JUN ROAD Ⅲ ~ラテン系半島人~

アナタがかつて 描いた「その日」共にHuntしてまいりましょう !

障害(者)と 私

2023年06月05日 | Community social worker
  その人自身、または周囲から見て、良きにしろ悪きにしろ様々な人となりを持つのが人間。だから、障害イコールその人と短絡的に見ることに、強い違和感や反発心を感じるというAさんの話は、私にもしっくりくるもので、よく理解できた。

  一方、もし私が同じことを誰かに話した際、同じような共感が得られるとは限らないところに、障害を語る難しさがある。

 例えば、ご子息や家族が障害を持つ近親者にとっては、「私(私たち)の切なさやしんどさ、苦労を知らない人(あなた)が、何を綺麗ごとを」と思う人もいらっしゃるだろう。その人(人々)は、おそらく私の日頃を(悪気はなく)よく知らない。私がひきこもりや精神障害について、少なからず悩んだり揺れた経験があることをご存じの人なら、私が冒頭の話をしても理解くださると思われる。

 このような、その人との事前の関わりがないと、誤解が生じる恐れのある話というのは、つまり社会や世間的に広く一般化されていない話、考え方となる。冒頭の話は、一般化されていないため、身近に障害がなかったり関心が薄い人にとっては、しっくりこない話となる。

 又、それは障害者が危険な対象だから、自ら関わりたくない。関わっては不利益である等の誤解、雰囲気が、社会のそこかしこに未だ現存しているという事実。障害者と一括りにされることに憤る人。障害(者)という意味を誤解する人がなお顕在する現況を突きつけてくる。

 私にできることといえば、安易に答えを出さず、分からないなりに考え続けること。また、それを周囲に発信し続けること。行きつ戻りつ考えている。


 随分どころではない ご無沙汰にて 恐縮です