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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

松尾神社(床几山)

2012年04月01日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:―
様  式:正殿造
御祭神:大山咋命・木花佐久夜比賣命

    

松江開府の折、堀尾吉晴公が城地の選定をなしたと伝わる床几山の一角に鎮座。松江城の真南に位置し、標高はさほど高くはないものの、県道より境内に上がる小道の傾斜はきつく、行き違いに難儀した。境内は広くはありませんが、遷宮を重ねて拝殿、本殿ほかも綺麗に整えられている。北側の坂下には、旧冨田城下より移された尼子氏菩提寺洞光寺がある。

社頭に設けられた案内碑によれば、寛政十三年に京都の松尾大社から勧請されたもので、当地が松尾町と呼ばれる由縁となったとのこと。境内社は見えませんが、南側車道脇に歳徳神が祀られている。

〈所在地〉
島根県 松江市 松尾町

参拝日:平成24年 2月12日

川邊の小祠(持田小倉)

2012年03月30日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:―
様  式:切妻造(平入り)
御祭神:不詳

松江市街から島根町へいたる県道21号を川津から北上し、小倉川の橋梁手前より東に小道を入ったところに鎮座。茂みの内に石灯篭と木造の小祠がひっそりと建っている。由緒などは詳らかではなく、持田神社へと合祀された小倉地区の氏神か、あるいわ小倉川へそそぐ小川の水神を土地の方が祀るったものではなかろうか。

〈所在地〉
島根県 松江市 持田町 小倉

参拝日:平成24年 2月12日

稲荷神社(竹矢)

2012年03月28日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:稲荷(倉稲魂命)
様  式:大鳥造変態(神国島根)
御祭神:宇迦之御魂神

   

意宇川の河口付近、西岸の茂みの中に静かに佇む社。高良神社より八幡川を越え、安国寺を目印に訪れたが、道中路地は狭く、行き違いが困難な場所が多々あった。参拝には旧の国道からを意宇川に沿って下るほうが容易に到達できるであろう。

南西を向く境内は近年の遷宮を経て美しくまとまっており、平浜八幡宮とともに地域の産土神と崇祀されてきた伝統が伺われる。鳥居を潜ると、すぐ右手に社日、左手には歳徳神が祀られていた。拝殿の左手にまわると諸々の神木に幣が供えられ、本殿後背には木製の境内社が二宇あるとともに、さらにその奥に稲藁の蛇をまく荒神が二基祀られておりました。

 

『神国島根』に由緒をたずねると、元は出雲国分寺境内の鎮守社で、後に京都伏見稲荷神社の分霊を祀るとある。永禄天正の頃、兵火を蒙って衰頽したものを村民が現在の社地に奉遷し今日にいたる。『雲陽誌』竹矢の頁には、稲荷は倉稲魂命を祀り、境内に松に荒神を祀り神樹とすと記されていた。『竹矢地誌』によれば、この松は社の象徴で海中よりの目印であったが、昭和十八年頃に軍資として供出されたとのこと。半世紀を経て、再び鎮守の森が形成されることを有り難く感じられる。

〈境内社〉
   
『神国島根』『竹矢地誌』ともに、境内社として八坂神社、若宮神社を記す。八坂神社は建速須佐之男命を祀り、若宮神社は、保食神、稚産霊神の二柱を祀る。

〈所在地〉
島根県 松江市 竹矢町

参拝日:平成24年 1月28日

高良神社

2012年03月27日 | 松江市(旧市域)

風土記:加和羅社
延喜式:―
雲陽誌:加波羅明神(―)
様  式:切妻造り(妻入り)
御祭神:玉垂命

    

旧松江市の東境には、平浜八幡宮などが鎮座する丘陵が南西から北東にむかって延び、高良神社はその北東端の杜の中に鎮座している。鉄道を越えて北西に行けばすぐに由貴神社を見つけることもできる位置。道沿いの鳥居を潜るとすぐ左に歳徳神の御輿庫があり、さらに石段を登ると掃き清められた削平地に至る。拝殿と本殿といった主たる建物は右手にまとまって建つ一方、左手の石畳を進むと唐突に荒神社の藁飾り見え驚かされる。また荒神社の後ろの階段を登ると、境内のもっとも高みに社日碑が祀らていた。

この社は現在平浜八幡宮の境外社の扱いとなっているものの、もとは風土記記載の加和羅社とされる。『雲陽誌』八幡の頁には加波羅明神とあり、里人が高良明神の跡と言い伝えていたと記されている。

〈境内社〉
   
境内には上述の荒神社、社日が祀られる。本殿左側石段上に石祠ならびに石仏が祀られるが詳細は不明。

〈所在地〉
島根県 松江市 八幡町

参拝日:平成24年 1月28日

由貴神社

2012年03月24日 | 松江市(旧市域)

風土記:由貴社
延喜式:由貴神社
雲陽誌:王子権現
様  式:大鳥造変態(神国島根)
御祭神:速秋津日子神

   

大橋川の河口、中海が間近にせまる南岸に鎮座。松江市街から国道9号線を東進し、手間天神社のある塩楯島を過ぎた先の交差点を東に曲がり、鉄道の線路を跨ぐとすぐに境内を見つけることができる。車道から一段上がった場所に拝殿と銅板葺の本殿があり、周囲に数奇の小祠、社日碑を見つけた。本殿屋根の青に目を惹かれるが、ここ数年の豪雪のためか、千木と鰹木がはずされた寂しい姿となっていた。

 

『竹矢郷土誌』などに由緒を辿ると、同社は出雲風土記に記載の由貴社、さらに延喜式内社に記載された格式の高い社とす。もとは線路南方の丘陵が河畔際まで迫り出して集落に対して高地にあり、本殿のみがぽつんと浮いて見えるほどであったとのこと。線路や車道の開通にともない、法面崩壊の危険性から社殿が切り下げられ現在の境内が形成されたようである。御祭神の速秋津日子命は速秋津比売命とともに、湊港を開いて水産漁業を繁栄を得せしめ給う神にて、水戸ノ神とも呼ばれている。また禊祓衛生のの大事を司ることから祓戸ノ神とも讃えられる。

〈境内社〉
   
本殿左側(西)に木造小社一宇、社日碑、荒神。右側(東)に狐像を多数抱く石祠および木造の小祠がある。地誌ならびに『神国島根』に依れば、同社の境内社は気先神社(奥津彦命・奥津姫命)、金刀比羅神社(大物主命)、和田津見神社(少童命・市杵島比売命)の三社となる。

〈所在地〉
島根県 松江市 馬潟町

参拝日:平成24年 1月28日