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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

賣布神社

2014年06月03日 | 松江市(旧市域)

風土記:賣布社
延喜式:賣布神社
雲陽誌:白潟明神(速秋津姫命)
様  式:切妻造妻入向拝付
御祭神:速秋津比賣命
合祀神:五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命

   

松江新大橋北詰、繁華街の中に鎮座して北側はすぐに大橋川、南側は多数の寺院が並ぶ。県道より路地を西に入ればすぐに社頭となるが、参拝者の駐車域は少ない。隋神門より入れば境内は南北に長く、正面に銅葺唐破風向拝付拝殿があり、中央上部には小林如泥の龍刻、左右には荒川亀斎による阿吽の龍刻が施される。両名とも松江藩の稀代の名工で前者は松江藩菩提寺月照寺などにも多くの意匠を残している。玉垣内の本殿もまた、反りの見事な大屋根を持ち、後輩には拝殿と同様に龍の意匠が施されていた。また、本殿を中心として各方に境内社が祀られており、とくに南側の金毘羅社と舩霊社は玉垣を施され、それぞれ立派な社殿が設けられている。この他数社の社も新旧社殿各々趣深い。

   

同社縁起を由緒書きによれば、出雲風土記に賣布社、延喜式では賣布神社と記される古社。社名の「賣布(めふ)」は「海藻、草木の豊かに生えることを意味する。そもそも、摂社の和田津見社に祀られる櫛八玉神が速秋津比賣命を生命の祖神として、また水戸ノ神、祓戸ノ神としてお祀りになられたのに始まり、後に五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命を樹種ノ神として合わせ祀ることにもあらわれている。

往古は宍道湖(風土記の意宇の入海)の湖岸にあって、湖畔の変形に伴って遷座を繰り返したという。奈良時代には現社地より南西1kmほどの袖師町岩崎鼻に鎮座したと記されるが、宍道湖南岸も大きく姿を変えており、戦後間もなくの湖岸は現在の鉄道線路際にすぎない。潟地の拡大により今の白潟地区が形成されたころ現社地に遷座、雲陽誌に白潟明神と記される。以来、橋姫大明神、賣布神社と呼称改めつつ、水郷松江の産生神として奉賛され続け今日に至る。

〈境内社〉
 
境内に摂末社多数を見る。『神国島根』に社名と祭神をあたると、本殿右側(西)の摂社 和田津見社に櫛八玉神、豊玉彦神、豊玉姫神の三神を祀る。同じく右側の末社、厳島社・道祖神に猿田彦命、宇賀御魂命、彦狭知命、火産霊命、厳島姫命、手置帆負命、神須佐之男命、奥津彦命、奥津姫命の九神を祀る。

 
本殿後背(南)の金刀比羅神社に大穴牟遅命、少彦名命を祀り、舩霊神社に底筒男命、中筒男命、表筒男命、猿田彦命を祀る。

  
本殿左側(東)の榎樹を白潟地主総荒神社として、速秋津比古命、素戔嗚命を祀る。境内南東の恵比須社に大国主命、事代主命を祀る。この他、荒神社南に常光神社を見るが祭神不詳。

〈所在地〉
島根県 松江市 和多見町

参拝日:平成24年 9月1日

売豆紀神社

2014年06月02日 | 松江市(旧市域)

風土記:賣豆貴社
延喜式: 賣豆紀神社
雲陽誌:賣豆紀社(下照姫命)
様  式:大社造変態
御祭神:下照比賣命
合祀神:天照大神・豊受比賣命・倭媛命(伊勢宮)

   

松江市橋南市街地の中央、雑賀町の住宅街の中に鎮座する。松江駅南口より大通りを南進すると、国道9号の売豆紀交差点へでる。そこから隘路を南進500mほどで境内の入口にたどり着く。市内著名の社ということから、社頭より整備されているが駐車場は月極めとなっており些か躊躇した。石段をのぼり隋神門をくぐると正面には唐破風向拝付の拝殿がどんと目に飛び込んでくる。大社造の本殿もまた玉垣のうちに凛として鎮座す。

この他、拝殿左手には親子犬を祀った石像が見えるがこれを「子宝いぬ」といい、自らの干支の前に立って撫でると下照比売命より安産・無事の成長・子授けのご神徳を賜れるとのこと。また右手には、四頭の唐獅子が担う灯篭があり、こちらは病気平癒・厄除けの霊験あらたかと伝えられる。

    

同社の縁起について社頭案内に拠れば、延喜式神名帳に載せられた式内社にして、出雲風土記に所載。松江城下五社の一社で、大正十三年社格を県社に列せられ、松江市松南地区の総産生神となる。合祀する伊勢宮は藩祖松平直政公が伊勢神宮より御分霊を奉賛。明治三十二年、伊勢宮町より同社内に合殿。

主祭神下照比賣命は大国主神の第三の姫神いして、父神の国土経営を輔弼し功績も大きい。また和歌の祖神として記紀、古今和歌集序文の御名を記される。なお上述御利益についても江戸期より信奉されて今日におよんでいる。

〈境内社〉
   
本殿南側に玉垣を設け小社が祀られている。添書きに拠れば二十四社合殿とのこと。『神国島根』島根には境内社として八幡宮に誉田別命とのみ記される。また本殿後背に社日を祀る。

〈所在地〉
島根県 松江市 雑賀町

参拝日:平成24年 8月25日

開運稲荷神社

2014年05月31日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:―
様  式:小祠
御祭神:宇迦之御魂神

  

同じ西津田にある大山代神社から北に100mほどのところにあり、禅福寺の境内に隣接して建つ。参道階段は禅福寺とともに整備されており、主の欄干に依って上りつめると、稲荷らしい朱の鳥居や狛狐が迎える。拝殿は非常に立派なものであるが、本殿はこじんまりとしており契鰹木の類はない。本殿後背には稲荷社特有のものが見られ素焼きの狐像も多数供えられていた。この他に稲荷社の扁額を掲げた境内社が見られる。

   

同社について由緒など資料なく不詳。『雲陽誌』西津田の頁にも該当の社寺がない。郷土誌の禅福寺について再度あたることとす。

〈境内社〉

本殿東に朱鳥居一基に木造小社一宇ある。稲荷社の扁額を掲げるが詳細は不明。

〈所在地〉
島根県 松江市 西津田町

参拝日:平成24年 8月25日

大山代神社[大山神社]

2014年05月30日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:大山代神社(大山祇命)・権現宮(大山大智明神)
様  式:大社造変態
御祭神:山代日子命・大山祇命

  

桧山トンネル北口より松江自動車学校を目印に東進、あるいは9号線吉野家前の交差点を南入して境内までいたる。西津田の住宅地中にあり、小高い丘の上を削平して境内が広がる。階段上正面に切妻流屋根の向拝付拝殿、その奥に大社造りの本殿が立つ。本殿を囲むように、社日はじめ幾つかの石碑があり、新旧石造りの社も見える。この他には、近年立て直したと見える神輿庫が二宇並び建っていた。

  

津田古志原郷土誌に拠れば、大山代神社に祭られる社の一つは古くよりこの地域にあったと思われる大山代神社であり、また一つは江戸時代松平直政により大山大神山神社より勧請された大山神社である。『雲陽誌』には西津田の頁に大山代神社(大山祇命)・権現宮(大山大智明神)として個々に記されているように、もともとは別の神社として祀られていた。明治の政令によって其々鷹日神社に合祀となり、その際大山代神社の旧社殿は八雲町日吉の剣神社に移築されたとのことである。昭和二十八年同社は一足先に現社地に小社殿を復興して御神体を奉遷した。大山神社もまた昭和三十六年に大山代神社境内に社殿を建立、両社殿並立の時期があったようであるが、大山代社の社殿荒廃が進み、新社殿建立を期に両社合殿の運びとなった。現在本殿脇の石碑には大山代社の旧扁額ならびに大山神社と刻まれたものが見える。

〈境内社〉
    
本殿南に社日と旧大山代社の石碑。後背に旧大山神社の石碑がある。他新旧石祠については不詳。

〈所在地〉
島根県 松江市 西津田町

参拝日:平成24年 8月25日