おもいや

線香と数珠のお店

スミス女史とライラック 札幌の歴史

2019-05-17 19:00:00 | ◇ 景色

北海道札幌市では大通公園を中心にライラックまつりが開催しました。


⇒第61回さっぽろライラックまつり

大通りのライラック
背景にさっぽろテレビ塔がありますね。


⇒札幌市公園緑化協会

ライラックは1960年(昭和35年)に札幌を象徴する木として指定されました。

ライラックと札幌市の関わりは、現在の北星学園大学の前身1887年に設立された「女寄宿学校」の創設者サラ・クララ・スミス宣教師によるものです。

ニューヨーク州シェムン郡(Chemung County)エルミラで宣教師として活動していたサラ・クララ・スミス女史は日本での宣教活動を命じられ、1880年東京に着きます。
本来は、アメリカニューヨーク州エルミラで宣教師を目指していた彼女にとっては、思い決断だったに違いありません。
それでも、奮起し決心し日本に向かったことでしょう。

最初は東京に赴任しましたが、東京の気候が体に合わなかったようで、1886年に北海道に移り札幌で英語の教師として活動します。
ここが彼女の転機でしたね。

乾燥した北海道の気候が彼女には快適だったようです。

乾燥した北海道の気候が彼女には快適だったようです。
翌年、彼女は塾を開講し、やがて「女子寄宿学校」を設立します。(現北星学園大学
当初、生徒はわずか7人の小さな塾でしたが、1年目には40名を超えました。
最初の校舎は馬小屋を改造したものです。

⇒札幌の歴史を築いた先人達



⇒Chemung County Historical Society

サラ・クララ・スミス女史は、日本滞在50年間の間に数回アメリカに帰り、1889年にライックの苗を日本に持ち帰りました。
これが札幌のライラックの始まりのようです。

北海道植物園には、このライラックの苗木から育った日本最古のライラックがあります。


⇒北海道LIKERS

サラ・クララ・スミス宣教師は80歳でアメリカに戻り、1947年95歳で亡くなりました。
生きている半分を日本で過ごした彼女の人生は、どのようなものだったんでしょうか。
宗教と教育に対する情熱と日本との深い縁があったのでしょうね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿