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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

高清水神社

2014年11月22日 | 松江市(旧東出雲町)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:―
様  式:流造変態小祠
御祭神:水波之女命

  

国道9号線を羽入 入口より南におれ、羽入川に沿って1.5kmほど登る。山陰道の高架をくぐり、羽入川を越えて東に曲がる。畔端の道も広くはないが、ここからは急な上り坂でしかも九十九折。休日とあって対向車が多いのも、湧き出る名水を汲みに来る参拝者が多いことを表したいる。途中の路肩に高清水神社参拝者駐車場と見えるが、境内間際まで登れば社殿脇に駐車は可能。道路わきに銅板葺の真新しい社殿が見つかる。美しい湧水池に囲まれた姿は、その水と同じく美しい。以前訪れた際は、切妻妻入りの小祠であったが、いまは流屋根になっていた。名水が著名となり、社殿他も整備が進んだのであろう。

同社の縁起について『神国島根』に拠れば、享保元年能義郡日白地区の安左衛門が神夢に導かれて神水により病を治癒させる。以来霊験顕著と知られ、延享三寅年に田畑が害虫によって荒らされた際にも、多くがこの神水をもちいて難を逃れたという。これらから専ら虫害難病除けの社として崇敬される。

〈境内社〉

本殿右側に木造小社が見える。祭神等は不詳。

〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 下意東

参拝日:平成26年 5月18日


素鵞神社(磯近)

2014年11月21日 | 松江市(旧東出雲町)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:―
様  式:切妻造 妻入り小社
御祭神:須佐之男命

   

松江市街より国道9号線を東進、揖屋小学校を過ぎ山陰本線を跨線してすぐに北へ入る。1.5キロほど進み海が見える十字路を東に折れてようやく境内を見つけた。下意東磯近より路地を入る方が容易く見つけられるかもしれないが道は細い。車道北側に鳥居をはじめ幾つかの小祠が見える。各々の社は小さいながらも、掃き清められ整備されていた。規模の大きな筑陽神社も近くにあるが、この社も地元の方々の崇敬を集めていることがわかる。参拝中、牛舎もないのに牛の声が大きく響き、目の前の池を覗くとたくさんの牛蛙が・・・。

創立年代不詳。『神国島根』に拠れば、一時的に筑陽神社に合祀。後に復旧願いが提出され、これが明治十三年に許可されると新たに社殿を建立し奉斎を続けている。

〈境内社〉
 
本殿右手に木造小社、荒神が祀られる。『神国島根』に拠れば恵美須神社に大国主命・事代主命を祀る。

〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 下意東


参拝日:平成26年 5月18日

筑陽神社

2012年02月10日 | 松江市(旧東出雲町)

風土記:調屋社
延喜式:筑陽神社
雲陽誌:大森神社(事代主尊)
様  式:大社造
御祭神:事代主命
配祀神:速飄別命

   

旧東出雲町意東小学校がたつ丘陵の南側に鎮座し、風土記に記載の調屋社、延喜式内の筑陽神社に比定されている。境内は東西に長く、もっとも奥の壇に向拝つき入母屋造りの拝殿と大社造の本殿が鎮座。下の壇には当社に集められた境内社群や土俵などがあった。拝殿軒下には対の龍の意匠が施され、一方は翼が生えた珍しいもの。また前方右手にも、トグロを巻いた一対の龍が祀られていた。

 

当社の由緒については、もともと上意東の中組宮谷にあったともいわれ、度々の水害にあって社殿を失い、貞観年間には中意東馬場山へ。天正年間には三刀屋久扶が中意東元宮に社殿を建立、現在の地に遷されたのは寛文年間とされている。『神国島根』の記載に依れば、神代に事代主命がこの沖にて漁をし給う時、速手の風を鎮めんとして、この地に速飄別命を奉祭し給う、またこの神跡によって事代主命同社に奉斎したのが祭神の由縁と記される。

〈環内社〉
 
本殿の左側に天満宮、右側に伊勢宮がある。天満宮は菅原道真ほか二柱、伊勢宮は天照皇大神を祀る。

〈境内社〉
 
一壇下に忠魂社、本殿右側の丘の上に秋葉神社がある。忠魂社には当地出身の戦死者を祀り、秋葉神社は可久突男命を祀る。

      
忠魂社の手前の壇には六社が並び祀られる。南側より、宗忠神社(黒住宗忠神)、稲荷神社(稲倉魂命)、杵築神社(大國主命)、金比羅神社(大物主命)、瘡守神社(大己貴命・少彦名命)、住吉神社(住吉大神)である。

〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 下意東

参拝日:平成24年 1月8日

揖屋神社

2012年02月05日 | 松江市(旧東出雲町)

風土記:伊布夜社
延喜式:揖夜神社
雲陽誌:揖屋大明神(大己貴命・合祀:少彦名命・事代主命)
様  式:大社造
御祭神:伊弉冉命
配祀神:大己貴命・少彦名命・事代主命

   
揖屋神社は意宇六社の一つ、古くは風土記、日本書紀の他、式内にあげられる著名な社で、旧東出雲町の中心である揖屋地区に鎮座す。境内は南北に長く、女千木を掲げる本大社造の本殿は石垣造りの高壇にあって西向、その下には切り妻向拝の下に大締めを結う立派な拝殿が建つ。これら拝殿と本殿に向かう正面からは入ることは出来ず、旧国道が走る北側より鳥居、隋神門をくぐって参拝する。

同社は、日本書紀斉明五年(659)の条に「是歳、出雲国造に命せて厳しの神の宮を修らしむ。狐、於友郡の役丁の執れる葛の末を噛い断ちて去ぬ。又、狗、死人の手臂を言屋社に噛い置けり。言屋、此をば伊浮瑯という(天子の崩りまさむ兆しなり)。」と登場。社に使える巫人が手にした葛のはしを狐がかみちぎって去り、犬が死人の腕をくわえて神社の前に置いたことを、同社の巫人が天子の崩御する凶兆として筑紫の行宮に早馬を走らせたとなる。

   

言屋社が死に縁付けられた所以は明確ではないが、古事記はこの地に黄泉の国入口である伊賦夜があると伝えており、伊弉冊尊の死にまつわる伊弉諾尊のとのやり取りからして女帝の死に結び付けられたのであろうか。

八月二十七日の一つ石御幸祭り・穂掛祭りにもちいられる船庫が本殿南側にある。祭りでは、新米と神酒、三宝上に焼米と稲穂が備えれれて祭事が執り行なわれた後、神輿は船に乗せられ崎田の一つ石に向われる、町内でもっとも賑やかな祭りである。

〈環内社〉
風土記:伊布夜社
延喜式:韓国伊太氐(テ)神社
雲陽誌:―
御祭神:五十猛命
本殿の左(北)に鎮座する小祠で、扁額には式内社韓国伊太氐(テ)神社と記される。雲陽誌に本殿より見て左に三穂津姫・素戔嗚尊・巳上五神とあるが右には記載はない。風土記に記載される伊布屋社のうち神祇官に記載社の一つと比定されている。なお、素戔嗚尊また五十猛命を祀る同名の社は宍道湖岸の数社に存在する。

風土記:伊布夜社
延喜式:―
雲陽誌:左の小祠(三穂津姫・素戔嗚尊・巳上五神)
御祭神:三穂津姫
本殿の右(南)に位置する小祠。扁額には風土記社三穂津姫神社と記される。風土記に記載される伊布屋社のうち神祇官に不記載社と比定されている。

〈境内社〉
    
拝殿正面(西側)に木造の社三宇。また木々に荒神を合わせ祀られる。社は北より恵比須神社、天満宮、恵比須神社となる。

   
南側舞殿よりさらに奥に赤鳥居がならび、これを潜って上り詰めると正面に稲荷神社が二社ある。また途中西側の小道に折れてされに南に行くと、火守(秋葉)神社がある。一方、北側駐車場の奥、境内への車道沿いに木造の小祠があるが、これの詳細は不明。

〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 揖屋

参拝日:平成24年 1月8日

松原神社

2012年01月31日 | 松江市(旧東出雲町)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:―
様  式:小祠
御祭神:素戔嗚尊

 

旧東出雲町下意東に鎮座する筑陽神社より、正面(東)の小道を東進し、中海湖岸に突き当たってすぐ右手の杜の中に鎮座。敷地中央に幣を奉る神木数本が立ち、中央には荒神の大稲藁飾りが巻きつけられていた。これらの正面に木造の鳥居、石灯二基、さらに小祠建っている。社名などの案内、扁額などはない。意宇郡神社明細帳に拠れば、松原神社は廃社となって、筑陽神社に合祀とある。

さらに10m程東には、この地を代表する大横綱陣幕久五郎の顕彰碑がたつ。久五郎は安政四年に阿波藩お抱え力士となり、30歳で入幕すると「負けずや」の異名をとり、39歳で第十二代横綱となった。生涯の勝率が94.6%という強烈な強さを発揮し、各地に伝説を残す。上意東の立岩神社には久五郎奉納の石灯篭がある。

〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 下意東 松原

参拝日:平成24年 1月8日