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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

大海崎龍宮神社

2012年03月16日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:―
様  式:石祠
御祭神:不詳

大海崎集落の中央、山手に登れば十二所神社があり、車を脇に止めて中海側に曲がるとすぐ奥に漁港が見える。『朝酌郷土誌』によると、この大海崎漁港のことを「間の内」と呼ぶそうで防波堤の突先に数本の松の木が立ち、その間に小さな石祠と一対の狛犬がたっていた。

祭神などは記されていないが、毎年四月の例祭には赤い幟をたて、小麦藁を編んだ船に大漁丸と大書きした帆を立てて中海に流し大漁を祈願するそうである。

〈所在地〉
島根県 松江市 大海崎町

参拝日:平成24年 1月21日

十二所神社

2012年03月12日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:十二所権現(伊弉諾尊・伊弉冊尊・大日孁貴神・素戔嗚尊・五男三女神)
様  式:流造
御祭神:伊弉諾尊・伊弉冊尊・大日霊尊・素戔嗚尊・熊野久須日尊・瑞津姫尊・田心姫尊・市杵島姫尊
     天津姫尊・活津彦根尊・天忍穂耳尊・天穂日尊

  

県道260号線が近年整備されるにおよび、神社周辺の雰囲気が大きく変わったのではと思われる。もともとの道は河口に軒を連ねる集落の中を抜けていたが、新道は集落に入らず両脇の尾根をトンネルで抜き、また谷に築堤を築いて通り過ぎる形になった。二つのトンネルの間から山手を見ると、境内を容易に確認することが出来るのだが、いざ参拝するには其々のトンネル手前から旧道に入り、川沿いに隘路を上がらねばならない。境内は公園を兼ねて整備されており、正面の狛犬は台座を含めると高さが2メートルを越えて見ごたえがあ。。本殿は欅作りの建物に流造の屋根を持ち、両側および通殿軒下に見事な龍の意匠が施されていた。

  

由緒についてはいずれの史料も創建を不明とし、『朝酌郷土誌』は宝永年間の棟札をあげ、当時大海地区十八戸が氏子として崇祀していたとしている。決して大きな集落とはいえないものの、本殿の彫刻繊細なること、正面の狛犬の見事なることを考えれば古来より大切に祀られてきたことは明らかである。

〈境内社〉
 
本殿両側の他に数基の石祠が祀られているが、何れも祭神由緒は不詳。

〈所在地〉
島根県 松江市 大海崎町

参拝日:平成24年 1月21日

多氣神社

2012年03月11日 | 松江市(旧市域)

風土記:多氣社
延喜式:多氣神社
雲陽誌:竹宮明神(火酢芹命)・津守明神(経津主命)
様  式:春日造変態
御祭神:武甕槌命
合祀神:経津主命(津守神社)

  

県道260号線を走って大御崎、本庄いずれからも中間に位置する上宇部尾町に鎮座。県道260号線の整備によって、中海西岸の交通路は格段に改善されている。1947年撮影の航空写真に海辺の道はなく、各々の谷を登り峠を越える隘路がいくつか確認できるだけである。現在は、上宇部尾からは嵩山の東麓を抜け、朝酌にいたる新道も整備されている。多氣神社は、これらの新道が合流する交差点脇に鎮座。拝殿、本殿の他、新造された境内社が数棟がたっていた。木々の剪定が施され、稲藁の蛇を巻きつけた二基の荒神はひときは目を引いた。

 

多氣神社の由緒について、『神国島根』は創建年代は不詳としつつも同社を出雲風土記、延喜式に所載の社とし、村社竹宮神社と無格社津守神社の合祀の結果であるとす。もと多氣社は女岳山の麓にあって、天文年間に「多氣」を「竹」に置き換えて竹宮と称していたが、上宇部尾よりの参拝が難儀であることからも、海辺の津守神社の跡地に、遷座して二社を合わせ祀ったとのこと。これは明治四十一年のことで、これにあわせて社名を多気神社に復したとす。なお、嵩山山頂に鎮座する布自伎彌神社の境内に嵩神社があり、近年の『出雲風土記註論』は関連書類を元に、多氣神社の本来の社地は嵩山東麓に位置する嵩地区にあったのではないかと指摘している。

〈境内社〉
 
本殿の南側、西側に近年の遷宮の木造社あり。『神国島根』に依れば、同社の境内社を、天満宮に菅原道真を祭るとのみ記載。南の社は歳徳神と思われる。

〈所在地〉
島根県 松江市 上宇部尾町

参拝日:平成24年 1月21日

久良彌神社

2012年03月08日 | 松江市(旧市域)

風土記:久良彌社・同社波夜都武志別社・椋見社
延喜式:久良彌神社
雲陽誌:倉稲明神(都留支日子命・倉稲魂命)
様  式:春日造変態
御祭神:闇於加美神・速都牟自別神
合祀神:都留支日子神(椋見神社)・素戔嗚命(日御碕神社)・建御名方命(諏訪神社)

   

中海西岸を廻り松江市街へいたる県道260号線を本庄より1km程南下し、山の端が近くなったところで小道を西に入る。この小道は幅員が非常に狭く大型車での参拝は厳しく思われるが、しばらくして境内が見えてくる。拝殿、本殿は東面して建ち、それに対して斜に入る参道の両脇には白砂が敷き詰められていた。拝殿は塗炭屋根のあっさりとした造りも、女千木をかかげた本殿はしっかりとした造りで歴史を感じさせらる。周囲に人家を見ないにもかかわらず、本殿周りの樹木も整えられ、数多の荒神に幣が捧げられるなど、よく整備されていた。

 

『神国島根』に由緒をみると、風土記に神祇官に載る久良彌社あるいは延喜式内の久良彌神社とし、同社に波夜都武志別社もあって史料に従五位の下を授けらると記されている。両社が一つとなる年代は不詳。さらに南西1.5kmの位置にあった椋見神社もいつのころにか合祀、近世の官布に依って日御碕社・諏訪神社の諸神も合祀された。『雲陽誌』新庄の頁をみると、倉稲明神に都留支日子命・倉稲魂命を祀るとあり、古くは二十町程山奥の峯倉稲越という所にあったが、冬季の祭礼に雪深く難儀につき、社地を遷したと記されている。

〈境内社〉

本殿北側に木造の小祠一宇。『神国島根』に依れば、素我神社に素戔嗚命を祀る。

〈所在地〉
島根県 松江市 新庄町

参拝日:平成24年 1月21日

川上神社

2012年03月06日 | 松江市(旧市域)

風土記:川上社
延喜式:河上神社
雲陽誌:川上明神(稲田姫)
様  式:大社造変態
御祭神:大己貴命・高龗命・稲田姫命

  

中海北西岸の本庄地区より本庄川の上流に向かい、山の端近くの川辺集落の中に川上神社が鎮座している。本庄川の両岸は広く田畑地を成しているものの、神社の辺りで50m程は登っており、途上振り返ると中海の水面を遥かに見下ろすことが出来た。境内は本庄川の北岸に位置し、赤瓦葺の拝殿、春日造りの本殿の他、多くの境内社を見ることができる。本殿が束周りを木板で囲み、御神体の磐を不浄よりまもっていた。

 

『神国島根』に拠ると、大己貴命が千酌地域の不逞の輩を鎮撫せんとした折、この辺りの川石にて焚火なして休息をおとりになられた。後の世、住民が洪水の濁流中に輝光をみつけ調べると、石の上に蒔材の皚々するのを見つけ、以来この霊石を神体として崇め奉り、社建てて祀ったとのこと。また高龗命を勧請して水火の両災害を免れん事を祈り、稲田姫を配祀して、民衆の繁栄を祈ったとある。『雲陽誌』には、本庄の川上明神に稲田姫とのみ記され、同頁に大己貴命を祀る社が見られない。

〈境内社〉
     
本殿の向背に、木造の少祠五宇、神輿庫一宇が認められる。『神国島根』は境内社として、水上登神社の大山祇命のみを記す。『雲陽誌』本庄頁の社を列挙すれば、面白明神(素戔嗚尊)、神八幡(佐々木某の御霊)、天神社(不詳)、山王権現(大物主命)、水上登権現(伊弉冊尊)、また川邊を指して津鮭明神を記す。

〈所在地〉
島根県 松江市 上本庄町

参拝日:平成24年 1月21日