転載後、修正加筆したものです。

    現在の海苔養殖は、温暖化の影響もあり、作業工程が一ヶ月ほどずれこむ年も珍しくありません。

    海苔の最盛期は極寒期でもあること。海苔の値段が安いこと。海苔乾燥機など設備投資費用が多額であること等々。

    以上の要因から、次の担い手が見いだせず、「わしの代で終わりじゃな」という海苔養殖家が少なくありません…。