On a bench ブログ

ようこそ、当ブログへ。ジローと申します。
 毎日毎日、たくさんのCDやLPを聴いて過ごしております。

聴いたCD フィリップ・グラス:交響曲第3番ほか(デニス・ラッセル・デイヴィス&シュツットガルト室内管弦楽団ほか)

2023年07月31日 | 現代音楽

Amazon.co.jp: グラス:交響曲第3番: ミュージック

〔曲目〕・交響曲第3番 ・間奏曲第1番~《シヴィル・ウォーズ》より ・メカニカル・バレエ~《航海》 ・間奏曲第2番~《シヴィル・ウォーズ》 ・光

 

 う~ん、このCD。AmazonのHPではジャケット画像もちゃんと載っているのに、たぶん「再入荷見込みが立っていない」とかの理由で、アフィリエイトでは使えないみたい。ちょっと不便だなあ・・・。

 それはともかく、今日はめずらしくフィリップ・グラスなんて聴いてみる。

 フィリップ・グラスは、なにしろ大物だから現代音楽にあまり興味がない自分なんかも結果的にちょこちょこと聴いてはいて、聴くたびにけっこういいなあと思うんだけど、でもやっぱり本格的な興味にはつながらずに、気づけばまたいつのまにか忘れてしまっている感じ。

 それが、今回は「交響曲」という、「ミニマル」とは二律背反するような曲目が目に入ってきたので、ちょっと興味をそそられてしまった。

 で、聴いてみたところ・・・、これが非常に聴きやすくて清新(グラスだといつものことではあるけど)。

 気になっていた「交響曲」という点でも、たしかに多楽章での構成ということでの説得力みたいなものは分かったし、しかしそんなことを上回って、久しぶりに聴くグラスの音楽が、ブランクがあっただけに一層効いたというか、リラックスできるようなやさしい楽想が耳の深部にまで到達してきた。

 実際、グラスって、「現代音楽=聴きにくい」の思い込みの真逆を行っているというか、ある種保守的にさえ感じられてしまうほど聴きやすいんですよね。

 で、解説を読んでいて面白かったのは、20世紀のアメリカ音楽は、非常に多くのアメリカ人音楽家を受け入れた有名音楽教師であるパリのナディア・ブーランジェ、及びフランス6人組などのフランス音楽による影響が大きく、まさにこのグラスもパリでブーランジェに西洋古典主義音楽をみっちり鍛え直された一人だったという話。

 そう言われると、これまで熱心ではないが散発的には聴いてきたアメリカ現代作曲家のかなりの作品での、あまり前衛というものを感じさせない聴きやすさの理由も分かるし、明るくて都会的な軽さともいうべき雰囲気の源の一端が少し垣間見れたようで、ちょっと霧が晴れたような気分にも。

 そもそも、自分はこれまでアメリカ現代音楽にそんな潮流があるという発想すらしたことがなかったもので、でも考えてみればヨーロッパ発祥のクラシック音楽があってこそのアメリカ現代音楽だったわけなのだから、そこに直接・間接さまざまなヨーロッパの影響が流れ込んでいても不思議ではなかったわけだ。

 それに、今回のCDでもそうだけど、理知的で乾いた都会性みたいな中に流れるグラスの持つ抒情性が、ミニマルの中でこそ一層際立って感じられるという側面もきっとあるのかなあ、と。

 それと、このCDの作品、軒並み作曲年代が1980~90年代で、しかもその後グラスは交響曲を10以上も作っているらしくて、ここまで年代が下ると、本当に「現代の音楽」という気がしてくる(20世紀前半のシェーンベルクなんかといまだに現代という括りで一緒くたになっているイメージがあるのって、いい加減に限界なのではないのだろうか)。

 この点、個人的にはグラス他の作品って、かなり20世紀後半という時代性というものを捉えているような印象があるんだけど、でも例えば、これから50年後、100年後の時代に20世紀後半の音楽というものを回顧してみた時に、これらの作品はどのくらいこの時代の精神を反映していると評価さされることになるのだろう、なんてことを考えたりした。

⇓ たぶんこのYouTube、デニス・ラッセル・デイヴィス指揮だからCDと同じ音源だと思うんだけど(でも、聴き比べたりはしていません)。ていうか、音楽にこういうグラフィック付けるのって面白いですね。

Philip Glass, 3rd Symphony 3. Movement

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聴いたCD TERRY RILEY / STEFANO SCODANIBBIO : LAZY AFTERNOON AMONG THE CROCODILES

2023年04月05日 | 現代音楽

 

 これは、以前から何気に好きで、たまに聴いてみたくなるCD。

 ここ数年、なぜか山梨県内でアパート暮らしをしているというのが謎のテリー・ライリーと、イタリアのベース奏者兼作曲家でもあるステファノ・スコッダニビオによるコラボ作品です。

 といって、この2人については自分はまだ全然詳しくなくて、テリー・ライリーのほうは超有名だけどあの『in C』とかもまだ自分には刺さったことがなく、ミニマル系の作曲家の中でもやや遠いままの人だし、スコッダニビオもECM等の作品で過去に確かに見覚えのあるアルバムに参加しているらしいのだが、名前を覚えるには到っていらず。

 そんな、まだ個人的にはピンと来ていない2人によるシンセとベースによるコラボ作品は、全体でも30分くらいの「EP」と言っていいくらいの短い作品なのだが、これがなんだかとても独特な雰囲気に満ちていて、非常に個性的。

 作中、何と言っても特徴的なのは、スコッダビオによるアルコ弾きで(解説でテリー・ライリーがインド音楽のサーランギに似ていると書いている)、これが終始非常にゆったりとした、しかしベースにとってはきつめの軋むような高音を奏で続け、さらには普通にジャズのベースのように低音もボンと慣らすので、ある意味一人二役といっていいかも。どちらかというと、テリー・ライリーのシンセのほうが(特に前半は)補助的という感じも。

 冒頭の『LAZY AFTERNOON AMONG THE CROCODILES』(「ワニの群れの中での怠惰な午後」とでも訳すべきか)は、文字通りけだるくも不穏な空気が満ちている中で、苦悩を含む思索がゆるやかに流れていく感じだが、ふと気づけば曲は切れ目なく次の曲に変わっていて、不穏な雰囲気が増してきたり、後半は2人による即興性が強くなってみたりと、音楽は様々に変転していく感じ。

 最初は、冒頭の瞑想的な雰囲気に浸りたいだけだったので後半が「?」みたいに思っていたけど、何度も聴いていくうちに今ではそちらの2人の掛け合いのほうが面白く感じるようにもなってきました。

Lazy Afternoon Among the Crocodiles (1/3)

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聴いたCD Carlé Costa : Guitarra Elemental

2023年03月04日 | 現代音楽

 

 これは、以前からちょこちょこ聴いていたCD。

 最初はそんなに気に入っていたわけでもなかったけど、こうして聴き返すたびに「好き度」が増してきている感じです。

 で、さっそく色々と基本情報を書いていきたいところなんだけど、しかしなぜかここ数日、CDのジャケットが見当たらない。実はさっきも小一時間探してみたけど、やっぱり見つかりません(泣)。なので、ここからは全部ネット情報になってしまうんですが・・・。

 で、この Carlé Costa 氏。ウルグアイ生まれでアルゼンチン育ちというギタリストであるらしく、国際的にも活躍しており、現在ではドイツのベルリンに暮らしているとのこと。

 CDも全部で10枚近く確認できる中で、本作はアコースティック・ギター一本による完全ソロ作の演奏。それも、エコーとかディレイとかの電気的な処理もなく、本当にアコギの生音だけの作品になっています。

 ただ、この演奏をジャンル分けしようとすると、これがなかなか難しくて、全体的な雰囲気はかなりクラシックの雰囲気を感じるし、YouTube に上がっている演奏風景を見てもクラシック系の舞台が多いように思えるから、南米によくいる現代作曲家のひとりと言われればかなり近いのかもしれないけど、その一方で非常に南米の民俗的な要素も強く、それが独特の憂いを含んでいて非常に美しい。

 それに、ここで演奏されている曲がどの程度予め作曲されているのか分からないけど、即興性も若干は感じるので、そう考えると店でジャズの棚に並んでも違和感がないようにも思える(実際に、自分もディスクユニオンのジャズのコーナーで見つけたような記憶がある)。

 南米のクラシック寄りの現代ギター音楽って、普段あまり聴かないから作曲家の名前パッとなかなか出てこないけど、例えば昔聴いたアサド兄弟なんかに取り上げられていた作品にしても、やはりヨーロッパの作品とは違って、ヨーロッパ内のクラシック界の枠に縛られない自由でしなやかな感性とサウダージ的な憂愁みたいなものが感じられるところが個人的に魅力的に映っていて、本作もまさにそういうところが最大の美点なのではないかと思っている。

 そこに、本作には適度に現代的な要素もあるので、ポップス方面の音楽のように甘ったるくないのもポイントというか。

 最初は、正直かなり地味な作品に思えたけど、じっくり聴けば聴くほどその世界に浸ることができるタイプの作品ではないかと感じています

Corazón, Horizonte Y Río

Saga: En El Corazón

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聴いたCD Aizuri Quartet : Blueprinting

2022年06月16日 | 現代音楽

 

 アリアナ・キム{vn) 三枝未歩(vn) 小笹文音(va)  カレン・ウズニアン(vc)

 〔曲目〕
    ・Gabriella Smith: Carrot Revolution
 ・Caroline Shaw:Blueprint
 ・Yevgeniy Sharlat:RIPEFG : I & II
 ・Lembit Beecher:Sophia’s Wide Awake Dreams : Dream Nr. 1 & Nr. 2
 ・Paul Wiancko:LIFT : Part I ~Ⅲ

 これは、以前から何度か聴いていたCD。

 中古屋で見つけた時に、好きな弦楽四重奏ものだということと、なおかつ現代曲を演奏しているらしいということで拾ったのだと思うけど、フタを開けてみると女性4人のカルテットのうち、2人が日本人。

 しかも、グループ名の「AIZURI」が日本の浮世絵画法である「刷絵」から来ているということで(活動しているはアメリカらしいけど)、聴く前からちょっと驚いた記憶があります。

 で、曲は全て委嘱曲らしく、特に2曲目のタイトル「Blueprint」は正に「刷絵」から採られたとのこと。いくつかの曲に弦楽器以外の音も少し加えられているので純正な弦楽四重奏ではないかもしれないけど、しかしどの曲も現代曲ながら難解ではなく、かなり聴きやすくまた演奏効果も高くてカッコいい曲ばかり。

 実際にアメリカでも好評だったらしく、このアルバムは2019年のグラミー賞の1部門にノミネートされたのだそうです。また、彼女たちのレパートリーは本来古典から現代まで幅広く、現代曲専門というわけでもないらしいです。

 で、以前聴いた時は、気に入ってはいたものの、なにしろ知らない作曲家ばかりだし、曲も頭の中にしっかり定着したとは言えないなあと思っている間にいつのまにか忘れてしまっていたのだが、しかし全て委嘱曲だということを考えれば、ある意味半分は彼女たちの音楽として聴けばいいのかも。

 現代曲でありながら、カッコよく、分かりやすい。この辺が、アメリカで聴衆にアピールしつつ生き残っていく彼女たちの戦略なのかも、なんてこともちょっと思ってしまいました。

 とりあえず、今のところのぼくのお気に入りは、下の「Carrot Revolution」と、色んな細かい音が入ったちょっと幻想的な「Sophia's Wide Awake Dreams」です。

Aizuri Quartet performing "Carrot Revolution" by Gabriella Smith (Official Video)

Aizuri Quartet performs Lembit Beecher's "Sophia's Wide Awake Dreams”

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聴いたCD 危険な夜-高橋アキプレイズ ジョン・ケージ

2021年06月30日 | 現代音楽

 

〔曲目〕
 ジョン・ケージ:
 ・ア・ルーム(1943)
 ・アモーレス(1943)
 ・危険な夜(1943-44)
 ・季節はずれのヴァレンタイン(1944)
 ・マルセル・デュシャンのための音楽(1947)
 ・ある風景の中で(1948)
 ・チープ・イミテーション(1969)

 今日は、久しぶりに現代音楽もの、高橋アキによるジョン・ケージのピアノ作品集を聴く。

 そして、その曲の多くがプレペアード・ピアノ用で、そのプレペアード・ピアノ作品にガムランなどの東南アジアの色彩が濃い。

 ぼくは、このケージほかの20世紀の現代音楽作曲家がガムランの要素を彼らの音楽に導入したことについては以前からわだかまりが抜けないというか、当時の欧米の現代音楽界がその閉塞感や神経質さ、虚無感などのなかでもがくうちに、たまたまガムランののどかな開放感やアルカイックな無邪気さなどが使えると気がついただけじゃないかとつい思ってしまうんだけど、しかし一方でそうして中和されて出来た音楽がすごくシンプルで洗練されて聴こえたりするので、結局聴いているうちにいつのまにかうっとりしていたりする。

 で、これらの曲の多くはこれまでにも何度か聴いたことがあるわけだけど、演奏によってもけっこう印象が変わってくるように感じていて(例えば、ピアノの内部に挟むものも少しずつ違ったりするのだろうか)、そんな中で高橋アキのこの録音はとても静的な美しさがあり、そして東南アジア的雰囲気が強く出ているように感じた。

 そして、そんな雰囲気の曲が続いた後で、ケージのピアノ曲の中でも特に有名で、しかし全く現代作品っぽくないという点ではある意味異色の『ある風景の中で』が、後半ふっと始まる瞬間が、かなり美しかった。
(ただ、最後に置かれた30分に及ぶ『チープ・イミテーション』という曲が、素朴すぎる単調な音の連なりが延々と続くのにはちょっと閉口したけど)

 実は、昔から高橋アキにはちょっと興味があって、彼女の録音を追っていくうちにうまい具合にいろんな現代作曲家を知っていけたらとずっと思っているんだけど、思っているだけで一向に捗っていないまま。この分野の探索は、いつも道のりが険しいという実感です。

↓(YouTubeにこのCDの動画が見つからなかったので、ケージ作品の他の演奏家による演奏を参考までに貼っておきました)

[Score] John Cage: The Perilous Night (1944), for prepared piano (Margaret Leng Tan)

John Cage - A Valentine Out of Season

John Cage - In A Landscape

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聴いたCD アンテナ修理屋(The Antenna Repairman):ガータム(Ghatam)

2020年07月23日 | 現代音楽

 

 M. B. Gordy(per)  Robert Fernandez(per)  Arthur Jarvinen(per) 

 これはある意味、ちょっとした「馴染み」のCD。

 もうけっこう前に買ったCDで(「MA Recordings」は一時期かなり熱心に拾っていた)、正直いって特に好きというわけでもなかったんだけど、でも時々出てきてはつい聴いてしまう(そんなCDってありませんかね)。今回も、きのうCDの山から発掘されて、また聴いてしまいました。

 というわけで、この際ブログに書いておこうかな、と。

 この「アンテナ修理屋(The Antenna Repairman)」というのは、カリフォルニア芸術学院というところで知り合った上記の3人が結成したというパーカッション・グループで、今回はステファン・フリードマンという陶器の彫刻家がデザイン&制作したセラミックの楽器を使って演奏した録音だということ。

 ガータムなんかは、もともとインドの壺を利用した伝統楽器でインド音楽なんかにもよく出てくるけど、それも今回はオリジナルの土ではなくわざわざ陶器で制作したとのことで、それを叩く方法も、伝統的な方法ではまったくないとのこと。

 楽器はほかに、水を張った茶碗や皿を棒で叩くジャルタラングや、ナイジェリアの水を運ぶための壺を楽器にした「ウドゥ楽器」などを使ってますが、いずれも今回は陶器製で、陶器特有の硬質で澄んだ音がして統一感があります(それと、壺のより本来の用途というか、水を注ぐ音を使ったトラックもあって、その音が意外に気持ちよかったりする)。

 で、ぼくとしてはこれまでも、別にこのCDをあれこれ考えながら聴いていたわけでもないんだけど、今回敢えて説明を試みるとすれば、これは原始的な要素と、現代的な要素の二面性を持った音楽なのかなあ、と。

 もともと、ものを手や棒なんかで叩くという打楽器そのものがすごく原始的な楽器だと思うんだけど、今回はそれをちゃんとした楽器でなく、壺や皿でやっているという点が、一層プリミティブといえばプリミティブ。

 しかし、実はその壺や皿がオリジナルの生活品ではなく、すごく澄んだきれいな音がするとはいえ、現代彫刻家による「作品」であり、それを演奏する人間も、また現代音楽の世界の演奏家であって、彼らは一面、素朴な音の世界に遊んでいる面はあるとしても、やはり根本的には現代的な美意識のもとでこれらの演奏を行っている。

 というわけで、音としては素朴だけど、演奏としてはかなり観念性というものはあって、しかし逆に言えば、そんな両面性があるからこそ、聴く側としてもあれこれ脳内に想念を抱きつつも何回も聴いていられるのかなあ、なんてことも思ったり。

 しかしまあ・・・、今回も(この文章書いたりするうちに)何度か聴いてしまって堪能したので、また数年後の再会を期して、一旦リリースさせていただいきたいと思います(たぶん、またジャケット見たら聴いてしまうと思う)。

 ↓ (YouTube探したら、CDの演奏そのものは見つからなかったけど、何やらライヴ・パフォーマンスの様子の動画がありました。ただ、演奏としてはやっぱりCDのほうがまとまっているかなあ)

The Antenna Repairmen - Ghatam

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聴いたCD Rzewski:The People United Will Never Be Defeated!(Marc-André Hamelin マルカンドレ・アムラン)

2020年04月06日 | 現代音楽

 

〔曲目〕
 フレデリック・ジェフスキー
 ・「不屈の民」変奏曲〈団結した民衆は決して敗れることはない〉による36の変奏曲
 ・4つのノース・アメリカン・バラード~
  第3曲:ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド
  第4曲:ウィンズボロ製綿工場のブルース

 これは2週間前くらいだったか、全くの偶然でゲットしたCD。

 というのはこれ、見つけたのが何と、近所のリサイクルショップで、その店頭のワゴンにホコリにまみれてほかの不用品といっしょに眠っていた。長年の習性で、とにかく街を歩いていてCDっぽいものが目に入るとチェックするという性分のおかげで気がついたけど、それにしても、よくこんなものが落ちていたなあ、と。

 (しかもこれ、ジャケットは完全にロックっぽい雰囲気だし。一瞬目の端に「Marc-André Hamelin」という文字が入らなかったら、ホントに気づかなかったと思う)。

 とまあ、そんな出会いだったんだけど、気づいてみるとこれ、ジェフスキの『「不屈の民」変奏曲』という、かなりの有名曲だった。そして、何も分からずに聴き始めたところ、現代曲という割りにものすごく分かりやすい、というか、確かに変奏はピアニスティックなところもあるし、抽象的な楽想の部分もあるものの、むしろすごく大衆的な世界というか労働者的な世界というか。

 そして何よりもこのテーマが、一度覚えたらたぶん忘れないんじゃないかというほどの名旋律。

 このテーマ、もとは1970年頃の南米チリの軍事クーデターの状況下で生まれた革命歌ということなんだけど、もともとヨーロッパ生まれの社会主義が南米チリで初めての政権を獲得し、そこに軍事クーデターが起こってその弾圧に民衆が抵抗する過程で生まれた歌が、当時イタリアに住んでいた(軍事政権を後押ししていた)アメリカ生まれの、共産主義の作曲家に届いて作曲されるという、なんとも数奇というか、複雑な展開。

 聴きながら、ベートーヴェンはドイツ音楽で、ドビュッシーはフランス音楽で、というような世界に日頃浸っている自分からは、ちょっと距離を感じてしまったのも正直なところでした。

 しかしこのジェフスキ―。今回初めて接してなかなか隅に置けないと思ったのは、何だかすごくクレヴァーというか、いろいろと計算も巧みな点。現代音楽というとどうしても抽象的で難解で、みたいな曲も多い中、彼はその辺をうまく回避して、すごく親しみやすいテーマをもう一方の軸に置き、それぞれの変奏にしても、現代的な曲想でつかみどころがない変奏が続いたかというと、次にわかりやすい変奏が出てきてバランスをとるという、一種のサイクルみたいな構成を上手く使っているみたい。

 ただ一方、やっぱりどうしても馴染めない点というのもあって、それはこの革命歌みたいなものが、いつ聴いても何と言うかやっぱりどこか浪花節っぽくて、暗くて垢抜けなくて、肩を組んで行進しやすいメロディーになるというイメージから抜け出せないところ。

 そして、肩を組んで身体を左右に揺らしながら歌うってことは、ある種「踊り」ということでもあるわけで、実は個人的には、その歌と踊りのもたらす高揚感というか陶酔感というかいうものを、本来社会はこうあるべきという理念であるはずの社会思想が、革命運動や闘争という局面になった時に、その暴力の推進力を得るための「手段」として便利に使ってしまっているんじゃないかと、どうしても思えてしまうところが、昔からシンドイところ。

 しかしまたその一方、この曲の中でのさまざまな変奏、また抽象的な楽想というものは、そういう面からの逸脱であり、遊びでもあって、そういう面があるからこそ、この曲は手段であることを脱して音楽そのものとして、独立できているのかなあとも感じたのでした。

 ・・とはいえ、まだ今回初めて聴いたばかりなので、ジェフスキーの人となりも、各変奏も全然ちゃんと聴けていない。写真を見ると、このジェフスキーおじさん、けっこう愛嬌のある顔をしているようにも見える。

 結局、曲を好きになるってことは、作曲者の魅力を感じるって要素も大きいとは普段から思うところなので、そういう興味が出てくれば、もっとこの曲がより近く感じられる日が来るのかも。

↓(すごい! 21世紀の文明の利器、YouTubeによって、自作自演の映像があっという間に出てきてしまいました)

Frederic Rzewski - The Miami Recital

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聴いたCD John Adams : Road Movies

2019年11月11日 | 現代音楽
Road Movies
John Adams,Nicolas Hodges,Rolf Hind,John Novacek
Nonesuch

〔曲目〕
 ・Road Movies
 ・Hallelujah Junction
 ・China Gates
 ・American Berserk
 ・Phrygian Gates

 これは、ここ数日何度も聴いたCD。

 例によってのジャケ買いではあるんだけど、ジョン・アダムズという作曲家が、けっこう名前をよく見るわりにこれまで全然聴いたことがないなあと思ったのが拾ったきっかけ。それに、ジャケの印象では、少なくとも難解でダークな感じではないような感じだしで。

 で、実際に聴いてみると、これが予想外に聴きやすい。このCD、内容的にはピアノを中心とした作品集で、最初の「Road Movies」がヴァイオリン+ピアノ、次の「Hallelujah Junction」がピアノ2台、その後の3曲はピアノ独奏と、「Road Movies」を除けばほぼピアノ曲だけ、という構成(だたし、ジョン・アダムズの作品中では、ピアノ曲はあまり多くないみたい)。

 そして、曲調的にはミニマル基調ではあるけど、短い音型が果てしなく続くというようなものではなく旋律の変化も多くて、非常に「普通の曲」っぽいというか。そして、何よりその雰囲気が、非常に明るくて爽やか。抒情性みたいなものもあるし、すごく親しみやすい。ほかのミニマル作曲家たちに比べて、ずっと近づきやすいという感じです。

 とはいえ、まだこの1枚を聴いただけなので何とも言えないんだけど、「Road Movies」はトラベル・ミュージックということだし、Hallelujah Junction」もカリフォルニアとネヴァダの州境にあるトラック・ストップ(=ドライブイン)の名前だということで、作品の背景に20世紀アメリカの(車)社会みたいなものが含まれている世界でもあるのかな。一番の小品ながら、China Gates」なんか、かなり美しいです。

 以下、Youtubeで動画見つけたので、何曲か貼ってみました。

Road Movies: I. Relaxed Groove

Road Movies: II. Meditative

China Gates  

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聴いたCD 東方逍遙 — ピアノによるアジアの音楽(門 光子)

2019年11月03日 | 現代音楽

 

東方逍遥 ピアノによるアジアの音楽
MA
MA

〔曲目〕
 ・6つのロマンス(吉松隆)
 ・蘇州夜曲〜水に浮かぶ蒼い月(服部良一/柴山拓郎)
 ・さとうきび畑〜夏に揺らぐ光(寺島尚彦/宮木朝子)
 ・遠ざかる風景(柴山拓郎)
 ・イムジン河〜呼び交わす二つの声(高宗漢/宮木朝子)
 ・月のプレリュード(吉松隆)
 ・日のポストリュード(吉松隆)
 ・美しい竹〜阿南恋唄/(ヴェトナム民謡/宮木朝子)
 ・雨夜花〜美しい島にそよぐ風(鄧雨賢/柴山拓郎)
 ・響歌(宮木朝子)

 以前、「ACROSS THE UNVERSE」というアルバムが良かった記憶がある門 光子さんというピアニストのCDを見つけたので、聴いてみた。

 ただ、この盤、録音は「ACROSS THE UNIVERSE」より古くて2003年。しかし、同様にすごくテーマ性があるし、しかも(東南っぽい雰囲気の)「アジア」というのがまた独特。そして一聴、夢見るような世界の出現に、ちょっと心を奪われてしまった。

 演奏曲としては、吉松隆の『プレイアデス舞曲集』からの抜粋(冒頭の『6つのロマンス』は、そういう曲集があるのではなくて、『プレイアデス舞曲集』から『〇〇のロマンス』という曲をいくつか集めている)と、あとは柴山拓郎、宮木朝子という作曲家による、この録音のための作品(歌謡曲からの編曲が多い)とでできている感じ。この、一つの録音のプロジェクトのために何人かの作曲家が集まって曲を作っているというのも、(委嘱曲といえばそうなのかもしれないか)珍しい。

 特に、『プレイアデス舞曲集』は、自分としては過去にちょっと小耳にはさんだ(って表現は音楽ではしないか)という程度だったんだけど(というか、吉松隆自体ほとんど聴いたことがなかった)、この盤の中では破格の美しさで、これまでちゃんと聴いてこなかったことを、少し反省さえしてしまった。

 ただ・・・、この盤、すべて本当に夢見るような美しさなんだけど、しかし聴きやすすぎて半分「クラシック」というジャンルを逸脱しているんじゃないかとか、多少わだかまりみたいなものを感じたのも事実。

 例えばほかに、「アジア」という割りにはどうして録音をイタリアの教会でやっているのかとか、それと何だか鳥の声みたいな音が入っているし(実際に教会の外で鳴いていた鳥と分かって納得したけど、最初は編集で入れたのかと思った)、『蘇州夜曲』や『イムジン河』はぼくでさえ知っているくらいの名曲だが、どうも原曲とこの編曲とのイメージにギャップがあるようにも感じたり。

 それと、たしかにここに聴かれる曲はアジア(日本)独特の雰囲気が醸成できているとはしても、果たして「雰囲気」のほかに日本のクラシックの「背骨」みたいなものはどこにあるんだろう、なんてことも、つい考え込んでしまった(というか、必ずしもクラシックらしいクラシックにこだわってはいないのか)。

 ・・・と、ちょっと不満っぽいことを口走ってしまったけど、しかしこれは独創性という点だけでもすでに十分すごいし、演奏も録音も美しい(MAレコーディングスだし)。何だかんだでもう7,8回聴いてしまった。

 というか、そもそもこの「アジア」のアルバムの前に、日本のピアノ音楽を取り上げた『風の記憶』というアルバムがあって、かなり評判だったらしい。むしろそっちを先に聴いたほうがよかったのかも。

 ↓ (下は門 光子さんのHPのアルバム紹介のページです)

http://pianokado.com/album_drifting.html

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聴いたCD Anna Maria Staskiewicz / Marcin Sikorski : LutosĹawski - Schnittke - Prokofiev

2019年10月29日 | 現代音楽

〔演奏〕Anna Maria Staskiewicz(vn)   Marcin Sikorski (p)

〔曲目〕
 ・ルトスワフスキ:Subito(スビト)
 ・シュニトケ:ヴァイオリン・ソナタ第1番
 ・プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第1番

 う~ん、久しぶりに(日本の)アマゾンでは商品情報も出ないCDに当たってしまった。とりあえず、スペイン(?)のアマゾンには画像付きのデータがあったけど、正直いって暗いです。日頃、ジャケ買い主義を掲げるぼくとしても、こればかりは例外と言わざるを得ません(笑)。

https://www.amazon.es/Anna-Maria-Staskiewicz-Marcin-Sikorski/dp/B0193UDKJA

 でも、内容的には、これはすごく良かった。曲は、20世紀東欧・ロシアの比較的メジャーなヴァイオリン・ソナタ集で、演奏者はポーランドの若手ヴァイオリニスト、Anna Maria Staskiewicz(1983生) と たぶん同郷のピアニスト、Marcin Sikorskiのコンビ。録音データは詳しく書いてないけど、発売は2009年。

 それと、Anna Maria Staskiewiczは、過去(2013年?)に来日したこともあるみたいです。

https://instytut-polski.org/event-archives/archives-music/3070/

 で、このCD、個人的に一番有り難かったのは、昔聴いて気に入っていたシュニトケの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』を、久しぶりに聴かせてもらったこと。いやあ、この曲、たぶんシュニトケのバイオリン曲ばかりのCDに収録されていて、それで知ったんだけど、(シュニトケの曲の中では)曲調もすごくとっつきやすいし、またカッコいい。

 だけど、・・・やっぱり全体の世界としては暗い世界だし、殊にそのCDの他の収録曲はあまりとっつきやすくもなくて、なかなかよっぽど好きな人でないと、なかなか聴く機会増えてこない曲なんじゃないかなあ。

 ぼく自身も、このCDみたいに他の作曲家作品といっしょに収録されていたりすることがあればよかったんだけど、なかなかそんな盤にも巡り合わなかったし。

 で、さっきこの曲の紹介がてら、YoutubeでAnna Maria Staskiewiczの演奏を探してみたんだけど、今回はそれも見つからなかったたので、下にちょっと良かった別の人の演奏を貼っておきました。

 この曲、第1楽章が一番動きが少ないので、いきなり「掴みはOK」みたいにはならないんだけど、徐々にトリッキーな感じとかユーモラスな箇所、リズム感なんかも出てきて、特に第3楽章最後の高音のヴァイオリンがたゆたうところから、第4楽章のダンサブル(といっていいのか)な箇所に突入するあたりが、一番のとっかかりかも(この動画の11分30秒あたりからの部分)。

Schnittke Violin Sonata No. 1

 あと、有名なプロコの「第1番」と、冒頭の同郷ポーランドのストスワフスキの晩年の小品(気づくと、これもかなり生気があって面白い)も含めて、Anna Maria Staskiewiczの演奏は非常にシャープでフレッシュさがあってカッコいいし、たぶん(彼女より)年長のピアノ伴奏も非常に感性あって、包容力みたいなものも備えている感じ。録音も迫力あるクリアな音できれいだし。

 中古ですごく安いCDだったけど、かなりの見つけ物だったという感じです。

 あと、最後に曲は違うけどAnna Maria Staskiewiczの演奏も。こちらは、チェロとのデュオ曲で、マルティヌーの作品。やっぱり、この辺の20世紀曲中心の演奏をしているのだろうか。

 

Duo for Violin & Cello, Op. 7: III. Maestoso e largamente, ma non troppo lento


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聴いたCD Philip Glass : Mad Rush (Lisa Moore)

2019年10月27日 | 現代音楽
Philip Glass/ Mad Rush - Lisa Moore - Solo Piano
ORANGE MOUNTAIN MUSIC
ORANGE MOUNTAIN MUSIC

〔曲目〕
 ・Mad Rush
 ・Metamorphosis I ~ V
 ・Etude No.2
 ・Satyagraha Conclusion, Act 3
 ・Closing

 これは、(いつものことだけど)完全なるジャケ買いだった1枚。

 当方、現代音楽、ことにミニマルみたいなジャンルには、ずっと以前からどうにも拭い切れない「近づきにくさ」みたいなものを感じていて、このフィリップ・グラスについても正にそうだったのだが、それがこんなちょっとおしゃれなジャケットで、しかも女性ピアニストが弾いているらしいって、もしかしたら思っているよりもずっと親しみやすい曲なんじゃないかなあ、と思ったのだった。

 (なんだか、ぼくの印象ではこの変の音楽って、CDのジャケットからしてすでに近づきにくかったりすることも多いので)。

 で、聴いてみた感想は、う~ん、今のところ「賛否両論」みたいな感じかなあ。曲調としては、このCDの曲はどれも似通っていて、左手の「ミソミソミソミソ・・・」みたいなシンプルな伴奏の上に、右手が一定のアルペジオの音型を基本にした非常に分かりやすい旋律を奏でるのだが、第一にその旋律が予想以上に爽やかで美しかったのがまず驚きだった。自分の予想では、もっとトガっていて人を寄せ付けない感じかと思っていたのに、これなら「聴き易い」を通り越して、イージーリスニング的に部屋に流しっぱなしにしても良さそうな感じ。

 しかし、よく考えてみると、そんな「ミソミソミソミソ・・・」をこれだけ執拗に続けること自体、すでにけっこう偏執的で、本質的にイージーリスニングではないと思うし、それならそんな音楽にどうしてこんな爽やかな衣裳をまとわせるのか、みたいなことを、ここ数日ぼんやり考えていた。

 まあ、素人の気安さで勝手なイメージを遊ばせてみると、現代のガラス張りの透明で明るいビルディング群の中での、そこで行われているある種単調な業務に追われている人々の、しかしその白い書類に書かれている業務はギラギラした欲望うごめく資本主義の世界、みたいな面もあるのかなあ、と。

 ・・・と、とにもかくにもまだ知ったばかりで右も左もわからないフィリップ・グラスだけど、あと、この1枚を聴いてみてこの人の音楽はかなり抒情を含んでいるように見えたところも、ちょっと魅力的に感じられた面かも。

 それと、ピアニストの Lisa Moore は、長年これらの曲を取り上げ続けているみたいで、非常にていねいに愛着を持って演奏している感じで、素晴らしいです(「Mad Rush」なんかはフィリップ・グラスの自作自演がYoutubeにも上がっているけど、自作自演ってけっこう雑だったりするし)。

Lisa Moore: Mad Rush by Philip Glass



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聴いたCD Kuba Kapsa Ensemble : Vantdraught 10 Vol 1

2019年09月08日 | 現代音楽
Vantdraught 10 Vol 1
Denovali Records
Denovali Records

 これは、ここ数日何度か聴いた盤。って、最初は特に気に入ったという意識もなかったんだけど、それが何となくついつい聴いてしまったという感じ。何でなんだろう?  

 で、実はこれ、けっこう前からディスクユニオンのフリー・ジャズのコーナーでよく見かけていた盤で、多少気になりつつもアンサンブルが大人数っぽくてスルーしていたんだけど、それが今回、めでたく値段が下がってゲット。

 ところが、いざ実際に聴いてみたら、耳に入ってきた音はジャズとは全然違って現代音楽、というよりミニマル。たぶん、この Kuba Kapsa って人が普段ジャズの方面で活躍しているからジャズ・コーナーに置かれたんだと思うけど、これは完全にスティーヴ・ライヒとかのミニマル・ミュージックを連想させる音楽(というより、そのもの)です。

 構成はヴァイオリン4、ヴィオラ2、チェロ、ピアノ、マリンバ、ヴィヴラフォンそれぞれ1の、計10名。タイトルの「Vantdraught 10」って、そもそも「Vantdraught」って単語がよく分からないんだけど、グループの10作目という意味ではなくて、多分「10」は「10人」という意味だという気がする。

 で、その楽器構成から見てもわかるように、ヴァイオリンとヴィオラ中心の弦にピアノ、マリンバ、ヴィルラフォンなどが加わるという、本当にライヒがよくやっていたようなアンサンブルで、しかもライヒが拍をずらしていったりみたいなややこしいこともなくて、ストリングス中心のミニマルのアンサンブルがすごく聴きやすく流れていく。そして適度な変化もあって、なかなか飽きることなく聴けます。

 それと、自分が思いがけずこの盤にちょっとハマってしまった理由は、もしかするとマリンバとヴィルラフォンの「2つ入り」だったことかもしれない(と、さっき思いついてしまった)。

 これは以前からの持説なんだけど、ミニマルという形式にはマリンバやヴィヴラフォンという楽器が抜群によく合うと思う。で、そういう楽曲って、マリンバならマリンバだけということも多いんだけど、それがストリングスと合わさることによる快感というのもすごくあって、この「弦+マリンバでミニマル」というのは、かなり黄金な組み合わせという気がするのです。それが今回、両方入りなんて、そのせいで「快感指数」みたいなものも上がったのかもしれない。

 と、そういう意味では、この盤はいわば、かなり強く「聴く快感」というようなものを刺激してくれるような音楽なのかもしれません。

 

Vantdraught 10: No. 1, —


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聴いたCD Ginastera : Quartets 1 & 2(Miami String Quartet)

2019年07月31日 | 現代音楽
Quartets 1 & 2
Editio Princeps
Editio Princeps

 「謎」の作曲家、ヒナステラを久しぶりに聴いてみる。

 「謎」というのは、自分にとってだけの意味で、もうけっこうな昔からこの作曲家をちょこちょこ聴いているのに、果たしてそれをどう聴いていけばいいのかいまだによく分からなくて困っている、という意味。

 ヒナステラといえば、言うまでもなく第一に思い浮かぶのは「アルゼンチンの作曲家」というイメージで、こちらとしてはその”アルゼンチンっぽさ”をまずは嗅ぎ取りたいと毎度思うのだが、しかし例えばピアノ曲を聴くと、メロディアスで可憐な曲や民謡をもとにした曲があったりするが、しかしそれらがどうも薄味でドメスティックな「濃さ」に欠けるように思えるし、オーケストラのバレエ曲などでは、まとまってはいるが、わりと普通の映画音楽みたいに感じたりする。

 どうもこの人は、すごくインテリっぽいというか、ヨーロッパの作曲家たちの影響をいろんな形でスマートに受けている分、結局器用貧乏になっているのではないかという疑いが抜けない。きっと、もっと本気でいろいろ聴いていけば徐々に蒙がひらけてくるのかもしれないが、しかし何しろこちらは最初で躓いてしまっているので、探求も結局浅いところを少しウロウロするだけ、という形になる。

 そんな中、この弦楽四重奏曲だけは以前からものすごくカッコいいと感じている曲で、今回見つけた「Miami String Quartet」というカルテットのCDが、安かった上にジャケット写真もちょっと個性的なので拾ってみる気になった。

 で、聴いてみると、曲自体数年ぶりに聴いたせいか、一層魅力的に感じる。ただやっぱり、かつて愛聴し今でも偏愛するバルトークの弦楽四重奏曲たちにとてもよく似ている、とも感じる。それに、どの楽章もすごくまとまっている分、逆に後から来るものがないのではないかとも感じる。

 でも、一方でこの2曲はものすごい演奏効果を持った名曲で、聴くたびにコーフンもしてしまうのももちろん以前から変わらない。・・・と、結局この曲を聴くと毎回こうして悩んでしまって、なかなか出口が見つからない。

 それと、今回初聴きだった Miami String Quartet については、ディスコグラフィーを見てみると他にもいろいろとマイナーな現代曲を演奏しているようで、その点ちょっと興味深い。ただ、さっきYoutubeを探して気が付いたんだけど、このCDでは男女2人ずつのカルテットだったのに、最近(?)の動画では、メンバーが変わって男3と女1になっているみたい。

 というわけで、そっちよりは、静止画で申し訳ないんだけどこのCD自体の音源が見つかったので、とりあえず「第一番」の最初の楽章を貼ってみました。しかし、再生回数20回なんて、毎度マイナーな音源に行き着いてしまうなあ。

Quartet No. 1, Op. 20: I. Allegro violento ed agitato

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深夜にまたYoutubeをさまよっていて、遭難して疲れた件(スーフィーの旋回舞踊から「カント・オスティナート」へ)

2018年09月01日 | 現代音楽

 どうも、ジローです。

 もうね、この明け方にすっごく疲れてしまいました・・・。というのはですね、深夜、例によってYoutubeで民族音楽系の動画をいろいろさまよっていたのですが、偶然なかなかに強烈な動画に出くわしまして、その後そこに使われていた曲がまたかなりの名曲みたいでその探索が始まったりと、面白かったのはいいとしても、途中でやめられずに寝れなくなってしまったのですよ、ホントにもう。

 で、始まりはなぜかトルコのスーフィー(イスラム神秘主義)の旋回舞踊だったわけですが。まあ、これは今回の本筋ではないので、短めの動画をご紹介しておくだけにしますが、こんな感じのヤツです。

Dancing Derviches in Istanbul, by Alexis Urusoff

 このスーフィーの旋回舞踊も、昔(’90年代)に民族音楽にどっぷりハマっていた時は、まだこんなに動画がいろいろ気軽に見れるという時代じゃなかったから、そういう意味では、多少灌漑深いものもあるんですけど。

 しかし、そうして色々動画を見ていくうちに、何やら強烈な異彩を放つ動画に遭遇。「エッ、ナニコレ?」と、思わず見入ってしまいました。

Canto Ostinato - dervish dance and organ

 いやあ、しかし一体何なんだこれは。もうね、このインパクトに引きずられて、5回くらい連続で見てしまいました。

 で、最初、スーフィーには関係ない先鋭的な現代舞踏家がスーフィーにヒントを得てやっているだけかと思ったけど、どうやらこの踊り手の Kadir Sonuk という人、もともとトルコ出身で伝統的な舞踊でデビューして、その後オランダに移住したということらしいので、しっかりした土台があるということらしい(詳しくは知らないですが)。また、全く同じようなパフォーマンスを他の曲でやっている動画も見つけたので、もともとのスーフィーの禁欲とは対極にあるようなこのけばけばしい(一種、カラフルな蛾を想させなくもない)衣裳で回転するというスタイルは、もともとの持ちネタかもしれません。

 しかしこれ、オルガンによる音楽とも非常によくマッチして、ホントにこれまで見たことのない「陶酔境」が現出しているかのようで、ちょっと戦慄してしまいました。

 そして、もうひとつ放っておけないのがこの音楽。これは一度聴いただけで完全に耳に残ってしまう、かなりの傑作の予感がする。何だか、どこかで聴いたことがあるような気もしなくはないけど、一体どんな曲なのだろう。

 ということで、動画の説明をチェックすると、Simeon ten Holt という作曲家の 「Canto Ostinato」という曲であることが分かりました。日本語で書くと、シメオン・テン・ホルト作曲:「カント・オスティナート」。シメオン・テン・ホルトはオランダの主にミニマムの曲を作った現代作曲家で、この曲は彼の代表作とのこと。オランダでは非常に人気があるそうです。

 で、そういうことならと、早速今度は「カント・オスティナート」で動画を探索。すごい、やっぱり有名曲ということで、たくさん出てきました。ただ・・・、それはいいんだけど、この曲ちゃんと演奏すると、2時間以上かかる長大な曲であることが判明。しかも、ミニマルで単純な音型が少しずつ変化していくというパターン。BGM的に流しながら聴くのならともかく、全部聴きとおすのはちょっとシンドイ。

 でも、探していくと中には短めの動画もけっこうあるようで、今回はちょっと方針転換してそちらを中心に探索。いくつか、良さげな動画みつかったので、ちょっと貼っておきます。

Canto Ostinato (fragment) Simeon ten Holt - Ivo Janssen

 まずは、この曲はもともと複数台のピアノのための曲らしいんだけど(ほかの楽器でもいいみたいだが)、こうして1台で弾いていることも多くて、またこの Ivo Janssen というピアニストはこの曲の権威でもあるのか、かなりたくさん演奏している動画が出てきました。この部分は終わりに近い部分だと思うけど、旋律も特に美しくて、惹きつけられる部分だと思う。

 そして、もうひとつ、こちらはちょっと長めのピアノとマリンバによる演奏で、音楽とともに石や木を使ったアートが美しいです。

Simeon ten Holt - Canto Ostinato for two pianos and two marimbas

 最後に4台のピアノによるフル・バージョン(だと思うけど)も参考までに貼っておりますが、僕自身、端折ってしか聴いていないので、ナンなんですが。

Canto Ostinato live in Veldhoven 2012 by Piano Ensemble

 いやあ、この曲、たしかに名曲だと思います。でも、名曲だけどこれはやっぱり長すぎる。まあ、ミニマルってけっこうこういう長さの曲はあるとは思うんだけど、でも、ぼく個人の感想としては、オランダの人は自国の作曲家だからがんばれるけど、やっぱり決まった短めヴァージョンがあったほうが、この曲がもっと世界に浸透していけるんじゃないでしょうか。

 そして、話は最初のオルガンと旋回舞踊の動画に戻るのですが、こういうパフォーマンスって、トルコ系の移民の多い現在のオランダの状況と、また現代オランダの芸術界のラディカルな面が組み合わさった、かなり今のオランダを象徴するようなパフォーマンスとも言えるのかも、と思ってしまいました。

 いやあ、それにしても今夜のYoutubeは、まるでいつのまにか船が漂流して知らない世界に紛れこんでしまったみたいで、濃かったなあ・・・。

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聴いたCD Duos for Violin & Double Bass(Elina Vähälä & Niek de Groot)

2018年08月04日 | 現代音楽
Duos for Violin & Double Bass
 
Audite

〔曲目〕
 ・クシシュトフ・ペンデレツキ:協奏的二重奏曲~ヴァイオリンとコントラバスのための
 ・ユン・イサン(尹伊桑):Together~ヴァイオリンとコントラバスのための
 ・ヤーコ・クーシスト:Miniö Op.23
 ・エルッキ=スヴェン・トゥール:Symbiosis
 ・ルフレート・フーバー:(Re)Actio Op.18
 ・ジェルジュ・クルターグ:「人は花にすぎない」(ミヤコに)
 ・ヴォルフガング・リーム:ダイアド~ヴァイオリンとコントラバスのための

 これは、先月くらいにDUの現代音楽コーナーで見つけた時、「おっ!」と思わず目を見張ったCD。

 まずは何と言っても、このジャケットがオシャレ。普通、こういう現代音楽のCDって、かなり暗黒系のジャケットも多いんだけど、そこをこんなに明るい色調と、演奏者の笑顔というのはちょっと珍しい。しかも、ヴァイオリンとベースのデュオっていうのがまたイカしているというか、もうこれだけですごく期待させられてしまった。

 まあ、これがジャズなら、ヴァイオリンとベースのデュオってのも無くはないんだけど、でもこれはクラシックですからね。普通、低音弦をヴァイオリンと組み合わせるにしてもチェロのはず。そこをベースとは、無論、昔(というか今でも)はそんな曲自体が少なかっただろうから、ここで演奏している曲はおそらく編曲ものか、もしくはすごく新しいオリジナル曲(委嘱の可能性もある)かといったところ。で、ちょっと曲目を見てみると、どうやら最初からベース用に作られた曲ばかりらしく、ますます期待大。

 で、聴いた感想はというと、これがなかなかの聴き応えあり。まず現代音楽としては、かなり聴きやすい部類といっていいと思う。全部で7人の作曲家の作品を演奏している中で、名前を知っているのはペンデレツキとエリッキ=スヴェン・トゥール、クルターグにリームと半分くらいはいるけど、それぞれあまり馴染みはないので、そういう点では全然知らない作曲家と大して変わりはない。

 しかし、どの曲も調性やリズム、メロディーもかなりはっきりしているしで、難解さという点では全然問題なし。多少暗かったりキビしかったりする色調の作品もあるけど、でもまあ、このくらいなら緊迫感のある曲というくらいといってもいい範囲内。

 そんな中での、このCDの最大の売りはヴァイオリンとベースとの「対等」なディオということで、お互いが主役でも脇役でもないという点、これがまず素晴らしい。なので、ベースがヴァイオリンの伴奏をしているような作品は一つもありません。

 で、聴いているこちらとしては正にその点こそがちょっと気持ちいいというか。正直、曲自体としては、すべてが耳に入ってくる曲ともいえないのだが、しかし低音と高音の弦楽器2台による(現代曲で、しかも馴染みがないがゆえに)次の展開の予測が容易につかない緊密な音の連なりに虚心に耳を傾けること自体、すでにかなり充実したリスニングになってしまっている。

 そんな中でも、今のところ耳に入ってくる曲を挙げるとすれば、まず最初の曲のペンデレツキ(下のYoutubeで演奏している曲(抜粋だけど)がそれです)と、にゅうっとしたグリッサンド(というのか?)が不思議で面白い韓国のユン・イサン。それと、最近けっこう聴くことが多いエリッキ=スヴェン・トゥールが、白熱するという意味ではかなりカッコいい(ただ、やっていること自体は20世紀の東欧・北欧の室内楽によく出てくる悲壮な行進曲みたいな感じで、新しさみたいなものはあまり感じないんだけど)。

 まあ、音楽ってのは大別して、聴いていきなり感動する分かりやすいタイプの音楽と、最初はそうでもないけど、徐々にじわっと耳に入ってくる音楽とがあると思うのだが、僕にとってこの盤は明らかに後者のタイプ。正直、今もって何をやっているのか分からない曲(及び箇所)も多いのだが、しかしそれが聴くごとに少しずつ輪郭が見えてくるようで、結局もう10日間くらい(この盤ばかり聴いていたわけじゃないけど)聴いてしまった。

 現代音楽でこれまでこんなに聴いたのって、もしかして初めてかもしれない。

 Duos for violin and double bass | Elina Vähälä & Niek de Groot

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