goo blog サービス終了のお知らせ 

くもり のち あめ

うしろ向き、うしろ向き、たまに、まえ向き。

無題

2008-06-10 14:58:54 | 日記
通勤電車の乗り換えでいつも秋葉原駅を利用する。
先々週は事件が起こった場所の目の前のお店で友人と買い物をしていた。

もちろん私以外にもたくさんの人たちが秋葉原にいて、
私など何千、何万分のうちの一人だ。
他の人たちもそういうことになる。

昨夜現場を訪れた際には献花台が用意されており、
お経が上げられている最中だった。

本当に何の前触れもなく突然大切な人を失ってしまったご家族の気持ちと、
被害者の方々のことを考えるといたたまれなくなり、
お亡くなりになった7人のご冥福をお祈りして足早に現場を後にした。

駅に向かう途中の街路樹の根元にもたくさんの花束や飲み物が置かれていて、
さらにいたたまれなくなった。

「勤務態度はまじめ」「物静かでおとなしい」「なぜあの子が」「信じられない」
報道で目にするのはいつも同じような単語ばかりのような気がする。

「普段から粗暴」「良く暴れていた」「いつかやるとは思っていた」
といったようなニュースを見た記憶がない。
実際は起きているけれど報道されていないだけなのだろうか。

他人からは真面目だと思われている人達が凶行に走る。
なぜなんだろう。

誰でもいいから殺したくなるまでに何があったのだろう。

静岡から秋葉原まで自動車を運転している間もその気持ちが萎えず、
さらに現場について実際に実行に移すということは
いまの自分では到底理解できなくて、
誰でもいいから殺そうと思ったとしても、
本当にやってしまったら私の家族や大切な人たちが
悲惨な目にあうのは明白で、現場に到着するまでの間に様々な思いが巡って、
たとえ現場まで辿り着いても結局何もできない気がするのだ。

やはり孤独感と失うものは何もないという状況が大きな影響を与えているのだろうか。

犯人がそうだったかどうかは分からないが、
私がもし孤独で、誰からも必要とされなくて、生きてる意味も分からなくて、
でもその思いを吐き出す場所もなくて、でも他人はやけにのうのうと明るく
生きているように見えて、さらに自分は見下されているような感じがして、
そんなことがたくさん重なったらどうなってしまうかわからない。

普通に見える人が凶行に走っている現実を目にすると、
誰しもがそういう要素を少なからずとも持っていて、
それが膨らむ要因と爆発する引き金になるものがないだけ
なのではないだろうか。

そういう暗い芽が育まれやすい社会になってきているのかもしれない。

いずれにしても今回のような誰も救われることのない
悲しくてつらくて身が引き裂かれるような事件は
もう二度と起きて欲しくないが、どうすればよいのだろうか。
個人の性質なのか、教育なのか、現在の社会全体の問題なのか、
原因は一つじゃなくて複数なのだろう。

普通に生活しているだけでも、
いつ自分や家族が被害者になるかもわからないし、
逆に自分が加害者になってしまうかもわからない。

考えさせられることがたくさんある。

亡くなった方々のご冥福をお祈りします。