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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

氷川神社

2012年03月04日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:氷川明神(素戔嗚尊)
様  式:春日造変態
御祭神:素戔嗚命

   

中海の北西の港町として賑わってきた本庄地区より、真北の枕木山へと延びる谷沿いに邑生町という地区がある。近年開通した国道431号線のバイパスを越え、枝葉の谷に入ると、芦畑の奥に境内を見つけることができる。内海からさほど離れていないにもかかわらず、比高は大きく底冷えした。市道より、土手をめぐって境内につくと狛犬一対に迎えられ、その奥に平成十六年に遷宮の新しい拝殿と本殿を見ることがでた。本殿後背には立派な龍の意匠も施されており、今日も厚く敬われていることがわかる。

『神国島根』に依れば、創立年代は不詳とされるも、往古よりこの辺りに社が築かれていたとされ、正徳年間までは石川大明神と呼ばれて近郷の崇敬厚く、その後享保十年に氷川神社に改称したとのこと。

〈境内社〉

本殿左に一宇。『神国島根』に依れば、八幡社に誉田別命祀る。

〈所在地〉
島根県 松江市 邑生町

参拝日:平成24年 1月21日

虫野神社

2012年02月28日 | 松江市(旧市域)

風土記:虫野社
延喜式:―
雲陽誌:蟲野明神(大己貴命)
様  式:大社造変態
御祭神:大己貴命
合祀神:天満彦命・速玉男尊・事解男尊・別天神四柱・他十二柱

  

松江市福原町の谷道を奥(北)まで上りつめたところに鎮座している。途上は隘路で民家も少なく、数日前の雪がところどころに残っている状況。長い参道の脇には大きな木が茂っており、一見山間の寺院のようにも感じらた。境内は二段にわかれており、下の壇には右手(東)に手水石があるのみで、左手(西)にはおそらく楽殿が建っていたのではと思われる礎石が露出していた。

上壇へあがると両脇に明治三十六年建立の石塔があり、その奥に拝殿と大社造の本殿が鎮座している。この他、幾つかの磐神が祀られているものと思われ、東側の磐の上には古い猿の坐像が設えられていた。本殿は南面するものの、日当たりはさほど良くない様子で、各所が苔むし本殿の高束や幣殿の木塀には、雪跡がしっかりと残っていた。

 

同社の由緒を『雲陽誌に拠れば、「古事記に素戔嗚尊が大己貴命を八田間大室に呼入れて頭の虱(シラミ)を取らしむに縁して蟲大明神なり、これ風土記の虫野社」と記す。一方、『神国島根』には大己貴尊が当地に久しく留まって、田畑を害する悪忠を除き給う御功績、御神徳を尊び、これを奉斎したことが起源と見える。

〈境内社〉

本殿の右向背の高台に木造の小祠が一宇あり、『神国島根』によれば若宮八幡宮に誉田別尊を祀る。

〈所在地〉
島根県 松江市 福原町

参拝日:平成24年 1月21日

比加夜神社

2012年02月25日 | 松江市(旧市域)

風土記:比加夜社
延喜式:―
雲陽誌:檜萱明神(葺不合尊)
様  式:大社造変態
御祭神:葺不合尊・豊玉比賣尊・玉依比賣尊・
配祀神:廣国押建金日命・天命開別命・天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神

   

中海北岸を境港へ至る国道431号と並行して、500mほど北側に大型農道が走っている。持田地区・本庄地区の各社は宍道湖北岸と同じく、この農道より山手に鎮座していた。比加夜神社の鳥居は農道より容易に見つけることが出来るが、社地へ正面からは入れず、坂本中地区の公民館前から小道を回りこんで到達する。

境内正面には石造りの新しい鳥居が建つものの、参道脇の狛犬は風雨にて痛々しい姿になっていた。石段を登ると、初めに隋神門の壇があり、その左手には古い楽殿のような建物がみえる。さらに石段を上り詰めるとすぐさま拝殿の軒が見え、その奥には大社造の本殿が鎮座していた。

  

社頭に由緒書きなどはないものの、一般に風土記記載の比加夜社に比定され、古くより土地の民、産婦守護、安産の守り神として尊崇された。また『雲陽誌』坂本の頁には檜萱明神と見え、御祭神の葺不合尊は家屋や屋根葺きの神として崇められてきたようである。『旧持田村誌』によれば、もとは坂本村内字片森というところにあったが、寛文年間に現在の地に遷されたとのこと。『神国島根』には同社の特殊信仰として、八岐大蛇を悪疫退散の守護神として祀るとも記される。

〈境内社〉
 
本殿左(西)に秋葉神社、右(東)に八幡宮がある。秋葉社には火之迦具土神、八幡宮には誉田別命および武内宿禰命を祀る。

〈所在地〉
島根県 松江市 坂本町

参拝日:平成24年 1月21日

生馬神社(西)

2012年02月19日 | 松江市(旧市域)

風土記:生馬社(神祇官不記載社)
延喜式:―
雲陽誌:大岩明神(道反大命)
様  式:大社造変態
御祭神:道返大神
合祀神:市杵島姫命(市杵島神社)・建御名方命(諏訪神社)

   

東の生馬神社より西北西に位置する同じ社名の社。県道175線の西の谷入口より北に入り、500mほど奥の森に鎮座す。入口から各所に岩が露出し、鳥居を潜ると右手に本殿、左手には大岩が目に飛び込んでくる。拝殿と本殿はこの大岩を正面に見る形で鎮座しており、御祭神である道返大神が、この岩として祀られていることが想像できる。

 

由緒は定かではなく、風土記嶋根郡に生馬神社は二社あって、一社は神祇官管轄社、他方はその外の社です。今日、神祇官記載社を東の生馬神社とし、こちらの生馬神社は管轄外の社に比定されている。一説には互いに八尋鋒長依日子命を祀っていたものの、境内の大岩に縁付けて道返大神を祭神とあらためたとも言われるが、罹火等により社伝を失い、今日詳らかではないとのこと。爾来大きな変化はなく、明治期神社統廃合により西生馬村内の諏訪神社、市杵島神社し、今日に至る。

合祀の二社について『生馬村誌』に次のような記載される。諏訪神社は西生馬町山路に鎮座し古くは王子権現と称す。山中鹿介が勝間城(鹿島町名分)攻城の際に祈拝して勝利し、以来崇敬深かったが、明治三十九年の官布に従い、同四十四年西の生馬神社に合祀。市杵島神社も同じく西生馬町山路に天正以前より鎮座し社域を弁才天の森と伝わるも、すでに天正年間には大岩大明神(生馬神社)に合祀。生馬神社の罹火によって、旧地に社殿を再建するも慶応年間の水害で破壊、その後再建を果たすも、諏訪神社と同じく明治期の官布に従って合祀に至る。

〈境内社〉

参道の左手に石祠一宇あるが、祭神等詳らかにあらず。
〈所在地〉
島根県 松江市 西生馬町

参拝日:平成24年 1月21日

生馬神社(東)

2012年02月18日 | 松江市(旧市域)

風土記:生馬社
延喜式:生馬神社
雲陽誌:大森(宮)明神(八尋鋒長依日子命)
様  式:大社造変態
御祭神:八尋鋒長依日子命
配祀神:高皇産霊神・神皇産霊神
合祀神:大己貴命(日吉神社)・誉田別命(八幡宮)・児屋根命(春日明神)・建御名方命(周防明神)
     天照大神・國挟槌命(左記二柱の社号は近世に既に不詳)

   

松江旧市街より鹿島に至る県道37号を北上、東生馬の交差点を右折して、小路を北東1Kmほど進むと前方に鳥居がみえてる。途中谷地の両側に家々が並ぶも、神社はもっとも奥手にあって、周囲には僅かばかりしかない。境内は南東を向いて山腹に拡がり、鳥居二基を潜って石段を登ると隋神門があり、その奥に入母屋造りの拝殿、大社造の本殿が座す。本殿の後背には、神木に巻きつけられた荒神の藁蛇があり、幾重にも巻きつけられた稲藁に何本もの幣が立てられ、鎌首を持ち上げた姿は、出雲神楽の大蛇の如く思われた。

  

社頭由緒に拠れば、御祭神の八尋鋒長依日子命は神皇産霊神の御子神であり、この地の生馬となずける由縁となった神である。風土記嶋根郡の記述によれば、「生馬郷、・・・神魂の命の御子八尋鋒長依日子の命、詔り給はく、吾が御心、平明(ツト)めて、憤(イカマ)しからずと詔り給いき。故、生馬という」であり、この地の由来に身近き社であることから、当社を風土記神祇官記載社の生馬社、また式内の生馬神社と比定する。

『旧生馬村誌』に依れば、創建は不明といえども官察を受ける由緒正しき古社であり、上記の如く拓殖の祖神として斎奉し、生馬郷の総氏神として、別名「大宮明神」として仰いだ時代があった記される。旧社地は、現在より300m程北方、戦国時代の尼子十旗の一つである白鹿城大手口と相対する位置にあり、城主松田氏の崇敬もあつかったのとこと。しかし、毛利氏の出雲侵攻と白鹿城攻略による戦火罹り、社殿・旧記は悉く失われたとされる。

〈境内社〉
 
隋神門の左手(南西)に石祠二基があるが、何れも不詳。

〈所在地〉
島根県 松江市 東生馬町

参拝日:平成24年 1月21日