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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

恵曇神社(畑垣)

2014年11月20日 | 松江市(旧鹿島町)

風土記:恵杼毛社
延喜式:惠曇神社
雲陽誌:惠曇神社(磐坂日子命)・座王権現(素盞嗚尊)
様  式:大社造変態
御祭神:磐坂日子命

   

松江市中心より県道37号を鹿島方面へとすすむ。旧鹿島町役場(現市役所鹿島支所)の北側の森の中に鎮座する。庁舎と隣接する文化ホールとの間に参道と鳥居が容易く見つかる。参道を登ると狛犬一対と隋神門が迎え、これを潜った正面に入母屋屋根の拝殿が建つ。大社造りの本殿は石垣の一段上にみえ、左手前に舞殿、右出前には歳徳神が祀られていた。さらに、視線を上にあげると、巨石が参拝者を見守っている。

  

創建年代は不詳も、出雲国風土記に記載の「恵杼毛社」されている。恵曇の地名は鹿島町においても主要なもので、出雲風土記に「惠曇郷・・・須佐能乎命の御子、磐坂日子命 國巡行し坐しし時、此の処に至り坐して詔りたまいしく、此の処は國稚く美好。國形、畫鞆の如くなるかも。吾が宮 是處に造事らせむ。と詔りたまいき。故、惠伴と云う。」とある。同社の祭神はまさしく磐坂日子命であり、本殿頭上の座生石は、命が國巡行の際に坐したところ、または命の化身として崇敬されている。

  

恵曇の地名に因む社は風土記に三社、式内に一社あり、それぞれ何れにあてるかは地区住民にとって重要な問題であった。恵杼毛社は恵曇郷の本郷である畑垣の同社であり、恵曇町江角の恵曇神社は「恵曇海辺社・同じ海辺社」とする向きが強い。しかしながら、式内社の位置づけは複雑であり、元禄年間以来、江角浦神職から式内恵曇神社は江角であるとして永年の論争となる。そして、明治の当初旧松江縣の裁可により恵曇海辺社が延喜式所載の恵曇神社とされる。このことは、同社の崇敬者にとって甚だ遺憾な事象であり、『神国島根』の記述に拠れば「歴史を地理に全く 不明の者の所為」との声があったようだ。

〈所在地〉
島根県 松江市 鹿島町 佐陀本郷

参拝日:平成26年 4月20日

大井神社

2012年02月21日 | 松江市(旧鹿島町)

風土記:小井社(嶋根郡)・大井社(秋鹿郡)
延喜式:大井神社
雲陽誌:大井宮神社(大井神)
様  式:大社造変態
御祭神:大井神・水罔象女神
合祀神:小井神

  

佐太神社の東方1kmの森の中に鎮座する社。西側の社地入口には鳥居があり、そこから参道を歩いて100m程進むと、右手に新しい神楽殿、段上に拝殿と本殿が見える。参道途上には旧社地を示す、式内大井神社跡の石碑があった。

名分の地名は嶋根郡に含まれて、東方より流来た講武川が南進する辺りで、まさに嶋根郡と秋鹿郡を分ける地域。風土記の嶋根郡に記載される大井社は、現在松江市大井町の大井神社に比定されており、旧鹿島町名分の同社は、明治初年に近隣八社を摂末社とした小井(ヲイ)神社であるとも伝えられる。しかしながら、雲陽誌の嶋根郡名分の頁には大井宮神社が大井神を祀るとも記されており、風土記社との関連は定説とはしがたい。

  

『旧講武村誌』に記される村内合祀の歴史を辿ると、官布による合祀の気勢にも関わらず、同社の氏子中は式内社の合祀に強く反対したとのこと。一時、多久神社の飛び地の境内社となる妥協案にて処置されたものの、大正六年についに合祀に至った。参道に残る石碑はこのころに、築かれたものであろう。その後、昭和二十六年多久神社遷宮にあたり七日市地区より同社再建の要請がおこり、現在の大井神社が再建される運びとなった。

〈所在地〉
島根県 松江市 鹿島町 名分

参拝日:平成24年 1月21日

浜邊の小祠(古浦)

2012年01月25日 | 松江市(旧鹿島町)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:恵美酒宮(蛭兒尊)
様  式:小祠
御祭神:蛭子命

  

旧鹿島町も幾つかの小村を合わせてその態を成していましたが、その中心は佐陀川河口浜堤の上にあったと言えるでしょう。佐陀川北を江角(恵曇)、南を古浦地区といい、古浦の砂浜は夏に海水浴場として賑わいをみせております。冬の波濤は多くの異国の塵を浜に打ち上げ、嘆かわしい様相を呈しておりました。海開き前にはこれらを懸命に取り除いておられることでしょう。

砂浜に沿った車道を南西に進むと、宅地の終わりに合わせて舗装も途切れますが、未舗装の轍が100mほど続いており、その左手(南東)に朽ちかけた鳥居と、小さな祠が祀られております。扁額などなく、縁起も明らかではありませんが、雲陽誌古浦の頁には恵美酒宮が記されており、現在古浦天満宮の境内にある西宮神社の旧地ではないかと思われます。

〈所在地〉
島根県 松江市 鹿島町 古浦

参拝日:平成23年12月29日

恵曇海邊社

2012年01月19日 | 松江市(旧鹿島町)

風土記:恵曇海邊社・同海邊社
延喜式:―
雲陽誌:海邊社(市杵島姫命・倉稲魂命)・恵美酒宮(蛭兒尊)
様  式:小祠
御祭神:市杵島姫命・倉稲魂命

  

県道37号線を恵曇漁港まで行き、漁協の流通センター側に曲がった山の手に鳥居と小さな祠が建っております。祠には扁額もかけられ、風土記に記載される恵曇海辺社跡地の碑も設けられております。

新編の鹿島町誌に依れば、明治初年の取調帳に「小祠で蛭子神を祭る」とされ、明治末期においても祭神は変わらず、地元漁民からは恵比須ノ宮と呼ばれていたそうです。たびたび火災にあって社殿を失い、明治四十年には恵曇神社に配祀され、現行の明細帳には昭和二十三年廃社と記されとのこと。風土記には同海邊社と記されるものもあり、同じく新編の鹿島町誌には旧弁天島に小祠があって厳島の小祠と呼ばれていたとのこと。こちらも明治四十年には恵曇神社に配祀、昭和二十三年廃社とされております。

現在の社地については、どちらの海邊社があったのかは明らかではありません。境内前面はおそらく埋立地であり昭和初期は山手まで磯が及んでいたものと思われます。雲陽誌は現在の恵曇神社を恵曇海邊社と記載しており、その他に単なる海邊社、恵比須宮が併記されております。

〈所在地〉
島根県 松江市 鹿島町 恵曇

参拝日:平成23年12月29日

田中神社

2012年01月08日 | 松江市(旧鹿島町)

風土記:田仲社
延喜式:―
雲陽誌:田中社(東社:磐長姫命・西社:木花開耶姫命)
様  式:小祠(大社造擬)
御祭神:東社:磐長姫命・西社:木花開耶姫命

佐太橋を渡り佐太神社の大鳥居手前を北に曲がると、すぐ右手に二社が背を向けて立つ社地が見る。この二社を合わせて田中神社と呼ばれている。佐太神社の飛び地の境内社とされるが、風土記所載の田仲社に比定される。祀られるのは大山祇神の姫二神。

東社(東面)には磐長姫命が祀られており、その後利益はとくに「縁切」ほか延命長寿とある。天孫瓊々杵尊に見初められた妹神とともに、その下に遣わされながら送り返される扱いを受けた女神。縁切はその神話に由来する利益といえる。また父神はその仕打ちに対して、磐長姫命の成す子は寿命長くあれたものをと怒り嘆いたとも言われ、延命長寿の利益はこのあたりに由来するものであろう。

 西社(西面)には木花開耶姫命が祀られており、その後利益はとくに「縁結」ほか安産とある。その美しさゆえに天孫から求愛され、父神に姉神磐長姫命とともに送られ、一人御許に残された女神。一夜の契りによって御子をなし、不義を疑った瓊々杵尊に対して、火に包まれた産屋にて御産を成してその義を明かし、自らの命を失ってしまう。天孫との縁をなし、かつ無事御子神を産み落とした女神の神話より今日の利益が伝えられる。なお雲陽誌の田中社の段には、両姫神を祀るなりとあるが、この社は「疱瘡」の守護神と記される。

出雲国の神社といえば出雲大社、八重垣神社など良縁につながる社が多くありますが、まずはその身についた悪縁を取り払うことが大事。田中神社で悪縁切り、一畑電車に乗って悪縁からのスイッチバックを体験、心機一転出雲大社へというのはいかが。

〈所在地〉
島根県 松江市 鹿島町 佐陀宮内

参拝日:平成24年 1月 8日