浮遊脳内

思い付きを書いて見ます

カナン 眠りの巫女

2012-02-01 22:36:24 | 寄稿 カナン 神と人との大地
カナン 神の眠り
 カナンにはさまざまな神々がいる。
 風にも空にも雲にも雨にも水たまりにも土にもいる。茂る木々や草花の神もおり、地に住まう虫や獣たちの神もいる。
 カナンの神の多くは神々自身が望まねば、人には姿を見ることもできぬ。しかし神々は在り、その力も在る。ゆえにカナンの地は豊かであり、風は温かく、空は高く、雲はさまざまに流れ、雨は振り、多くのものを育てる。
 神々はあまりにもたくさんあってカナンの人々にも良くわからぬほどだ。しかしカナンに暮らすものらは、それぞれに神に祈り、それぞれに神に捧げものをし、時には避けて通りながら暮らしている。
 だから神殿はカナンの者にとって大事なところだ。ある神にささげられた神殿もあれば、どの神に祈ることもできるところもある。小さな祠もあれば、神と通じることのできる巫女のいる神殿も。
 その神殿には、巫女がいた。カナンの巫女の多くがそうであるように、その巫女は幼さを残した少女であったという。カナンの者もまた、大人になれば目にすることが難しいものらと遠ざかってゆくからだ。
 その巫女の名は、今は忘れられてしまった。代わりに人は言う。眠りの巫女と。
 眠りの巫女は、ある神の罰を受けた。人はその話を今でも語り継ぐ。その名は遠い昔の物となった今でも。
 眠りの巫女は幼き頃より力を示したと伝わる。ごく幼いころより、人には見えぬ神々を指示しまたその言霊を降ろすこともできた。その力はカナンの者にも稀にしか現れぬ。目に見えぬ神とともに生きるカナンの者にとって大切な力だった。
 そういったものの多くがそうであるように、眠りの巫女もまた神殿に住まうことになった。世間の力からも、また神の力からも守られねばならぬからだ。それは巫女として修業を積み、神と人の狭間で生きる力を得るということでもあった。
 巫女とはいえ、かのウクラングの姫巫女とは違う。己が身の回りのことは己で行い、また神殿の日々のことも行わねばならない。
 奥どころを清め、供物を捧げまたおろすこともせねばならない。春を思うつぼみの年頃で、美しいというよりまだ幼く愛らしい姿であったと伝えられている。その年頃の娘がそうであるように、多くのしくじりもし、落ち込んで一人泣く姿もあったという。
 巫女は巫女としての学びを行わねばならない。神々の示しを小さなものが受けては、そこから得られるものも小さなものに過ぎなくなる。広く、高く、永く、それを受け止めねば、人の世に過ちをもたらしてしまう。
 眠りの巫女は修業を重ねながら、少しずつ神殿の役目で人目に触れるところに現れるようになった。初潮を迎えれば多くの巫女は力を失ってしまう。多くのものが、巫女の後にただの女としての一生を送る。中には稀に、力を長らえるものもいる。
 神と人との狭間にあるのは巫女のみではない。世にはまじないをするものも多くあったし、また紙芝居師などもそれを描くとき「神様が降りてきた」などと良く言う。カナンの者の暮らしには、隅々まで神とのかかわりがあった。寝床には虫よけのまじないがあり、縁結びの神には捧げものをし、憎い相手には悪いまじないも向けられる。綺麗なことを言っていても、人は痛めば、苦しめば、神の力を願うものなのだ。
 眠りの巫女にも、あるくるしみがあったと伝えられている。
 しんのところ、それが本当であったのかどうかはわからない。眠りの巫女その人の他は、誰も知らない。神殿は眠りの巫女について何一つ語らない。認めることも無い。
 だが人はひそやかに伝える。眠りの巫女は幼い恋をしていたのだと。それは生まれた村の者であり、ある者によれば、むらおさの息子であったという。
 大人になってしまえば、笑い飛ばせるような小さな苦しみであった。けれど寡黙で幼い少女の胸には大きな痛みであったろう。
 人は伝える。あるとき神殿に村長らの一団が訪れた。息子の縁談をその先行きについて神の加護を得たいと。そのために、巫女の口寄せを得たいと。眠りの巫女は言霊おろしを行ったと。その唇からこぼれることばは、訪れたものらを落胆させたと。
 しかし、その言葉は神の言霊ではなかったと。
 その愛、偽りなり、と巫女がつぶやくように言ったとき、雷鳴がとどろき、大風が吹いたという。
 巫女は震え、そして苦しみはじめた。喉を押さえ転げまわり、天を掴むように腕を伸ばした。人は伝える。
 その口からは、巫女の物ではない声が響いたと。それはほんとうの言霊であったと。
 言霊は響いた。我が母たる愛神に誓われ、捧げられた愛を、我が神殿にて我が言葉を騙って覆そうとするのか、と。その所業、許さぬ、と。
 おののく人らの前で言霊はさらに響いた。お前の昨夜の望み、我が力にて応えよう、と。明日が来なければいいと望むのならば、お前の明日は二度と訪れぬ、と。
 それきり、すべてが静まり返ったという。巫女は二度と起き上がらなかった。しかし死ぬことも無かった。
 眠りについたのだ。言霊の言うとおりに。そして眠りの巫女と呼ばれるようになった。
 今でも神殿の隅には、小さな石室がある。封じられ、土が積る石室の奥には、今でも巫女の姿が眠っているという。神の怒りが解けるとき、眠りの巫女は目覚めるともいう。その刻がいつのことなのか、誰も知らない。
 そこが本当に、眠り続ける巫女を封じた石室なのかもわからない。神殿は、何も認めない。
 だが人々は眠りの巫女を憐れんだ。今も石室の前には、供え物が絶えない。