くもり のち あめ

うしろ向き、うしろ向き、たまに、まえ向き。

なくならない

2009-08-28 16:18:42 | 日記
最近アパートの駐輪場の自転車の止め方が目に余る。

私は仕事柄夜遅くに家に帰ってくるのだが、
その時間帯だと、もう他の住民の方は帰ってきていて、
駐輪場の自転車はいっぱいだ。

いっぱいといっても、整列すれば住民全員の自転車が
キチンと停められるだけのスペースはあるのにも関わらず、
停まっている自転車は、それが故なのか斜め置き。

朝その人が出るときには、私はまだ出勤していないので、
私の自転車の存在は知っているはずなのだ。
自分の隣にも自転車を止めている人がいるということを。

それにもかかわらず斜め置き。
さらに斜め置きしているのが1台だけではないのがまた悲しい。

想像力のかけらもない人なのだろうか。

あ、隣の人も後から帰ってくるから、
その人がスッと自転車を置けるようにしておこう、とかさ。

しかしその人にとっては、自分の自転車が置けさえすれば何でもいいのだろう。

私は毎晩、毎晩、斜め起きの自転車を整列させて、
自分の自転車を停めている。

昨日は疲れていたのもあり、いつもより腹が立ってきて、
その自転車を蹴り倒してやろうかと思ってしまった。

私が他人に求め過ぎているのだろうか。

私が当たり前だと思っていることは、
他人にとっては当たり前ではないかもしれないが、
しかしそれほど過大な要求もしていないと思う。

今回の件に関していえば、
自分の自転車くらいきちんと並べようよ。

たったそれだけだ。

小さな子供でも出来るようなことがなぜできないのだろう。

親の教育?
生まれ持った性格?

どれだけ考えても私には理解できないので、
考えたりイライラするだけ無駄なのだが、
今日も家に帰れば、駐輪場で否が応でもまた同じ思いをさせられるので、
考えたくなくても、考えさせられてしまう。

こんな些細なことでさえ同じ気持ち・考え方を共有できず、
イライラしたり、憎く思ってしまったり、
相手がまるで宇宙人のように感じてしまう。

上記のように、隣人へのちょっとした気配りのなさとか、
挨拶しても返事がなかったり、
ゴミ出しがきちんとできない人がいたりで、
なかなかうまくいかないものだと思い、
同じ国、同じ地域に住むたかだか10世帯のアパートでもこんな状態なのだから、
国や言葉や考え方が異なる、世界というレベルで視野を広げてみれば、
争いや戦争がなくなる日はそれこそ永遠に来ない気がした。

社会の中で一番最小の群れでもある、
家族でさえもうまくいかないことだってあるんだもんな。

なんだか寂しいな。

しかし、自転車の持ち主は誰だか分からないけれど、
酒でも飲みながら面と向かって話せばうまくおさまるような気もする。

おそらくその人は、わざと邪魔してやろうと画策しているわけでも何でもなくて、
例えば自分が同じ目にあったとしても、
他人の自転車を整理するのが全く苦じゃないか人か、
空いている微妙なスペースに自転車の頭だけ突っ込んでおけばいいじゃん、
くらいの感覚の人であり、
逆になぜ私がイライラしているのかすら不思議に思うのだろうな。

なんだかそう考えると楽になる。

わざと意地悪しているわけじゃないんだ。
悪人でもなければ宇宙人でもなくて、
ただ単にそういう人なんだ。

話すと以外に良い人かもしれない。

それにしてもやっぱりいつも最後に思うことは、
人間ってめんどくさい、
本当に。

たまご

2009-08-28 16:16:14 | 日記
自炊をしていて気がついたことがある。

それは、気持ちを込めて作らないと美味しくない、ということだ。

仕事から疲れて帰ってきて、
自炊をしたくないときもある。

あぁ、めんどくせーなー・・・はぁ~・・・

などと思いながら、いつもと同じ料理を作っても、
全然美味しくないのだ。

美味しくできますようにと祈りながら、
一生懸命に作ったりすると、
たとえ少しぐらい失敗してもなんだか美味しいのに。

疲労が原因で味覚がおかしくなっているのだろうか。

それとも同じく疲労が原因で、
同じ量の調味料を入れているつもりが、
間違って入れてしまっているのだろうか。

でも味見をしながら作っているから、
それはないとは思うのだが。

それにしてもオムライスのたまごは本当に難しい。
半熟でふわふわの、洋食屋さんのようなオムライスが作りたいのだ。

オムレツ状にしてチキンライスの上に乗せ、
オムレツにナイフで切れ目を入れると、
ふわっと広がるあれだ。

しかし3度挑戦してすべて失敗に終わっている。

1回目は卵ひとつで作ってみたら、
半熟ふわふわとはほど遠い、ノーマルの平べったい卵焼きができた。

2回目は卵を二つに増やしてみた。
途中までは良かったのだが、オムレツ状にする作業に手間取ってしまった。
しかし前回とは違うハッキリとした手ごたえがあった。

チキンライスの上に完成したオムレツを乗せ、
期待しながらナイフで切れ目を入れる。

まるでオムレツの時間だけが止まってしまったかのように微動だにしない。

ただ切れ目が入っただけのオムレツ。
それをみつめる自分。
うつろな時の流れ。

オムレツと見つめあっている私の姿を見て、
その下にいたチキンライスは何を思っただろうか。

3回目は卵を三つにした。
しかしフライパンの熱し方が弱かったため、
なかなか固まらず、コンロの火を中火にしたら、
今度は予想以上に卵に火が通るのが早くて、
オムレツ状にまとめるときには既に時遅し。

でっかいオムレツの完成だ。
カチカチの。

たまごの繊細さに愕然とした。

フライパンの状態、
加熱時間に至っては本当に1秒を争う。

早すぎればドロドロの液体。
遅すぎればただの卵焼き。

フライパンの温まり具合の入念なチェック、
一瞬のミスも許されないフライパンの手さばき、
そして秒単位の時間との勝負。

料理というより、卵との真剣勝負としか思えない。

3戦0勝3敗。

今日、リベンジだ。

感情の支配

2009-08-05 13:40:14 | 日記
常々思うのだが、私は感情に支配されている。

私だけではなく、大多数の人がそうなのかもしれない。

いい気分でいると、大体なにをやっても楽しい。
体調も良くなる気がするし、
生きているだけで幸せとすら思える。

気分が沈んでいると、楽しいはずのことが楽しくなくなり、
考えなくてもいいことを延々と考えて悩み、
なんで生きているんだろうと思ってしまう。

感情に支配されている、ということは、
逆に感情を支配できれば、つらいことも少なくなるのではないか。

いままでの人生を振り返ってみて、
気分が沈む原因として一番多いのが、
他人の言動だ。

そんな言い方しなくてもいいじゃないか、
というシチュエーションだったり、
公共の場所でマナーの悪い人に遭遇した時などだ。

腹が立ったり、悲しくなったり、虚しくなったりする。

だからこう考えるようにした。

自分の人生は自分が主人公であり、
その他の人はみんな端役(エキストラ)なのだ。

例えば会社の上司だとしても、
その人は私の人生にとっては端役であり、
端役の言動でいちいちイライラするのも馬鹿らしい。

自分のミスを認め反省し、お叱りも真摯に受け止めるが、
それ以外の言動にいちいち反応してイライラしたりへこんだりするのは、
時間の無駄だと思うようにした。

逆に他人の人生にとって自分は端役であり、
自分がどうこうしようが、相手にとっては端役なのだから、
自分の力不足やミスに対してあまり悲観的になり過ぎたり、
深く考え過ぎなくてもいいのではないかと思った。
(努力しなければならないところはちゃんとするが)

負の感情が湧き出してきそうな気配を感じたら、
もう楽しいことしか考えない。

だけど「楽しいと思えること」を自分の中に持っていないと
成り立たないので、それが途切れないようにしなければいけない。

楽しいことを探す方が意外と大変だったり・・・と思ったが、
嫌なことをするわけでもなく、嫌いな人に会うわけでもない。

自分が好きだと思えることをただひたすら探すということは、
頭で考える必要はまったくなくて、
お気楽に何も考えず、自分の感性に従ってただ動けばいいのだから、
これほど楽なものもないなと思った。

なんかいいな~とか、なんか好きだな~とか、
なんでかわからんが心地いいな~とか、落ち着くな~とか、
「なんかいい」程度のものでもいいんだ。

そんな「なんかいい」ものを、
心が元気なときにたくさん見つけておいて、
ポケットにそっとしまっておくだけでいい。

負の感情が湧き出してきたら、
そのポケットから楽しいことを取り出して、
それで頭の中をいっぱいにしてしまう。

明るい気持ちならきっと前向きに努力できる。

不況不況の世の中で、将来を悲観して悩んだりすることもあるけれど、
そうならないかもしれない未来のことを考え続けて
暗い気持ちでその日まで生きるのと、
それはそれとして、毎日明るい気持ちで生きるのとでは、
最後に大きな差が出ると思う。

「毎日考えて悩んで、結局最後までつらいことばかりだった」

「つらいこともたくさんあったけど、それでも楽しいこともあったよ」

死ぬ直前に自分の人生を振り返って、
後悔するのは絶対に前者だ。

お金がたくさんなくても楽しいことはある。
楽しいことを考えている時間が長いほうがきっと幸せだ。