浮遊脳内

思い付きを書いて見ます

指し人知らず 2

2012-04-02 19:49:22 | 寄稿 カナン 神と人との大地
「・・・・・・あんた、何してるんだい」
 問われて驚き、ラルンは顔を上げる。気づけばあたりは真っ暗だ。長屋の戸口から覗き込むようにして、テハルはラルンを見つめている。同じ長屋の向こうに住んでる女だ。病のとっつぁんを抱えて、まだ若いのにばばあみたいな暮らしをしている。
「そ、そりゃ、おめえ、棋打ちは駒打つに決まってるだろうが」
 わけもなくうろたえて、ラルンはそっぽ向いた。いや、うろたえた訳はわかっている。土間に胡坐で地面をにらみつけていたところを見られたからだ。見られたからってどうとも思わないラルンだが、今ばかりは気分が悪い。負け打ちの手筋を見直しているようなものだからだ。
「そうかい」
 テハルは小さく言う。この女はいつもラルンに付きまとってくる。怒鳴られてもうるさがられても構わずだ。
「もう、夜だよ?今日は棋打ちにゆかないのかい」
「ああ、行かあ」
 ラルンは暗くなった土間で膝をうち、その手に力を込めて立ち上がろうとした。けれど、駄目だった。しびれた足に力も入らず、腰を浮かせたところで、ラルンは転げた。
「・・・・・・」
「あんた、なにやってんだい」
 思えば朝からずっと土間にいた。地べたに座り込んでいたから、尻まで冷えていた。おまけに腹まで減っている。土間で身を起こし、痺れた足を投げ出し、ラルンは暗い天井を見上げた。
「うるせえ」
「ひょっとして、ご飯たべてないのかい?昨日は負けちまったのかい?」
「負けちゃいねえよ」
 ただ勝ってないだけだ。けれどテハルは言う。
「ちょっと待っといで、粥の一杯くらいはあるからさ」
 待てというのも聞かず、テハルは駆けだしてゆく。テハルには病気のおとっつぁんがいる。小間物づくりをしていたそうだが、体を悪くしてからは思うように働けなくなっている。昔、だまされてずいぶんひどい目にあったとも聞いた気がする。よくは覚えていない。ラルンは人のことなどどうでも良かった。すぐにテハルはもどってきた。湯気の立つ器を胸の前に抱えている。
 こんなもんだけどさ、と言う粥は、ラルンの思っていたものよりひどかった。
「だめかい?」
「だめなもんか」
 食わねば勝てない。
 そう、勝てない。あの石板の手に。
「よこせ」
 テハルの手からひったくるように器をとって、ラルンは粥をかっこんだ。よくない米だの芋だのを煮た粥は、匂いも味も良くはなかった。塩味も薄い。塩は高いからだ。それでも口いっぱいに押し込んで、ラルンはむせた。
「だいじょうぶかい!」
「うるへえ」
 粥で口をいっぱいにして、テハルに器を突き返す。汚れた口元を手で拭ってラルンは立ち上がる。
「行ってくる」
「あいよ」
 テハルの声を背に、ラルンは夕暮れの街を歩き始める。
 ウラナングは大きな大きな街だ。街の真ん中には巫女姫の城だか神殿だかがある。ラルンはよく知らない。ラルンにかかわりああるのは、色町のはずれにある棋駒打ちの置屋だ。ラルンはその一枚目看板の三段目に名前がある。それは強いということだ。ラルンの上も下も爺ぃばかりだ。爺ぃはこすっからい手を打つ。辛気臭い手は大嫌いだ。だからラルンの打ち手は旦那衆にも人気があった。よくお呼びがかかる。
 だがラルンはそれでは物足りなかった。大事には呼ばれない。
 大事に呼ばれるのは爺ばかりだ。ねちねちしたこすっからい手筋の何が大事だとラルンは思う。それに、だ。ラルンが移り気だというのなら、酒でも飲ませて、おだてるくらいのことをして見せろと思う。
 勝って見せる。
 だが、今日のお呼びも小さな勝負だった。呼ばれた先で待っていたのは、別の置屋の知らぬ打ち手だ。別の置屋だろうとも、一枚目に名前のある連中はだいたい顔を覚えている。覚えていないのは格下ということだ。
 貧相な男だった。ラルンより五つ六つ上に見えた。それでだめならだめなのが棋打ちだ。ラルン様相手にこんな棋打ちとはなめてやがる。
 いつもなら機嫌を傾けるラルンだったが、今晩は違う。こいつには悪いが、昨夜のうっぷんを十倍返しで返させてもらう。
 どっかりと腰を据え、腕組みをして相手ではなく、棋板を睨み据える。
 負けなどしない。どう勝つかだ。

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