しまった。普段こんな分野について全く書いたことないので、ブログの適当な「カテゴリー」が見つからない(「紀行」ということでどうでしょう)(笑)
ともあれ、ぼくは全然鉄オタではありませんが、『世界の車窓から』は大好きです。それは、いろんな国の観光地ではない、何気ない風景を見れるから。
というわけで、このDVDも、実は過去に視聴済み。しかも、気に入った風景はたくさんキャプチャーでマイ・ピクチャに保存して、今ブログを書いているパソコンのスクリーン・セイバーにも使用しております。
・・・にも関わらず、ですね。
さっき、このDVDを恐らく6,7年ぶりに観て、その自分が何一つ内容を覚えていないというのは何事か、と自分で自分が哀しくなってしまいました。いやあ、ホントにどういうことなんだろう。実際、ホントにこれっぽっちも何一つ覚えていないので、以前観たのは別のDVDなのかと疑いを持つほどでした。
しかし、ところどころで、普段スクリーンセイバーで見ている画が、あまりにも明らかに現れるので、これを見たことがないと否定することができない。う~ん、当時はお気に入りの風景をチェックするのに夢中で、ほかのことは興味がなかったのか。しかし仮にそうだとしても、これはヒドすぎるんじゃないか。もしや、本当に記憶力も衰え始めたのか。・・・、と何やら暗い気持ちにもなってしまいました。
ただですね、実を言うと、たまにYoutubeなどで昔の懐かしいCMも見ても、音楽はたまに覚えているけど、画的には全然覚えていないことを考えれば、もともとのぼくの特性(というのか?)なのかも知れませんが。
というわけで、ある意味すごく新鮮にこのDVDを観れたわけですが、しかし気に入る風景というのが、大体は以前(つまりキャプチャー画像)と変わらないというのが、当たり前だと言えば当たり前だけど、ちょっとホッとするというか。
まあ、ちょっとだけ真面目にいうと、同じものをみても、年齢によって視界に入った対象のなかの何をどういう意識で見るか、ということが大きく違ってくるわけで、昔見たものを覚えていないというのは、そんな内面の変化による、ということもかなりあるとは思うんだけど。
例えば本の「積ん読」についても、だれかが「積ん読」ばかりが多くても気にすることはないって言ってたなあ。なぜなら、本を読んでもあまり覚えていないので、読んでも読まなくてもあまり変わらないのだ、と。
そういう意味では、好きな本や映画に囲まれて、幸せに過ごせていればそれでいいのかもしれません。
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