白鳥おとめです!お元気ですか?

慌しく過ぎる毎日、やり残した事だらけです。
これでいいのかなって反省する毎日。
みなさんはどうですか。

来た~ インフル(-_-)

2009-08-31 | 日記
取引先の担当から打合せ延期のお願いメール。

え~台風だから?

でも、逆に私だったら…そうよね、大変。

延期良いわよ、どうしたの?と聞いたら…。

「インフルエンザにかかっちゃいました」

あらら~

大変!

お大事にしてね。うちは急がないから…。

社内でインフル1号にはなりたくないから、いつもの倍優しく来ないようにお願いしてしまいました。

近くまで来ているインフル、怖いですね。

私の履歴書 芦田淳 最終回 ~次世代~ 日経新聞

2009-08-31 | 日記
楽しみに読んでいた、日経新聞の私の履歴書、芦田淳さんは今日で最終回です。
毎日楽しみにしていたのでザンネンです。
今日は、日経新聞から全文を載せさせていただきます。


「バトンタッチ 心の準備」 親子の夢、次女がパリデビュー

 白い画用紙の上を鉛筆がなめらかに走る。今でもこの瞬間が楽しくてたまらない。
枕万年青にスケッチブックを置き、気分が乗ればいつでも鉛筆を動かし、洋服の
デザインに思いを巡らす。イブニングドレスから肩の力を抜いたカジュアルウエア
まで。どんなデザインも思いのままだ。
 
 大切なのは全体のプロポーションとリズム感。まずは美しい服があり、体のほう
をそれに合わせるというのが私の持論。右の肩が下がっているのなら、姿勢を矯正
すべきだし、だめならパットで補正すればよい。そんな気持ちでひたすら仕事に取
り組んできた。
 
 「仕事はサーカスの玉乗りのようなもの。足を止めたら転がり落ちて大ケガをする」。
私は会社をこうたとえてきた。「引退はまだまだ先のこと」と思っているが、この8月
21日でとうとう79歳の誕生日を迎えた。さて、この「玉乗り」はいつまで続くのだろうか。
ただ気力が充実している限り、第一線で走り続けようと思っている。
 
 東京・渋谷の雑居ビルの2階で社員10人ほどで会社を始めたのが1963年(昭和38
年)。それが今では社員400人、年商120億円。その間、妻と二人三脚で高島屋の
顧問デザイナーや皇室デザイナーなどを務め、96年にはアトランタ五輪の日本選手団
公式ユニホームのデザインも手がけることが出来た。

 パリの目抜き通りにオープンした直営店は20周年を迎え、売り上げは堅調だ。
2002年(平成14年)に発表した「コンパス」という中心を丸くくりぬいた円形の
ストールもヒット商品に育った。何とかここまでやってこられたのは、ひとえに
素晴らしい人との出会いでと支援があったからだと深く感謝している。
 
 ところでこの「コンパス」は実用性と美しさを兼ね備えた私のデザインの集大成
となった。頭からかぶればマント風、襟元に巻けばドレス風・・・。着方によって
様々に表情が変わるのが特徴だ。

 思い出すのは05年2月。ウィーン国立歌劇場でソプラノ歌手、グルベローヴァが
その「コンパス」を着てステージにあがったことであす。
 
 歌劇「ノルマ」を披露した晴れ舞台。彼女は自ら選んだ白い毛皮で縁取りされた
楕円形の「コンパス」を身にまとい、心のこもったつややかな歌声を響かせていた。
客席からは万雷の拍手がいつまでも鳴りやまなかった。
 
 昨夏には、大きな節目がやってきた。
91年に東京コレクションでデビューした次女の多恵がパリで初めてショーを披露し
たのだ。親子にとって長年の夢だった。私は77年にパリコレに参加し、3年で見切り
をつけたから、芦田家にとしては実に29年ぶりのパリでのショーとなった。

 私と妻はあえて欠席し、日本で娘の帰りを待っていた。親がしゃしゃりでたら、
娘が脇役になってしまうからだ。次女には随分、昔からパリに出るようにと勧めて
きたが、「もし失敗したら、父の名を汚してしまう」と娘の方が慎重だった。
今回のショーは次女にとって意味のある1歩になった。大きな自信にもつながった
はずだ。
 
 いつかバトンタッチする日が来るまで。私がこれまで人生を通じて得た様々な
経験と教訓を次世代にも伝えることができるのなら、これ以上の幸せはない。

(ファッションデザイナー)

 =おわり

エコササイズ 2日め

2009-08-31 | 日記
エコササイズは、スーパーのレジ袋を膨らまして、左右の足で交互に蹴りあげるというもの。

土曜日の新聞でみて、土曜日の夜からチャレンジ。

ただ膨らませた袋を蹴り上げるだけなのに、連続してはなかなか続きません。

何事も継続が大事…もう少し続けましょ。